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1日の終わりに何を考えるかって話。

これは個人的にはキモいなと思いつつこんなことを考える。

今日俺は誰のために死んだか?

生きるということは、ゆっくり死ぬことだ。感情論とか死生観とかそういう問題でなく、極めて現実的かつ論理的に、一日生きたなら一日分死に近づく。だから生きてる人はみんなゆっくり死んでいる。

家族ができたこともあり、ガチ育児とガチ家事によって可処分時間が大幅に減ったこともあり、今日一日の4時間(これが今のところ自分のタスクをこなすために与えられた最大時間数だ)をどう使う?とよく考える。

要するに、一日の死に方を考えるってことだ。どうせなら、自分に望ましい死に方をしたい。

だから、一日の終わりに、とてもキモいけど、俺は今日誰のために死んだ?と考える。

その死に方が自分にとってアリならば、その日はアリだ。ナシの日もある。アリの日を増やして、ナシの日はなるべく無していったら、何かいいことあるかしら。

んじゃね!

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