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海に還り、私はただの貝になりたい

私は海で泳ぐよりも貝を探すことが好きな子どもだった。

私の住む県は海なし県だ。
だから県民の人は基本的にみんな海が好きで
海を見ると、もれなくハイテンションになる。

 
私の家は毎年一回海に泳ぎに行っていたので
幼い頃は年に一回の大イベントが海だった。
海はクリスマスに近い特別感がある。

一人で海には行けないし
年に一回しか海には行けない。

足に絡みつくような砂や
砂浜の独特の熱さや
青というより灰色に近い海や
少し生臭い独特の海の匂い。

 
私はそれらがあまり好きではなかった。

 
あくまで私が好きなのは海を見ること、海に行くことであり、泳ぐことに重きは置いていなかった。
砂浜で砂遊びをしたり、浮き輪を使って波に乗ることは好きだった。
だが
泳いだ後にシャワーの長蛇の列に並んだり
大混雑の中、更衣室で着替えたり
思い切り日焼けをして少々ヒリヒリすることは
子ども心に楽しいとは思えなかった。

 
でも海には、貝拾いがある。

 
私と姉は小さな袋やバケツを持ち、砂浜に落ちている貝を拾った。
貝殻はたくさん落ちているが、キレイな貝殻というとあまり落ちていない。
色合いが白やピンク色のロマンチックな貝はあまりない。
だから、時折キレイな貝殻を見つけると嬉しかった。

毎年貝殻をいくつか持ち帰っては、うっとりした。

 
 
私が貝殻に憧れていたのは
童話の人魚姫が好きだからかもしれない。
カラフルな貝をアクセサリーや乳当てに使用している絵は
海なし県ドリーマーな私の胸をギュッと掴んだ。

大人になって現実的な目線で見ると
年頃の女の子の胸を貝で隠したり、貝を押し当てるのは無理があるよなぁと思う。
胸は上手く隠しきれないし、貝だと胸が痛そうだ。

 
「森のクマさん」の歌は
白い貝殻の小さなイヤリングを女の子が落とした内容だが
それを歌いながらも私はイヤリングに憧れた。
白い貝殻の小さなイヤリング。
なんというパワーワードだろう。
私も欲しくなったが、案外白い貝殻の小さなイヤリングは売っていない。
 
白い貝殻の小さなイヤリングを手に入れることも身につけることもなく
私は段々と大人になり、今では特に欲しいとは思わなくなった。

 
 
 
小学校四年生の時、雑誌で御木本幸吉さんの伝記マンガを読んだ。
読む前からミキモト真珠は知っていたが
真珠の養殖に苦戦しつつ、真珠ができた時に感動しながら一粒掴むシーンが非常に素晴らしく描かれており
貝から真珠をとることや真珠に憧れを抱いた。
三重県に行きたくなった瞬間である。

 
いつか行きたいと思いつつ、なかなかに家から三重県は遠い。

近年、真珠のガチャガチャがあるとか
しながわ水族館で真珠取り出し体験ができると知ったが
今のコロナ状況では行くに行けないのが残念だ。

 
イミテーションのパールのネックレスを身につけるので精一杯だ。
それはそれで、テンションが上がることは上がる。

 
 
 
初めて沖縄に行った時はそれはもうはしゃいだ。

沖縄には貝殻や珊瑚や星の砂をモチーフにしたお土産はやたら売っていたし
なんといっても海の美しさが桁違いだ。
関東の海と全然違う。

海辺も砂浜ではなく、珊瑚の欠片がゴツゴツしていた。
珊瑚がある辺りがThe沖縄だ。
関東の海は素足で泳げるが、沖縄の海は下が珊瑚の欠片なので、ビーチサンダルをはいておかないと、下に足をつけた時に痛い。

 
沖縄の海は美しいだけでなく、珊瑚の欠片や貝殻も美しく、泳ぎよりそちらに夢中になった。
姉が生理になってしまったので、一人で泳いでもつまらない、というのもあった。

 
 
 
小中学生の頃、「ベイビィ☆LOVE」という漫画に私はハマった。
好きな人に好きな人がいようが
モテようが
好きな人から何回フラれようが
好きな人に真っ直ぐな主人公せあらが好きだった。
身長が高いところに共感したし
好きな人のためならばと自分磨きを怠らない姿勢も凄まじいと思った。

両想いになった後、せあらは恋人から浜辺でピンク色の貝殻をもらうのだ。
ピンク色の貝殻をその浜辺で好きな人からもらうと、恋が成就すると言われているらしく
それを知った恋人がせあらに渡すのだ。

ついでに言えば、せあらに片思いの男の子もピンク色の貝殻を渡し
三角関係でバチバチするのもこの海だ。
青春である。

 
 
そんな話を海辺で当時付き合っていた彼氏にした時、私もピンク色の貝殻を渡された。
関東の海だ。
ピンク色の貝殻なんて滅多にない。

その偶然に私は喜んだし
ベイビィ☆LOVEを読んだ頃
まさか自分も未来で同じことをされるとは思わなかった。
気分はせあらだった。
恋に恋していた。

 
だけどその恋は実らずに終わった。

少女マンガはいいなぁと思う。
ヒロインはかわいくてみんなから愛されて親友も家族もいて
当たり前のように優しいイケメンがいて
両想いになれて
それでいて自分に片思いのこれまたイケメンがまだいるのだ。 

少女マンガはいつも両想いで終わり
小中高時代の彼氏と結婚し、しっかり子どもも生んでいる。

 
夢物語だと思った。

この世の中に、初恋の人と周りに祝福されながら結婚し、健康な子どもを授かれる人がどれだけいるのだろう。

 
 
少女マンガは当時の私に夢を与えた。
ある意味、私は夢を見すぎたのだろう。

 
私はヒロインにはなれない。

  
それをかつて付き合っていた人や告白してきた人達から強く思い知らされた。
彼等は「愛してる。」と言ってもやがて他の女性を愛した。
私に一途な人は私を強く束縛したり、独占しようとした。

怖い。
なんて恐ろしいのだろう。

 
 
道行くカップルや幸せそうな家族が羨ましかった。

私は何かが足りないのだ。
だからあの幸せに届かない。

私と波長が合い、かつ、心変わりをしないでずっと私を一番に愛してくれる異性が
この世の中にいるとは思えなかった。

 
むしろ、そんな人に今出会ったら幸せよりも恐怖を感じる。
大どんでん返しがありそうな気がしたり
騙されているのではないかと感じたり
失う怖さに怯えてしまう。

 
だからこのまま一人でいい、とも思う。
恋に憧れるくらいならまだ楽しいが
いざ付き合ったりして一線をこえると
私はこりずにまた夢を見てしまいそうだ。

夢を見たり、期待をしては
もう何度も傷ついているというのに。
一度傷つくと、それが癒えるのに膨大な時間や労力を要するのに
何故人はそれでも恋に憧れ
人を好きになるのだろう。

 
 
報われない恋ならば、海の底で物言わぬ貝になりたい。

「誰にも邪魔をされずに 海に帰れたらいいのに
あなたをひっそりと思い出させて」

ポルノグラフィティのサウダージの歌詞は
発売当時も今も
私の胸を締めつける。

 

 
  
海に還りたい。


 
 





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