思い立ったなら今やれって話。

今という時間の意味は、時間軸を直線で表すとすると、ひとつの見方としては過去から今までの時間経過を示す線分(始点と終点が定まった直線)の一番端っこ、生まれてから最も時間が経過した時点となる。この観点からすると、今というのは、それがいつであれ、その時点で最も歳をとっている状態のことと考えざるを得ない。

しかし、当然別の見方があって、今から未来に向けた半直線(始点か終点のどちらか一方だけが定まっている直線)と見るならば、その時間軸は未来に向かって拓いていて、その始点は常に今だ。この観点から見ると、今は残された寿命のうち最も若い時となる。

このことはなんとなく二十代の半ばころから考えてはいて、何かもやもやした時にはこう考えることにしていたけれど、ここに来てちょっと頑張りたいことができたので、これをもう少し敷衍してかんがえてみることにする。

頑張りたいことができたのだが、何とは今は話さないが(とっても長くなるので)、いつ終わるとも知れない挑戦になるのは間違いなくて、でも残された時間は少なくて、もう遅いんじゃないか?と思うこともしばしばある。

でも、さっきの観点からすると、今を未来に対して一番若い時、と考えるなら、もう遅いということは原理的にあり得ない。それはこれから挑戦することで切り開かれる未来が過去になった時に何がしかの価値基準で「ああ、遅かったのだな」と判断することで、やる前から決めることではない。

もっと前にやっとけばよかった、というのもまた無意味な考えだ。今それをやろうと思ったからこそ、それを思わなかった過去にあたかも同じことが思いつけたかのように錯覚しているに過ぎない。今思いついたのなら、それは今からやるべきことで、過去のその時点ではそもそも発想すらなかったのだから、やるもへったくれも無い。今思ったのなら、過去はどうでもいいから、今やるべきなのだ。

いずれにしても、今という時間を時間軸の中にどう位置付けるかによって、生き方は全然変わってくる。と思っている。

なんてかっこいいこと考えてる俺!とか思ってたら、なんか似たようなこと言ってる人は結構いっぱいいて、まぁ俺の考えることなんて所詮そんなもんよね、となっているお気持ちはこれいかに。

んじゃね!

いいなと思ったら応援しよう!

浅沼大樹
サポートされたら、とても喜びます。