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隙間時間と習慣の話②

時間の使い方は習慣によって決まっているので、「活用されていない隙間時間など無い」という話をした。

ただ、この「活用されていない」という言葉の意味は誤解されてしまいそうだ。ゆっても無駄な時間ってあるじゃん、とか言われそうだ。

だから、「活用されていない」という意味をもう少しはっきりさせておかないといけないと思う。

活用されていない時間など無い

これは、後から振り返って無駄だったと判定されるような時間のことではくて、そのときその現場で「本当に何もしていない時間」という意味である。

つまり、「他のことをする時間に一切影響を与えずに新しい何かをするために使える時間」という意味。わかりやすくなっただろうか?経済学を習ったことがある人なら、パレート効率性(他人の満足度を下げることなしに自分の満足度を上げることができない状態)という言葉を思い浮かべたかもしれない。あのなんだかモニャッとした経済学用語と似たような話だ。

もしそういう、本当に何もしていない時間が15分でも30分でも、いや5分でも、1日の中にあるのなら、「隙間時間を有効活用する」ことは少なくとも物理的にはできると思う。何もしていない時間で、今やっている他のことに一切影響を与えることなく新しく何かを行うことができるのだから。でも、実際はどうだろうか?

後で振り返って無駄だった、と思えるような時間であっても、その時の現場では「この時間はYouTubeを見よう」とか「Twitterの通知を確認しよう」とか、意思を持って時間を使っている。自分の意思と関係なく意識を飛ばす人、たとえば意識を完全に宇宙の彼方へと飛ばして5分間地球に戻ってこなかったり、自分の内面へと無意識下へと旅に出てそのまま30分直立不動のまま覚醒後も記憶がない、なんて時間を生きているいる人はいないだろう。

長々と書いたが、結局言いたいことは「隙間時間など無い」ということだ。隙間時間を活用して何かをしようと思うなら、まず大前提として「隙間時間など無い」ということを強く強く、本当に強く認識しないといけない。

なぜなら、意識を飛ばしている隙間時間が実は存在しないのだとしたら、15分程度の時間を有効活用するためには、現時点ですでに何かに利用されている15分の使い方を、全く別の、これから新しくやろうとすることのために無理矢理空けなければならないから。そして、これが本当に難しい。

ラーメンをいつも大盛りで食べる人が急に普通盛りにはできないように、15分空いたらスマホに手を伸ばして生活している人は、その15分を勉強になんて使えるはずがない。

要するに、15分を今までと違うやり方で利用するというのは、単に「それを勉強をする時間に充てる」という話ではなくて、「スマホに伸びていた手に鉛筆を握らせて、ベッドに寝転んでいた身体を椅子に座らせる!」ということなのだ。完全なる、これ以上ない大仕事ではないか。

15文を有効活用するということは、昼飯の大盛りラーメンを普通盛りにすることであり、寝転んでテレビを見ていた毎週火曜日と木曜日にランニングをする日にするのと同じことなのだ。無理。イーサン・ハントも尻尾を巻くミッション・インポッシブルであろうよ。

結局はこれは習慣の問題で、習慣は容易には変えられない。勉強することが許されている授業時間中ですらスマホから離れられない人が15分の空き時間を見つけたら、それはやっぱりスマホ触っちゃうし、カレーにはカツを載せなきゃ気がすまない人が、痩せたいからって明日からカレーの代わりにキャベツ食べないでしょ。

24時間の使い方が全て習慣で決められている以上、僕たちは15分をそのように利用させている習慣を新しい習慣に上書きしなければいけないってことになる。だから、隙間時間を利用するというのは、簡単なようでとても難しい。

単純な話なんだけど、難しい。新しいことを始めることが難しいのではなくて、それまでやっていたことをやめるのが難しいのだ。

おんなじことをずっと書いているが、この辺りのことがどうやらあんまり理解されていないような気がする。特に、学生には。自分としては暇だと思っちゃっているものだから、それが習慣の問題なのだとあまり自覚できないみたいだ。

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