人との偶然の出会いはだいぶ過小評価されてるのではないかって話
あたしはよく授業やゼミに人を呼ぶ。
また、他大学の学生が参加するワークショップ的な場所に学生を連れて行ったり、他大学のゼミと合同前ゼミ活動したりもする。
そうやって大学生を自分が通う大学の学生以外の人と出会う機会を敢えて、作る。もちろんめんどくさい。安くない金額のお金がかかるし、時間も取られる。そういうことに一切関心を持たずに生きていける性格に生まれついていたらお金も時間ももっと自由に使えてどんなに良かったろう、と思う。
学生の反応も悪い。なんでわざわざ知らない人の話を聞いたり全く関係のない大学の学生と交流なぞしなきゃならんのか、そういう場所に行く前の彼らはそういうことにほとんど興味がない。学生たちは非常に合理的なので、メリットがないと判断することには一切関心がないし、その時間をよくわからんことに費やすくらいならゲームをするとかバイトをするとか何もしないとか、少なくともわずかでもプラスの見返りがあることの方に行動のエネルギーを費やす。手持ちのリソースと行動のトレードオフを勘案してできるだけ利得を増やそうとする合理的な経済人である。
あたし自身にも負担になるし、学生の反応も悪いことを敢えてなぜやろうとするかというと、そう、あたしは頭がおかしいのです。やらずにはいられないのです。
つまり、あたし自身の負担感については正直ほとんど感じることはない。あたしの中の行動やそれに伴う金銭的負担の優先順位はだいぶバグっているので、会いたい人に会うためなら、持ち出しが許容範囲内なら全然ためらわない。時間的な負担も同じだ。会いたい人に会うための時間的金銭的負担よりも優先順位が高い項目は多分ほとんどないんじゃなかろうか。
そして、学生の反応の悪さだが、これが今回のお話の焦点だ。赤の他人との偶然の出会いほど、学生から過小評価されていることもあまり無いだろう。偶然出会う赤の他人から自分が強く影響されることになるとは、事前に分かることではないし、予想すらしないことだ。ましてや、最初からめんどくさいと思っているならなおさらだ。でも、こうした偶然の出会いがもたらす人生上の影響がなかなかバカにできないことは、経験的にも学問的にも検証されている。
要するに、一回騙されたと思って参加してみろよ、お前が思うほど悪いもんじゃないしもしかしたら一生を左右する可能性だってあるよということだ。
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