西行と共に過ごす冬のひととき
以前、私のところに届けられたコメントで、実に考えさせられる深い洞察のものが、ありましたので、今回それを載せてみたいと思います。
もうすぐ一年が終わろうとしている.早いものである.
それでも 昔と違って,クリスマスといっても 今ひとつ 盛り上がりに欠ける. ただ ただ 気忙しいだけで,盛り上がるどころか (死に方の達人)である 西行の事を考えてしまい,悲しくなるばかりだ. (死に方の達人)といっても これは 私が言っているのではなく,宗教学者の山折 哲雄 氏が おっしゃっているから,そう思うだけだ.
街中の キラキラしたものに 騙され続け, 25日の 11時59分が 過ぎてしまうと, もう 捨て去られた 子犬の様な気分になってしまう.
子犬...私が好きなのは 柴犬だ. 柴犬は 実に良い. なぜなのか? 好きだからである.(但し茶柴に限る.)
よく 好きなものに対して そう聞く人がいるけれど, 理由なんて どうだっていいじゃないか....
11月の紅葉の見頃が過ぎ, 12月の人息にモミクチャにされ, 25日の11時59分を過ぎてしまうと, 一気に正月になり,すぐに 2月になる.
あぁ~.正月は うんと 先延ばしにしてもらいたい.
2月といえば (西行 ).
バレンタィンでも 何でもなく, 西行なのである.
釈迦の命日とされる旧暦 2月15日に,自らの終焉を合わせたとされる西行の様に, その頃になってくると, いつも 食欲不振という どうしようもない体になってしまう....
その 西行について ずっと 関心を持ち続けた Y先生は, 学生時代の先生である. なぜだか 教科書を 一切 使わず,先生 自筆のプリントで授業....という N校スタイルを 真似して熱弁された, あの日の事が懐かしく思われる.
Y先生は 私の事を, きっと もう忘れているだろう Y先生は 御自身で 書かれた(方丈記が奏でる音楽)についての話も, 百万遍で下車された事も,西行の事も, みんな 忘れてしまっているはずだ. Y先生は 認知症 ...
そうやって 考え込んでいるうちに, クリスマスは 今年も また, やって来るのである.
又11月にノートに出す予定の, 西行と先生の思い出話は, (先生) (教師)という言葉から,( 教科書的に 正しく美しい演奏をする エッシェンバッハを お薦めする )という意味です.私の中では,教師というものは,出来る限り聖人君子であってほしいと... エッシェンバッハのモーツァルトは,教師が弾く,聖人君子の様な演奏の様に私には聴こえます.それを ツマランと思う人と, そうでない人に分かれるのは,聴き手が常に (生徒)になれるのか? という事で,教えてもらう事が好きな聴き手なら,エッシェンバッハを好きになるはずです.
今 教師の立場が昔よりも数段 低くなっているのは,教師に教えてもらわなくても,家庭教師や塾やパソコンがある為,学校教師は非常に苦境に立たされています.その事はアルプスの少女ハイジからも,読み解く事が出来るのです.ハイジの作品は 単なるアルプスの少女の話ではなく,非常に深いものが隠されています.ハイジは学校へ行かされ,クララは なぜ家庭教師だったのか?この事が あの物語の もう一つのテーマです. あの話の本当の主人公は ハイジではなく,ハイジの.(お爺さん)なのです. お爺さんの悲哀をハイジの明るさと対比させる事で,物語を より深く考える事が出来ます.
エッシェンバッハが 昔よりも 不人気であるのは,日本人は ルイ王政の様に 一人の人間が全てを持つ事を 良しとしない気質をもっているので,エッシェンバッハや カラヤンは その被害者であると私は考えている所です.