舞台は偶然が作り、人間はその上で踊る。

今日はしばらくぶりに友人に再会した。その友人に会うたび、「偶然」が齎すものの大きさに立ち竦む。

出会いの詳細や偶然の内容については、うまく書ける気がしないし、とても10分ではまとめられない。

いずれそういう記事を書こうと思う。

出会いは本当に偶然だ。もしかしたらどちらもこの世にいなかったかもしれない死という線を偶然すり抜けて生きているし、

出会うきっかけになったイベントも、偶然住むことになったまちで偶然出会った人が繋いでくれた縁だし、

僕がそこから引っ越したにもかかわらずまたこうして再会できたのは、引っ越した先が偶然その友人の出身地近くであり、出身高校のすぐ近くだったからでもある。

全ては偶然が決めるとまで非決定論的な思想を持っているわけでもないが、人生の大きな部分が偶然で決まっているとは思っている。舞台は偶然が作る。その上で人はできる努力をして、最高の表現をすることを目指す。でも、踊る舞台自体は自分ではコントロールが及ばない偶然が作るので、結局謙虚な自信家であれということか。

もちろん偶然の結果出会わなかった人や出来事はたくさんある。実際に現実として起こる前には全ては可能性の中にあり、何がそこから
取り出されるかはほとんどの場合わからない。

現実となった可能性だけが認識されて、その他全ての可能性は現実とならないまま手も触れることなく消え去ってしまう。

起こる前はすべてが可能性。起こった後はそれが環境となる。その環境を舞台として人間は踊るが、踊っている人間は時にその舞台の存在を忘れて自分の踊りに注目せよ!と叫んでしまったりする。俺はこんなにも華やかに舞えるのだぞ!と。

でも時には舞台から降りて、その舞台が何で形作られているのか、目を凝らしてよく見てみようと思う。たまに、もしかしたら違う舞台に立っていたかもしれない自分を想像しながら。

では。

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浅沼大樹
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