感情の鮮度

https://twitter.com/asanumadik/status/1284322758273363968?s=21

今日の午後、こんなツイートをした。
そのあと三浦春馬さんのニュースを見て、なんだかやるせない気分になった。

彼の死が誹謗中傷と関係しているとかいう話もあって、もしそうでなくても、テラスハウスに出演していた方の件もあって、

こういう話はもはや現代病と言っていい状況だと思う。

冒頭のツイートはべつに誹謗中傷のことを意識していた訳ではなくて、
感情ってもっと自分の中で処理して、
自分の中で消化していくものだった気がするなって常々思っていたのを書いただけだ。

それが今は情報技術が発達して、自分の感情を感じたままに感じたときに特定の誰かに、もしくは不特定多数の人たちにぶつけることもできるようになった。

人間は他人の感情を正確に知ることはできない。それは今も昔も変わらないが、
自分に対する他人の感情に触れてしまう機会が爆発的に増えたのは間違いない。

少し前まで、他人が自分に対してどう思っているかは、その相手と直接やり取りするか伝聞という形でしか、基本的に知る術は無かった。

伝聞は所詮又聞きだし、ということで情報の透明度は濁る。また相手から直接聞くのはお互いにとってとても勇気がいる行為だったから、そこで交わされる言葉にも重みがあったように思う。

でも今は全く状況が違う。

情報技術の本質は距離と時間を越えることだ。その結果いろいろなことが便利になった。

でも、離れた相手に、自分でもまだ未消化の感情を、危うい鋭さを持ったままで届けることもまた可能になってしまった。

受け取る側にしても、そんな技術が無かったらただ自分で想像するしか無かったものが簡単に届いてしまうし、ヘタにエゴサーチなどできてしまうものだから知りたくないことまで知ることができてしまう。

でも、そうやって向かってくる感情の刃に対して、人間ができる防御はほとんどない。人間の精神も身体もそんな風には作られていない。

むしろ、コミュニティを作って何万年も暮らしてきた人間の精神と身体の構造は、他人の感情を読もうとすることに最適化している。目は口ほどに物を言うというのは、目を見ただけで相手の感情を読み取ってしまうくらいに鋭敏な人間の感覚を端的に表現している。

自分に対する相手の語られない感情にすらそれほど敏感になれるのだから、
発した本人すら未消化のままの感情が載せられた言葉がに対してその対象となる人がどれほどのダメージを負うかは想像に難くない。

こういう技術とツールが無かった頃には、やっぱり感情の一部はその人の中で一度は処理されて、出すべき形を一度は検討した上で語られていたに違いない。感情の鮮度は、少し落ちている方が外に出すには適していると思うのだ。

これは技術の持つ両面性ゆえに仕方のない部分でもあるのかもしれないが、
感情の処理の仕方とその受け取り方に小さくないギャップが生まれてしまっていることにはもう少し敏感でありたいと思う。

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浅沼大樹
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