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まちづくりに関して最近思うことって話

大学教員になって11年。ずっと地方で働いているせいか、地域活性化とかまちづくりとか、そういう界隈の付き合いや取り組みが結構身近にある。
自分もそのカテゴリに分類されそうなことをやったり手伝ったりすることは多い。

そういうことをやっていながら、ずーっと腑に落ちないというか、考えがまとまらなくて解消されないモヤモヤというか、そういうものが胸に頭に残り続けている。

それは、言葉で表してしまえばとても単純なのだが、「まちづくりとは何か?」ということ、もっと言うと「まちはつくるものではないのではないか?」ということだ。

もちろん、まちとは物理的な存在でもあり、アスファルトを敷いたり家やお店を建てたり公園を作ったりなど、物理的な作業の上に成り立つ物理的な存在である。したがって、まちとは「作る」ものであることは間違いない(「壊す」ことも含めて)。

でも、みんなが思う「まちづくり」とはそういうものではない気がする。もっとこう、概念的なもの、人のつながりとかイベントとか盛り上がりとかお金とか仕組みとか制度とか、そういう手で触れられない抽象的な何かのことであり、それをなんとか「作ろう」としている。

あたしが長年(少なくとも7年以上、7年は長いよね?)抱いてきたモヤモヤは、そうしたものを「作ろうとする態度」についてであって、これの一体何がモヤモヤとするのだろうとあれこれ考えてきた。考えはするものの、何がモヤモヤの正体なのか、思考がどうも上滑りしてしまっていつも掴みどころのないものになってしまっていたのである。

ただ、結論というか自分なりの仮説として持ち続けている部分はある程度最初から見えていて、「まちはつくるものではないのではないか」ということ。そこだけははっきりしているものの、出発点とその過程がどうもうまくまとまらない。いかにも気持ち悪い7年間を過ごしてきたのだった。

というわけでだいぶ前置きが長いが、要するに今回のnoteはそうして長年考えてきたこのモヤモヤに、最近なんとなく落とし所が見えてきた感じがするので書いておこうと思ったという話。

なぜまちはつくるものではないのか、一般的に言われる「まちづくり」という言葉のどこに引っ掛かりがあるのか、色々な方面に発散していた思考が、とある学問の再確認によってなぜか急速に整理されてきている。

その学問とは、アドラー心理学である。

アドラー心理学は、アルフレッド・アドラーという100年前の心理学者が提唱した心理学である。アドラー心理学を一般向けに紹介した『嫌われる勇気』は世界累計1180万部を売り上げ、アマゾンの評価で26,000件以上の評価件数がありながら星4.5というとんでもない高評価を博している。

この本は昔に何度か読んで、この本から色々と気付かされたことや学んだことはあったのだが、なんせかなり前のことなのではっきりしたことをあまり覚えていなかった。

しかし、上述の通りまちづくりのこと、というか、それはつくるものではないのではないか、ということについて考えているうちに、ふと「これはアドラー心理学なのではないか」と思い至って、この『嫌われる勇気』とその続編である『幸せになる勇気』を読み返してみたというわけだ。

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