分断そのものではなく、分断を生み出す土壌を問うには…。

マルクスは、個人が社会と分断されてしまった原因は生産様式の変化にあると喝破し、

ポランニーは人間までも商品にしてしまう資本主義経済の悪魔のひき臼が社会から個人をバラバラにすりつぶして、社会は大転換を遂げたと説いた。

ゲマインシャフトはゲゼルシャフトへと変貌を遂げ、土地や血族などなんらかの「縁」で結びついていた人々は個人の集まりが金銭的利益でつながる時代になって久しい。

そこから時代はずっと降って、最近SNSではなんらかの形の「分断」について意見を述べるアカウントを多数見る。

これもきっと資本主義的生産様式によって封印が解かれた悪魔のひき臼がいまだに回り続けている側面の一つなのだろうと思うと、この状況に社会的に対応することがいかに難事かが少しわかる気がする。

もっと深く社会と経済の仕組みに分け入って、思考と抽象の力で目に見える具体的な表層的現象の奥にある論理にたどり着かないと、いかなる社会も描けない。思想を鍛えないことには、分断の良し悪しを個人の立場の問題に落とし込むか、分断について考えましょうで終わってしまう。

何かしら違う景色を見るためにはもう一段深いところにたどり着かないといけない気がしていて、分断が起こる舞台そのものを問い続けなければ、その上ではいつもなんらかの形で分断が起こることになる。でも何をどうすればいいのかよく分からない自分がいる。

自分にも何か貢献できることはあるかな。どうかな。

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