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幸福な生についてって話
幸福とは何だろうか?
最近の興味関心がもっぱらこんな感じになってて、ちょっとヤバ目。
このままでは授業で信徒を募集してしまうかもしれない。
まぁ、いずれ最後は再び宗教に帰って行く世界になると思うので、
早めに開祖になってしまうのは悪い話ではないのかもしれない。
発端は、まちづくりとか地域活性化とか、そういう話について考えていたことにある。
まちづくりだなんだと言ってはいるけれど、
実はそれはまちの問題ではなくて、個人の生き方の問題なんじゃないかと考え始めたのがきっかけだ。
個人の、市民一人ひとりの人生が幸福になることによって、
まちがいいまちになっていくんじゃないかと考えるようになった。
だから、追求するべきは幸福論なんじゃないかということで、
幸福論についての本を読み始めたりしてる。
そして、この考えは、けっこう伝統的な幸福の哲学の路線と近いらしいということもなんとなくわかってきた。
というのはとりあえずここでは置いておいて、
最近気づいた自分なりの幸福というのを書いておくことにする。
幸福とは何だろうか?
人によって答えはいろいろだろうが、なんとなく物質的・経済的に満たされること(要するにお金がいっぱいある)とか、誰にも束縛されずに自由でいる(もちろん金銭的にも)ことみたいな、「自分を縛るものが何もないこと」を幸せと考えることが多いのではないかと思ったりする。
なぜなら、これは忙しい現代人にとって、ほしくても手に入らない願望でもあるからだ。
わたしを物質的に・時間的に解放してくれる幸せの青い鳥を多くの人が求めている。
そして、あたしはこれが、多分間違いだと思った。
一定程度経済的に豊かになることが幸福度を高めるというのは研究でも確かめられていて、それはそうなのだろう。
だから、経済的な豊かさを追求することには一定の意味があるのかもしれない。
とはいえ、お金がたくさんあって自由な時間がたくさんあったら本当に幸せなのか?と想像してみると、すくなくともあたしの場合は、そうではない、と思う。
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