レオス・カラックス論ー映画における沈黙の表現ー
レオス・カラックスは若くしてその才能を認められ、ゴダールの再来とも評されたフランスの映画監督である。また、その強い作家性と作品へのこだわりは、映画会社を倒産まで追い込むほどであり、完璧主義な映画作家として広く認知されている。そんなカラックスの作品は、個人的な経験をモチーフとした私小説的な要素を多く孕む。特に、『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』という、いわゆる「アレックス三部作」と呼ばれる作品群ではそれが顕著に表れている。さらに、カラックスの映画には随所にサイレント映画からの影響が見られる。一見すると難解に見えるカラックスの映画であるが、この二つの点に着目することで、カラックスという映画作家の実像に迫ることができると私は考える。例えば、カラックスの映画をサイレント映画からの影響として捉えられた先行研究では藤井仁子の『レオス・カラックス と出逢いなおすための覚書』などで言及されている。藤井は論文の中で次のように説明している。
「彼はすでに一九八〇年の時点で、トーキー映画における発話はいかにして可能なのかを問い、サイレント映画を介してその探究を続けているような作家だけが現代にあって重要だという意味のことを述べていた。したがってそこに懐古的なものは何もなく、いわんや『最後の戦い』(一九八三)でのリュック・ベッソンのように、あるべき台詞のたんなる不在としてサイレント映画を参照しているわけでは断じてない。停滞の危機に瀕した今日の映画を根底から問いなおすためにこそ、サイレント映画的なるものが召喚されているのである。」一
藤井が言うように、カラックスの映画の中には、サイレント映画的な表現の兆候をいくつも見ることができるだろう。そして、それは表面的な模倣や懐古的な手法にとどまらない。このカラックスのサイレント映画からの影響の源泉は、彼の生い立ちや映画作家としてのキャリアをスタートする以前からその萌芽を見出すことができるのではないか。例えば、カラックスは自らの青春期を次のように語っている。
「十三歳から二十歳ぐらいまでのあいだ、僕はほとんど他人と話すことを拒絶して生きていた。そのころ、僕が夢中になれたのは映画、それもサイレント映画だけだ」一
他者との対話を拒絶した青春期のカラックスにとって、音声言語を持たないサイレント映画、そこに登場する人物たちの非言語的コミュニケーションが魅力的に映ったことは想像に難しくない。カラックスのサイレント映画への興味は、こうした言語的コミュニケーションを拒絶した幼年期から青年期にかけての彼の人生の中にこそ、その兆候を見出すことができるのではないか。
そこで本論文は、まずカラックスの生まれから、映画作家としてのキャリアに至るまでの、彼の半生について確認する。そして、その背景に存在するサイレント映画からの影響を見出して、それが作品においてどのような形で表現されているのかを論じていく。延いてはカラックスという映画作家が映画史においてどのように位置付けられるのかを浮かびあがらせたい。
生い立ち〜キャリアのスタート
彼の生い立ちから映画作家としてのキャリアに至るまでを確認する前に藤井仁子の『レオス・カラックス と出逢いなおすための覚書』において言及されている言葉を次に引用する。
「最初の三作の主人公に自分の本名に由来するアレックスという名をあたえた事実とともに、こうした楽屋事情は、カラックスの全作品を彼の自伝として読み解くように見る者を誘うだろう。しかし、ジョナサン・ローゼンバウムも注意を促しているとおり、カラックスの作品は単純に作家の分身を主人公としているのではなく、さまざまな個人的言及が暗号化されて散りばめられているという点で重要なのだ」二
藤井がジョナサン・ローゼンバウムの言葉を引用して注意を促しているとおり、カラックスの作品は単なる自伝ではないのである。そんな一筋縄ではいかないのである。そこにはサイレント映画や敬愛するゴダールからの影響が複雑に暗号化されて散りばめられているのだ。確かに「アレックス三部作」は自伝的要素を強く感じるが、一方でそこには特にサイレント映画史からの影響が強いのである。その複雑に暗号化された難解な個人的言及が面白いのである。
レオス・カラックスはアレックス・ディポンとして一九六〇年十一月二十二日、パリ郊外のシュレンヌに生まれる。三人の姉に囲まれて育つが、カラックスが幼い時に姉のひとりが死去している。『ポンヌフの恋人』のヒロイン、ミシェルの名前はこの死別した姉からとられたものだという。そして十六歳でバカロレア(大学入学資格試験)に合格すると、家族の許を離れてひとりで暮らす道を選ぶ。一年後の一九七八年、カラックスはパリに居を移し、本格的にシネフィルの生活を始める。映画とともに彼が夢中になったのは、カフェのピンボールマシンだった。ピンボールマシンを通して女の子と話をすることに成功すると、やがてキャメラという機械のほうが、女性とのあいだに理想的な関係を構築する手段だと知るのである。こういうところに寡黙で内気な少年としてのレオス・カラックスの一面が見られる。
一九七九年、十八歳のカラックスはカイエ・デュ・シネマで批評家として、わずか八ヶ月であるが活動する。掲載された主な評論としてはシルベスタ・スタローンの『パラダイス・アレイ』がある。この『パラダイス・アレイ』の評論はすこし風変りであり、スタローンの本作をカラックスは「ひとつの長い悪夢に似ている」と評している。この批評家時代のカラックスの『パラダイス・アレイ』評であるがその後の映画作家としてのレオス・カラックスの作風に強く影響を与えているのである。それは予言めいた特別な意味をもったテキストとしても読むことができる。
この年には他にも重要な出来事がある。それはゴダールとの出会いである。カラックスはゴダールの新作『勝手に逃げろ(人生)』の取材のために、撮影現場を訪れるのである。しかしカラックスは撮影現場でも寡黙であり、ゴダールに対して「こんにちわ」と「さようなら」しか言わなかった。さらに重要な出来事としてカラックスの書いた『絞殺のブルース』という短編映画の脚本がアヴァンス・シュル・ルセット(製作費前貸し制度)の審査をパスし、四万フランの製作費を借りることに成功したのだ。早くも、彼は本格的に映画作家としてのキャリアをスタートさせるのである。このようにカラックスという映画作家はキャリアをスタートさせる以前から寡黙で、姉の死による暗い影を背負い、キャメラの発見などで、映画に希望を抱いていたのである。そしてこの時期に夢中に映画を見ていく中でサイレント映画を発見し、他者との対話を拒絶した自分を重ねたのであろう。
カラックスのこうしたサイレント映画に対する悶々とした思惑について濱口竜介は次のように端的な言葉にして表している。
「カラックスにとっての愛は、二つの対象=映画と女性をまったく同時に持ちながら形成されたものであり、それ故に不可分なものだとまで彼は言う。彼が夢中になったのは何よりも『サイレント映画』であった。サイレント映画を愛するということは、視覚のみを頼りに映画と自身を結びつけようとすることであり、画面上で生起する運動を眼差しでもって捉え、愛撫しようと試みることだ。」三
このようにサイレント映画全てに共通するであろう「身振りと手振り」という非言語的コミュニケーションに自分の寡黙さを重ね、またサイレント映画への愛を女性への愛と重ねる。このサイレント映画に対する自己投影と二重の愛によって思春期におけるカラックスの自己形成が完成へと至るのである。
濱口は世界的な映画監督であるが映画理論家としての一面も持っていると断言していいだろう。映画の作り手だからこそ、冷静にカラックスのサイレント映画への愛と女性への愛の二重性に気づいたのだ。映画の作り手だからこそそこには説得力がある。今や第一線で活躍する映画作家、濱口竜介にまで影響を与えている映画作家レオス・カラックスの影響力は国際的にみても計り知れないだろう。
ここから本論文は『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』という、いわゆる「アレックス三部作」と呼ばれる作品群に焦点を絞り、それぞれの作品におけるサイレント映画の影響を見出し、論じていく。
『ボーイ・ミーツ・ガール』
『ボーイ・ミーツ・ガール』では明らかに映画内でサイレント映画に言及しているシーンがある。アレックスを演じるドニ・ラヴァンがパーティーの席で右隣の恐らくろうあ者だと思われる老人にサイレント映画について左隣の通訳を介して説明を受けるのだ。その説明はこうだ。
「若い者はしゃべらなすぎる。しゃべりかたを忘れている。相手に話す価値がないと思っているのだろう。君は間違っている。君は怖いのだ。(中略)映画が私のように無声の頃、私は機材係だった。初期の移動撮影をやった。ジョナスという二枚目の俳優がいて、よくスタッフを笑わせた。ラブシーンになると、監督が俳優に指示する。キスの前に甘く言葉を交わしてくれ、と。何でもいい、唇が動きさえすれば、と。それでジョナスはラブシーンの最中に相手の胸について失礼な事をささやいたり、相手役を熱心に口説いたりした。ジョナスはおとなしい性格で実生活では女性に内気だったが、カメラが回ると、突然、大胆になった。そして、映画が公開されて、ラブシーンになると、お客の一人か二人が笑いだすことがある。耳の不自由な人たちだ。唇が読めるから、わい談が分かる。無声映画の方がよかった・・・」
この会話の途中に挿入されるこの映画のヒロインであるミレイユを演じるミレイユ・ペリエが白い布で戯れるカットがサイレント映画を想起させる。どういうカットかと言うと、まずミレイユが目をキラキラさせながらキャメラの方を見ると、次に白い布で顔を隠す。そして白い布を取り払うと、またキャメラの方をキラキラとした瞳で笑いながら見つめるのだ。最後は白い布をキャメラの方に投げる。このカットはろうあ者の会話の途中で計二回挿入される。画面上ではサイレント映画のオマージュをしつつ、音声はサイレント映画について話している内容という映画内映画の演出はカラックスのサイレント映画に対するリスペクトを強く感じることができる。
『ボーイ・ミーツ・ガール』には他にもサイレント映画的要素が見えるシーンがある。
物語の後半でミレイユはばっさりと髪を切り、ベリーショートになる。そして白いフードをかぶる。その白いフードをかぶったヴィジュアルがカール・テオドア・ドライヤーのサイレント映画『裁かるるジャンヌ』のジャンヌ・ダルクと瓜二つなのだ。まさに、サイレント映画に視覚の面からもオマージュを試みるカラックスの野心を伺うことができる。物語の結末も救いなき悲劇という点では『ボーイ・ミーツ・ガール』と『裁かるるジャンヌ』は合致しており、闇雲なオマージュではないということがわかる。
またドイツ表現主義の影響も色濃い。特に明らかにドイツ表現主義の影響下で人工的に照明なども調整され作られているであろうアレックスの部屋についてカラックスは次のように語る。
「当時はラング、ムルナウ、そしてあの時代の映画作家たちの作品が大好きでよく観ていた。だから彼らの影響は僕の映画に刻印されていると思う。『ボーイ・ミーツ・ガール』のアレックスの部屋を作るときは、リュクサンブールの僕自身の部屋を参考にしたけれど、空間に表現主義的なインパクトが出るように、天井を低くしてパースペクティブを変化させた」四
カラックスは自らの部屋を参考にしつつ、より映画的な空間を作るために表現主義を引用する作家的態度を二十代前半で持っている。その自分の部屋を参考にするという作家的署名はうまく映画において機能している。アレックスが部屋で何かをする(壁に貼られた世界地図の裏に自伝を書く、タイプライターを打つ、花に語りかける)といった孤独な行為の数々は恐らくカラックスが部屋で実際にしていた行為の数々なのかもしれない。カラックスは十六、十七歳のときからひとり暮らしをしていた。その時の鬱屈とした悶々とした何者でもない青春の時期を撮りたかったのだろう。
「ボーイ・ミーツ・ガール」というハリウッドの物語の伝統的な形式を挑発するようなこの悲劇は徹底した愛のすれ違いを描いている。この映画のラストシーンは二度繰り返される。ハサミを持ったミレイユを抱きしめて誤ってラヴァンはミレイユを殺害してしまうのだが、二つの別アングルで撮られたシーンを二度見せる。まずは、ラヴァン視点で撮られたシーンだが、このシーンだけではミレイユがハサミで自殺を図ってしまい、ラヴァンが抱きしめていることしかわからない。しかし二つ目のミレイユ視点のアングルだとハサミを持ったミレイユをラヴァンが抱きしめることで誤ってハサミでミレイユを殺害してしまったとわかるのである。別アングルから撮られた二つのシーンを編集で繋ぐことで悲劇的なラストを構成しているのだ。この視覚と編集のみで観客にラストシーンの解釈を委ねるという試みはサイレント映画、それもデヴィッド・ウォーク・グリフィスの手法に近しい。
『汚れた血』
『汚れた血』でカラックスはより身体的な演技をドニ・ラヴァンに課す。ドニ・ラヴァンについてカラックスは次のように語っている。
「今のフランスで、彼はベストの俳優だ。肉体の表現力がとても豊かで、動かないショットでは彫刻のようだし、移動撮影ではダンサーのように見える。僕は心理的な演技には興味がない。だから登場人物の心理状態を説明するような演技指導は一切やらないんだ。むしろ、具体的な肉体の動きを細かく指導していく。ドニは、僕のそうした演出手法にとてもよく反応してくれる」五
この映画はまさにサイレント映画に回帰しているようである。それはドニ・ラヴァンの身体的な演技の凄まじさや往年のサイレント映画を想起させるシーンがいくつもあるからだ。
「僕の原点はグリフィスとリリアン・ギッシュだ。他の映画はすべて、そこを起点に広がっている。そして延々と続く映画史の末端に自分がいる。このことは大きな喜びなんだ」六
この言葉の通り、カラックスは映画史に忠実であるのだ。だからこそサイレント映画という映画史の隆盛期を崇拝している。本作もドニ・ラヴァンの身体の動きを中心にして、映画が構成されている。本作は音楽やセリフをなくしても、画面の躍動を通して、映画として成立している。それぐらい身振りと手振り、つまりアクションに重点を置いている現代的なサイエンスフィクションかつフィルムノワールであるのだ。
さて、具体的にどこのシーンにサイレント映画的要素を見出すことができるのだろうか。まずは前述した通り、ドニ・ラヴァンの身体が印象的なシーンの数々である。バスター・キートンさながらアクロバティックに画面上を駆け抜けるラヴァンは彼が存在するだけで画面に活劇性が生まれるのだ。ラヴァンの疾走するシーンはどれを切り取ってもバスター・キートンの映画を思い出す。特にデヴィッド・ボウイの『モダン・ラヴ』をBGMにラヴァンが歩道を疾走するシーンはキートンのような身体を動かす喜びに満ちてる。このシーンは疾走するラヴァンの背景の壁に黒、白、赤の棒線が描かれている。そしてキャメラは疾走するラヴァンを横移動で追いかけるのである。黒、白、赤の棒線が描かれた背景の壁の効果もあり、画面はまるで高速スピードのパラパラ漫画のように躍動する。一瞬キャメラはフレーム外にラヴァンを見失いかけるが、ラヴァンの体操選手のようなアクロバティックな身体性によりフレーム内にギリギリのところで止まりそのままのスピードで駆け抜ける。まさに、映画の奇跡が起きているシーンである。なんと驚くことにこのシーンのキャメラはジャン=イヴ・エスコフィエではなくてカラックスが回したのだ。ラヴァンを一瞬フレーム外に見失いかけるというキャメラワークはカラックスがキャメラを回していたから起こった事故というよりは正真正銘の奇跡であるのだ。
落ち込んでいるジュリエット・ビノシュ演じるアンナを慰めようとするラヴァンの手品を披露するシーンもサイレント映画的である。ゴム手袋を膨らませ動物の真似事をしたかと思えば、林檎を手から出現させる、その林檎を宙に投げると、大量の果物や野菜が上から降ってくる。この明らかにジョルジョ・メリエス的なトリック撮影はカラックスの機知に富んだ映画的ユーモアを感じることができる。
このメリエス的な手品を披露するラヴァンを見て笑うアンナの反応のカットも忘れてはいけない。アンナはひたすら涙を流すのだが、そこで涙を拭う小道具として使用されるハンカチが様々な色であり、カットによって異なるのだ。それがとても色彩豊かであるのだ。青色のハンカチで涙を拭うカットの次に赤色のハンカチで涙を拭う。そして次に黄色のハンカチで涙を拭うといった具合に色彩の遊戯がリズミカルに連続する。そんなめくるめく色彩の遊びは映画の試みとしてうまく成功しているのである。
この映画はカラー映画であるが、数秒だけモノクロームの画画がいくつか挿入される。それは明らかに往年のサイレント映画の女優を想起させるアンナの顔のクロースアップであったり、『フレッド・オットのくしゃみ』のようなミシェル・ピコリ演じるマルクの顔のクロースアップだったりとサイレント映画史から複雑に引用されている。
『ポンヌフの恋人』
『ポンヌフの恋人』でカラックスはドキュメンタリー的な要素を作品に取り入れる。これはカラックスにとって新たな領域への挑戦である。だがこの映画ではもっぱらそんなドキュメンタリー映画的な要素が注目されがちだが、この映画においてもカラックスのサイレント映画的な影響が随所に見られるのである。例えば、ドニ・ラヴァンの火吹きの芸を披露するシーンである。このシーンのためにラヴァンは準備期間に入念に訓練を積んだ。よって、ここで見せられる人間離れした芸当は厳しい鍛錬の成果によってである。口から液体燃料を噴き出すとともに着火させ、宙を舞うラヴァンの身体表現の壮大なスペクタクルは見るものを引き込む。セリフのないそして音楽のないこのシーンだが、ラヴァンのその軽やかな身体の動きと、軽やかな火吹きの芸当により、臨場感が溢れ、これが劇映画だということを一瞬忘れてしまう。
スペクタクルという点で言うと、水上スキーのシーンも負けてはいない。盗んだモーター・ボートを運転するラヴァンと船尾から垂れた綱を握るジュリエット・ビノシュ演じるミシェルがスキー板に乗り、水しぶきを上げながら水上を駆け抜けるのだ。そのあまりにも祝祭的なムードに満ちたこのシーンにリアリティは度外視して、見るものは幸福感を噛み締めるしかないのだ。その幸福感はチャールズ・チャップリンの映画を見ているときの感覚に近い。チャップリンの映画を見るときのあの筆舌に尽くし難い感覚である。さらに『ポンヌフの恋人』で浮浪者を主人公に設定しているところなど、どこかチャップリンの映画と重なる部分が多いのである。
そして、一番、身体を動かす喜びに満ちているのはラヴァンとビノシュのポンヌフの橋でのダンスシーンである。夜空に花火が打ち上げられ、それを背景にひたすら音楽に身体を預け、自由に踊る二人の姿は「アレックス三部作」の集大成のサイレント映画的なアクションだ。視覚に訴えかけてくるそれぞれの身振りと手振りは自由を体現している。流れる音楽もさまざまでロックが流れたり、クラシック、ヒップホップなどジャンルを横断した音楽の演出がなされている。その音楽に合わせ、ビノシュは時に橋の上で地団駄を踏むようなダンスを踊ったり、ラヴァンと手を繋ぎ橋の上で回転したりする。一方ラヴァンはその常人離れした身体性を生かし橋の上を縦横無尽に動きまわる。橋の上でバク転をしたりとそれはそれは普通の俳優はとてもじゃないが真似できないダンスを見せるのだ。
ラストのハッピーエンドはビノシュが提案したものである。本来は、もっとシリアスな終わり方であったが、ビノシュに説得されてカラックスは脚本を改変したのである。ラストは橋から落ちた二人が水中で邂逅し、老夫婦の船に助けられるというこの一連のシークエンスはここでもサイレント映画的なラストを迎えるのだ。水中の身体に注目してみると、その軟体動物のような、二人の身体が、絡み合い、船に助けられる。この二人の身体の軟らかさはダンスシーンと比較すると、よりこちらのシーンの方が自由を象徴している。
ラスト、「まどろめ、パリ!」と叫ぶラヴァンとビノシュを背にパリの夜景が一望できる。この綺麗なパリの夜景を捉えたロングショットは「アレックス三部作」を締めくくるにふさわしいラストショットであるのだ。『ボーイ・ミーツ・ガール』や『汚れた血』の悲劇的なラストからはかけ離れたハッピーエンドだがカラックスはこの『ポンヌフの恋人』においても説明をなるべく排除して物語を締め括ろうとするのだ。凡庸な映画監督であれば、このロングショットにナレーションなどを加えるだろう。しかし映画作家レオス・カラックスは「まどろめ、パリ!」とラヴァンとビノシュに言わせて、パリの夜景を見せて潔く物語を閉じるのだ。その潔さはサイレント映画の画面のみで観客に想像を掻き立てるフォーマットを踏襲しているのだ。ラストショットのパリの夜景は不思議なカタルシスを感じることができる。それはストーリーを追うだけでは体感できない真に映画的なショットであるのだ。
結論
ここまででカラックスの生い立ち、映画作家としての彼のキャリアを確認し、「アレックス三部作」のそれぞれに見られるサイレント映画からの影響について論じてきた。やはりカラックスとサイレント映画は絶対的に切り離せない関係にあり、身体の躍動、映画内映画、乗り物の使用などでどうにかサイレント映画的な影響を自作に取り入れ、映画史へと挑戦する彼の態度はまさしく映画作家レオス・カラックスである。サイレント映画を現代映画の中で蘇らせることで、カラックスは独自の映画の文法を作っているのだ。本論文ではサイレント映画的なるものを「アレックス三部作」のそれぞれのシーンを参照して、紐解いてきたわけだが、改めて思うのはカラックスのその膨大な映画的教養だ。ゴダールの再来と評されることに納得してしまうカラックスの映画史からの引用は難解で複雑である。特にサイレント映画からの引用が複雑である。チャールズ・チャップリン、ジョルジョ・メリエス、バスター・キートン、フリッツ・ラング、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ、デヴィッド・ウォーク・グリフィスなど挙げるときりがない往年のサイレント映画作家たちをカラックスの映画の画面から見出すことができる。さらにサイレント映画からの影響は「アレックス三部作」以外にも見られる。また批評家時代のレオス・カラックスのキャリアの影響や文学からの影響、恋愛そして失恋など自伝的な要素も作中に多く見られるので、まだまだ研究は尽きない。カラックスが批評家時代に書いた『パラダイス・アレイ』の評論で書かれた「ひとつの長い悪夢に似ている」という言葉は当時の暗い映画少年カラックスを表している文章である。本論文では取り上げることができなかったが『ポンヌフの恋人』から数年後に作られた救いようのない憂鬱な映画である『ポーラX』の予兆だったのではないだろうか。カラックスは幼い頃に姉を亡くし、映画作家になってからは恋人を亡くしたりと、喪失感に苛まれる人生を送ることになる。本論文ではそんなひとりの孤独な寡黙な映画少年の実像に迫ることで、映画作家レオス・カラックスの実像を明らかにできたのではないだろうか。そしてカラックスが映画史においてどのように位置付けられているか、カラックスは作品を作るペースも寡黙であるが、そのどれもが高い評価を得ている。ゴダールの再来として国際的な映画作家として注目を浴びて、今もなお現代映画の第一線で活躍している。フランス国内はもちろんだが国際的に多大なる影響を与え続けている映画作家である。ゴダール亡き今現在の映画界においてまた衝撃的な新作を世界中が心待ちにしているのである。まだ六十三歳ということもあり、近年ではミュージカルに挑戦したりと、その実験的な精神は後続の若い映画作家たちをきっと刺激しているだろう。常に新しい波を映画界にもたらすレオス・カラックスは永遠に新作を期待される映画作家であるのだ。そう、断言していいだろう。