「岡本太郎」が好きだ
岡本太郎が好きだ。
「芸術は爆発だ」という言葉で知られる芸術家、岡本太郎。だけれども、彼が言ったこの言葉を本当の意味で理解している人が果たしてどれくらいいるのだろうか、なんて岡本太郎ファンの僕は思ったりする。
単純にこの言葉を聞いた人は
「変わってるよね」
「さすが岡本太郎!爆発みたいなひらめきあっての芸術だよな」
「天才っていうのはやっぱり人とは違う感性を持ってるよな」
なんて、思うんじゃないだろうか。
でも、ちょっと違うんだ。
岡本太郎ほど論理的で、芸術論や人生論なんかをわかりやすく他人に伝えられる人はなかなかいない。僕はもちろん本人に会ったこともないけれど、エッセイを読んだり過去のインタビュー動画を見たりすれば、彼が理由もなく突飛なことをしたりただ奇抜なことを言いたいだけの人間じゃないことは、誰にでもすぐにわかると思う。
「爆発」に話を戻そう。
この言葉に関しては、本人も気になってたようで、著作の中でこのように語っている。
ぼくの気ままに言った言葉。それが妙に一般の人気を得て、ついには新語・流行語大賞までもらってしまった。今ではバクハツが勝手にひとり歩きしているようだ。その賑やかな使われ方には、いささかびっくりしている。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』より引用
それでは、岡本太郎の思う爆発とはなんだ!?ということになる。
さらに引用させてもらうと、
一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私のいう「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』より引用
大体イメージできただろうか?
一部の引用なので、これでは脈絡がなくてわからないという方もいるかもしれない。ということで、ここで僕がどのように上の言葉を理解したかを紹介しておく。あくまで一ファンの一つの解釈だけど、理解の手助けになれば幸いだ。
ここでの話は、芸術=爆発=生きるということ
ということなんだと思う。つまり、彼にとっての爆発とは、「瞬間瞬間に生まれかわって運命を開くこと」、もっとわかりやすく言えば「今自分にできるベストを尽くして生きること」ということだと思う。
岡本太郎自身はその「ベストを尽くすこと」を、絵画や建築などの目に見えるアートという形で表現した。
でも、人によってその「爆発」のエネルギーが向かう先は違うし、他人からすれば爆発とは決して思えないような地味な努力だったりするかもしれない。でも、誰もが爆発することは可能だし、そんな風に生きるべきだと考えてたんだと思う。
なんて凄まじい、堂々とした生き方なんだろう、とこのエッセイを初めて読んだ当時の僕はただただ感心した。そんな人が数十年前までこの日本にいたんだ…
僕もそんな風に生きたい、そう思った。
今の自分が実際にはどうかというと、自信を持って大声で言えるかはちょっとわからない。でも、控えめにはYesと言える段階に来てると思う。少なくとも、今の自分の生活は気に入っている、それくらいでとりあえずいいような気もしている。
爆発の話だけで終わってしまいそうだ。ほんとは岡本太郎の作品を色々と紹介したいのだけれど、そこまでやってしまうと超長文になってしまう。
ということで、かつてアトリエだった青山の「岡本太郎記念館」のことや、大阪万博記念公園にそびえ立つ作品「太陽の塔」のことは別のnoteで書こうと思う。
ここまで読んでくれて、岡本太郎のことが気になってきた人はエッセイ『自分の中に毒を持て』をご一読あれ。ほんとおもしろいよ。
何かに迷う時や立ち止まった時に、そっと…いや、ドン!と背中を押してくれるようなエネルギー溢れる存在。
だから、僕は岡本太郎が好きだ。
(写真:大阪万博記念公園にて)
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