[発見]異種生物間リテラシー
「今日あたらしく知ったことがあたらしい材料となって、
これからはひとつの新構造をあらわすメタファーにすることができる。」
とてもおもしろいとおもった。
メタファーとして使うためには、その材料となるものが自分と相手との間にあって、
共通で理解できる中間物である必要があるとは荒木博之氏の言葉。
つまり、これからはあたらしく知ったことの方面にいる人と話をするために、そのメタファーを使うことができるということだ。
今までは届くはずのなかった場所にいる人と、共通の言葉を持つことができたということ。
完全にその人たちがいる場所にまでは届いていなくても、共通で理解できる中間物さえ置くことができればコミュニケーションは可能。
これって要するに「リテラシー」のことかしら?
そう考えると、人対人の間にだけでなく、人対動物のあいだにも「リテラシー」的なものがある。
犬はどんなに餌がほしくても「待て」と躾をされていると、欲求を通すよりも我慢することを選択できる。
「待ってほしいな」と思う人間、
「待ってほしいと思ってるな」と思う犬。
「食べたいな」と、思う犬、
「食べたいと思ってるな」と思う人間。
双方が互いに相手の思っていることを、本質的意味での言葉でこそないけれど、共通で理解できる中間物によって理解しているとき、
互いに互いの思いに対する「リテラシー」を持っているといえるかもしれない。
リテラシーがない人間もいる中で、
こんなふうにリテラシーを働かせることができる犬と飼い主。
その間にはなんとなくこうしてほしいのかなぁと互いを思いやる中間物が介在していて、
そのことをときに人は「愛情」と呼んだりしている。