禅僧が割とマジで辞世の詩(遺偈)を読んだ話
紙を手に取ると、ある一文が目に飛び込んだ。「最期の時に過ごしたい場所はどこですか?(四択で)自宅 施設 病院 その他」
〈中略〉
そこで次に看護師さんがいらした時に聞いてみた。「あの紙、書いて置いておきました。」「あらぁ、ありがとうございますー」「私、けっこうヤバいんですか?」瞬間、看護師さんの目が泳いだ。それでも流石にプロだ、看護師さんはすぐに口を開く。「まぁー、診断は急性××××と書いてありますので……。」次の言葉は出てこなかった。どっちだ!?どっちなんだ!?急性××××だから生命の危険なのか!?それとも急性××××だから大したことないのか!?どっちなんだ!?!?!?
……大したことないなら笑い飛ばしてくれたろう。つまりは、そういうことか。
看護師さんは手早く用件を済ますと、すぐに退室なさった。
(ググっちゃダメだ、ググっちゃダメだ、ググっちゃダメだ……)心の声が読経のように切れ目なく警告してきたが、ググった。急性××××とは、
〈中略〉
看護師さんに頼まれたのか、すぐに先生がいらっしゃった。物凄く不憫そうな、話しづらそうな顔をしておられるような気がした。気がしただけだろうか?分からない。結局……質問する勇気が出なかった。
私は先日、入院しました。このnoteはその入院中の体験をつづったものです。入院中に日記のように書き綴ったものを、後日改めて書き直しています。
この入院が死の床になるのか……お医者さんに聞くことはできませんでした。しかし、そうなるかもしれない……入院していたその時はその意識で遺偈(ゆいげ)をしたためました。
遺偈とは、禅僧の辞世の句に当たる漢詩のようなもの。
それを作るにあたって、禅僧であり、三児の父である大慈は何を考えたのか。その心情をここに記そうと思います。遺偈そのものは公表しません。結局は無事に退院することができたため、そのものを公表したらお坊さん界隈の嘲笑を免れないでしょう。遺偈はあくまで『遺』偈ですので、その時宜は弁えます。しかしそれでは読者の皆さまは納得がいかぬでしょうから、せめて大意くらいは書くことをお許し願いたいです。
序文の最後になりましたが、初めて私を目にして下さった方のために自己紹介をいたします。
私は十数年、インターネット上で布教活動をしております曹洞宗の匿名僧侶・大慈と申します。最初は別名で所々のQ&Aサイトで仏教やお寺に関する回答をしていましたが、やがてお坊さん専門のQ&Aサイト「hasunoha」という所でハンドルネーム「大慈」を名乗る回答僧になりました。そしてhasunohaで数年活動した後、YouTubeに活動の場を移し、「仏教・お寺ch大慈」として仏教の教えやお寺の生活、よくある誤解やぶっちゃけ話、大本山總持寺での禅の修行生活の思い出話、読経や質問に応えるライブ配信など、仏教・お寺の世界をご紹介しています。よろしければYouTubeで「@chdaiji」と検索してみてください。
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