痛みとその正しさ〜「殺人出産」と「マイ・ブロークン・マリコ」〜

【!ネタバレ注意!】

ゲイ東大生ブロガーのみんなすばる|リラコさんが「2020年読んでよかった本・マンガまとめ」という記事で村田沙耶香の「殺人出産」という本を推しておられたので、ポチり、読んだ。短編集ということもあり、遅読のわたしでもサササと読み終えた。村田沙耶香の本は別の方が「星が吸う水」を薦めておられて読んだことがあり、とにかく突っかかるところがなくサクサク読みやすく、特に感情表現やセックスの場面描写が妙に染みてとても楽しめた。ちなみに彼女の代表作であろう「コンビニ人間」はまだ読んだことがない。

それで「殺人出産」。

表題作「殺人出産」の他に「トリプル」「清潔な結婚」「余命」を収録するこの文庫本でやはり一番強いインパクトを受けたのは「殺人出産」だった。物語の出だしが冗長に感じたのと「10人産んだら一人殺してもいい」という設定にも正直「近未来設定あるある、だな」と余りピンとくるものはなかった。若干の退屈さを覚えながら読み進めると、主人公の姉が幼い頃から持つ殺人衝動についての下りから、物語が昂まりはじめる。話の流れが大きく「殺人」に収斂し始める。この物語の中では「出産」は「殺人」を遂行するための作業でしかないのだ。そして、10人を産み終えた姉と、立ち会うことになった主人公による殺人シーン。

「命を終わらせていくことを、何か、物凄く強烈な肉体関係だと思っているのね。セックスより、出産より、もっと強い力をもった肉体関係」

姉が、今まさにナイフを突き立てようとしている相手を前に、憎しみをもって人を殺したいと思ったことのある主人公に語る。そして、ついに行われるその「肉体関係」の、みずみずしい食材に研ぎ澄まされた刃を入れるような描写。よく熟れたマンゴーに果物ナイフを刺し入れる一瞬のような、美しい暴力。

ここに至って、たびたび描かれる食事のシーンが伏線として回収されたのかと思った。命を殺し、食べ、自らの一部に取り込む「正しい」生き方。ああ、わたしも何かを傷つけ、犯し、それを養分にしながら生きているのだなあ、と思う。

そして、先日アマゾンのおすすめで見つけた「マイ・ブロークン・マリコ」。こちらはマンガだが、自殺した友人マリコの遺骨を強奪し、記憶を手がかりにマリコの行きたかった海へ向かう主人公の話。マリコと依存し合っていた主人公の、マリコの死をきっかけにした「人間関係」や「金」による生きづらさからの逃避行の話、とも見える。

わたしには、この主人公と死んだマリコの依存関係が、「殺人出産」の「肉体関係」に似通って感じたので、ここに一緒に書いている。

ああ、彼女たちは人に傷つけられながら、互いを犯すことで、それを養分にしながら生きていたのかなあ、と。

そしてそれは、人が人と関わって生きていく上で避けられない、という意味での、あるべき、「正しい」生き方なのだろうか。

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