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お別れ会と送別会と退院祝い

金曜日。
台風10号の影響で午前中雨がひどい予報だったが、思ったよりはひどくなかった。

朝は利用者(保護者)に基本的に自力で登所を促したが
それが難しい利用者の送迎を頼まれ、急遽私が行ってきた。

その利用者宅は玄関に車をつけられなかったり、車椅子を段差で持ち上げなければいけなかったり、利用者が装具をつけているため、悪天候とは相性がすこぶる悪く
雲行きが悪いため、いつどしゃ降りになるか分からずヒヤヒヤしたが
なんとか小雨で済んだのでよかった。
帰りも同様だった、よかった。

 
金曜日は事務長の最終勤務日で、お別れ会だった。
朝から新施設長や前施設長に色々言われ、しんどかった。
お昼は手巻き寿司パーティーだったが、私は4/5くらいしか食べられなかった。
最近給食時間は動悸と吐き気が強く、食事のおいしさが分からなかったり、食事が楽しくない。
吐かないように必死だし、午後の仕事に支障が出ないように必死だ。

私がずっと食べられていないので周りの同僚は心配しているが
前施設長は全く気づいていない様子だし
新施設長は気づいているようだが何も言ってこない。

 
午後は事務長と利用者で楽しめるレクレーションを考え、司会進行をするように言われたが
当日前施設長との打ち合わせとは色々変更点があり、サッパリ上手くいかず、どうしようもない状態だった。
胃が痛かったが、私は場を和ませ、笑いをとった。

 
また、当日無茶ぶりもされ、私は慌てた。

ストレスはたまる一方だった。

 
今すぐ1億円をくれるなら、私は即退職したい。

 
 
事務長のことは好きだったけど、私は泣けなかった。
冷めた自分がいた。
事務長の代わりは入れないようだし、人情家の事務長がいなくなったら、前施設長と新施設長の暴走はますますひどくなるだろう。人手不足も確定に近い。

泣くより、胃が痛い。
別れが辛いより、私も辞めたい。そんな気持ちが強い。

 
早く帰りたかったが、お母さんからサポーターを買ってきてほしいと言われてドラッグストアに寄る。
自宅でピックアップを多用していると右手が痛いらしい。
サポーターはたくさんあって、どれがいいか迷った。

迷いに迷って買ったが、戸棚を整理したらサポーターが出てきた上、いざつけてみたら夏場のため蒸れるらしく、使っていない。

買ってきた意味がなかった。

 
 
 
 
土曜日。
どんより曇り空。
台風10号の影響で降ったり、降りそうだったり、そんな日々が続いている。

 
今日はいつもより30分早く出勤。会議だった。
今日は外部から講師が来て内部研修があると言われた。当日言うあたりが雑だと思った。
会議は相変わらずくだらない茶番の連続で胃が痛いし、更に来週からの仕事量を増やしてきた。
上は仕事を増やすばかりで、現場は更にため息を吐いた。しんどい。

  
会議後は事務長の送別会。
胃の調子が悪いので行きたくなかったが、他の体調不良の同僚も「会議は出なくていいから送別会は出ろ。」とパワハラを言われていたし、リーダー送別会も出ていないので、さすがにまた出ないわけにもいかない。
前の職場の送別会等の出席率は50%未満だったが(全体の場合。良好な関係の場合事業部ごとや仲の良い内輪でこっそりやっていて、そちらは100%の出席率)
今の職場は出席率100%なのがストレスだ(リーダー送別会は私以外出席)。

リーダー送別会の時は母親が入院したてだったので、それを理由に断ったが
今回は逃げられない。
しかし、リーダー送別会の時は母親が入院したてで、事務長送別会の時は退院したてとは。

 
 
送別会会場座席はくじ引きで、新施設長の向かい側の席の予定だったが、会場に着いて早々立ちくらみで私は倒れかけ、それを見かねた同僚が新施設長や前施設長にバレないように上手く座席を交換してくれた。優しくてありがたい。
前施設長は「体調大丈夫?」と心配したが、体調不良の同僚に会議より送別会優先しろといった言葉を私は忘れない。だから体調不良とはいえない。

 
送別会料理は小洒落たコース料理で、料理が運ばれる前から動悸と吐き気がひどかったが、野菜が多めでみそ汁もあり、魚料理やアイスもあったので最近の私にしてはまだ食べられた。

 
送別会は2時間くらいかと思ったが、3時間以上かかり
更に送別会後、現場の人だけで集まり、上のやり方への不満や仕事の負担について話が止まらず、解散は5時間後になった。
本当、上以外はみんな優しいんだよな、と改めて感じた。

 
 
帰宅後、お母さんとお父さんが牛丼を買ってきていたので私はぶち切れた。

①私は牛丼があまり好きではなく、普段は鶏そぼろ丼(売り切れ時はカレー)しか頼まないのだが、牛丼を買ってきたこと。

 
②体調不良な中、昨日は手巻き寿司、今日は外食とつづき、胃がやられて夕飯は食べられないと事前に伝えていたのに、肉というヘビーな物を買ってきたこと。

 
③追加で食材を買わないように言ったのに、牛丼を三人前も買ってきたこと。

※お母さん退院後一週間は私が夕飯を作ると食材を一週間分買ってきたにも関わらず、お父さんはそれをお母さんに伝えず、夫婦で出掛けた際、お母さんも食材を一週間分買ってきたため、食材がかぶっており、冷蔵庫が食材でパンパンである。

お母さんが、入院したのを機に大幅に冷蔵庫など整理をし(お母さんは次から次へと買ってくるため、入院前は冷蔵庫も冷凍庫も120%の食材で埋まっていた)、一週間分の献立を考え、無駄なく料理をし、冷蔵庫や冷蔵庫に隙間や余裕を作ったのに
それを台無しにされて私は苛々していた。

 
退院後、リハビリだからとお母さんは料理を作るが、私が組み立てた献立と違うものを思いつきで作る&父親がリクエストしたメニューを作るために更に材料を買い足すことで、食材は減りが悪かった。

更に、私も母親も現在食欲がなく、もともと小食だが、普段より今食べられていない。
(通常で、鶏そぼろ丼を私と母親が二人で半分こしてもまだ食べきれず、次の日持ち越し)

 
 
「何も話を聞いてないじゃない!食材無駄になるから、余計なものを買わないであるものを食べようって言ったじゃない!今夜私が夕飯作る予定だったのに、食材使おうとしたのに、夕飯作れないくらいしんどいなら、牛丼買う前にLINEしてよ!」

「私、ここ最近食欲ないって言ったじゃん!せめてお父さん(とお母さん)の分だけ買ってきなよ!お母さんだって今ろくに食べられないから残すようなのに。」

 
お母さんは泣きながら、「ともかが疲れているようだから肉を食べさせようかと…。」と言っていたが、「今、朝も昼も夜も野菜さえあまり食べられてないのに、肉なんか食べられるわけないじゃん!普段だって牛丼食べないのに!もう10年以上、私は(某牛丼チェーン店なら)鶏そぼろ丼一択なのに!」と私はまくしたてた。

お母さんは入院してから涙もろくなった。退院してからもよく泣く。
怒りたくないのに、苛々が止まらない。

  
お父さんもお母さんも疲れや老いから、話を忘れっぽくなった。理解力も減った。
特にお母さんは入院生活の影響か、一気に進行した。
それもまた苛々するのだろう。

私一人が二人の老後を背負うにはあまりにもヘビー過ぎて。

 
 
ワァーッと怒鳴り散らし、私は部屋で一人で一気に泣いた。

お母さんやお父さんに悪気がないのは分かっているけど、優しくなれない。
食欲がなくて体調不良な中、料理も冷凍処理も負担だし、頑張りたくないのに。
大量の食材をどうにかするしかない。大量の食材を見るだけで心やられる。いっそ捨てたい。でもできない。

 
お父さんが洗った食器類は汚れがまだあった。
ハァとため息をつきながら洗い直す。
これでは食器洗いを頼めない。言うとキレるから指摘もできない。

もう頑張りたくない。
もう疲れた。もう休みたい。
もうやだ。

 
 
 
日曜日。
週に一度の貴重な休みだけど、夜は姉や甥っ子が退院祝いをやろうと言ったため、私はまたため息を吐いた。

朝、簡単な朝食を作り(お母さんとは朝食時間が異なるため、洗いのタイミングがズレ、内心負担を感じる。私はご飯の時間がずれると胃の負担があるため、なるべく変えないようにしている)、ご飯ストックを作った後、スーパーで買い出しをした。

お母さんから頼まれたインスタントみそ汁を買うとこれじゃないと言われ
お父さんはお父さんで頼まれた薬ケースを買うとこれじゃないと言われ
二人でストレスを感じていた。

 
ネットで買い物をしてほしいが、機械が苦手で操作ができないし
まだ体調が不十分なので、直接店に連れてもいけなかった。
やはり予想通り、お母さんが退院してからの方が大変だ。

体はきかないが、口は達者なので
要望がありすぎてしんどい。遠慮がない。

 
午後、姉らが来るまで休んでいると、「今からお母さんがお風呂に入るから、浴室そばで待機していて。」とお父さんに言われる。
入浴は一人でできるが、念のため隣部屋にいなきゃいけないらしい。

イラッとした。
これからの休日ずっとこうなのだろうか。
本当は今日ライブ行きたかったけど、家族優先にしたのに、これからこんな日々が何十年も続くのだろうか。

 
疲れや苛立ちからお母さんの無神経な発言やお父さんの配慮のない言動に苛立ち、今日も何度も声を荒げてしまう。苛立ちが止まらない。
「いちいちケンカ売るな。」とお父さんにたしなめられ、お母さんは涙声になる。

私は一人部屋にこもり、泣いて過ごす。

 
 
料理を作っていると、お父さんも先にお風呂に入っていた。ずるい。

やがて姉や甥っ子がやってきた。
お寿司やケーキを買ってきた。
お母さんはまだ本調子ではないのだからそんなに用意しないでほしいし、長居はしないでほしいと事前に伝えていたが
「こういうのは気持ちが大事だろ?」と、姉は聞く耳を持たない。

お母さんはまだ座位が2時間しかできないため、姉や甥っ子が来た時はベッドで休んでいた。

 
姉や甥っ子、両親が食べている間
私は料理をしつつ洗い物を続けた。
「もっと野菜料理ないの?」と母親に言われてイラッとした。
今日の料理は本来ならば姉が全て用意するはずで、なんで私が更に追加で作らなければいけないんだ。
だからまだ本調子ではないと姉らに伝えたのに。

寿司やケーキを受けつけられないのに。
私もお母さんも。

 
洗っても洗っても食器がたくさんで泣きたくなった。
日曜日の夜は明日に備えて早く休みたいのに、今週は週六勤務なのに。

だけど、甥っ子は学校が忙しく、姉は仕事が忙しく、都合がつくのは今日夜しかなかったし
お母さんがコロナになったのも退院日と退院祝いがのびたのも仕方ないし
お母さんはずっと孫に会いたくて頑張っていたし
そう思うと
私は耐えるしかなかった。

 
相変わらず姉は私に気遣いはなかった。
従姉妹の方が私を何度も労ってくれた。

 
甥っ子次男は、入院中全く会えていなかったが、約半年ぶりの再会にしては淡泊だった。
お母さん入院前は月二回くらい会っていたし、よく懐いていたのに。
お母さんが変わったことに気づいたらしく、前のようにあまりそばに寄らなかった。どう接したらいいか分からないのもあるだろう。
以前は出掛けたり、遊びに連れて行ってくれたり、おいしい料理をふるまったおばあちゃんが弱々しくなって、ベッドに寝たきりや座ってゆっくりゆっくりご飯を食べていて、もう甘えられないと悟ったのかもしれない。
今まで毎月来ていたのが、もう半年会っていなかったのだ。
子どもの半年は、長い。

 
入院中何度か会っていた甥っ子長男はお母さんに寄り添っていた。性格だけでなく、年齢故の理解力の問題もあるかもしれない。

 
それでもお母さんは久々に孫に会えて嬉しそうだったし、姉は姉で前と変わらずにお母さんに苛立って色々言い返していたので内心ホッとした。
私だけじゃないんだ、と。

 
母と娘の関係なのだ。
障害者になったからといって言い返せなくなったら、それこそきっと終わりなのだろう。

私もお姉ちゃんも、おそらく一番ストレートに怒りを出せる相手がお母さんなのだから。
 
 
姉らは2時間で帰った。
普段は長居するのでありがたかった。
 
 
 
お寿司やケーキはやはり量があり、食べきれなかった。
またケーキが余った。明日食べるしかない。

「いちいち心配しなくてもなんとかなるだろ。じゃあ寝る。」

お父さんはサッサと寝た。
お母さんも疲れたらしくてサッサと寝た。


 
私は一人取り残される。
 
私は洗い物をしながら泣いた。
なんで私があたりまえのように頑張らなきゃいけないのだろう。
お父さんはお父さんで頑張ってはいるが、お父さんはこれからしばらく仕事休みなのだから、ずるいと思ってしまう。

お別れ会も送別会も退院祝い会も、我慢ばかりで疲れたよ。早く日常に戻りたい。

  
体重はこの3日間で更に減っていた。

 
 
 
休みたい。
休みたい。

休みたい。



 



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