入院64日目:初めて買った夕飯
朝から暑い。最高気温28度予報だ。
5月にこの暑さは困る。
朝、お母さんに施設の畑の写真を送って見せる。
畑の改善ポイントや野菜作りのコツを聞くためだ。
既読にはなったが、返事は来なかった。
リハビリが疲れているのかもしれない。
街中で様々な年配者を見る。
元気に歩けている人、杖で歩けている人、人それぞれだ。
見ていると切なくなる。
お母さんより年上の人達がお母さんより元気に歩いているから。
早い。
早すぎた。
いやでも、世の中には生まれつき障害がある人もいるし
若くして障害者になった人もいる。
比べるのは違う。
分かっている。
それでも、なんでうちのお母さんが、と思ってしまう。
お母さんは5回目のコロナワクチンを打った1年前くらいからなんとなく体調が悪いと言っていた。
脊髄梗塞の要因はまだ不明だ。
ワクチンのせいだろうか。
はたまた、木を植えかえたからじゃないかとも気にしていた。祟りだろうか、と。入院後慌ててお父さんが塩をまいていた。
要因が分からない。
だからこそ、何かが違えば今がちがかったのではないかと、今でもときどき考えてしまう。
私も父も。母も。
仕事帰り、駐車場で同僚複数人で話した。
6月は大きなイベント出店があり、また仕事でも新たな動きがあり、バタバタして忙しそうだ。
同僚が一人、また一人…と帰った後、新人さんと二人で話した。
新人さんと仕事帰りが一緒なのは初めてだった。
「仕事に自信がない。」
「自分がここにいていいのか分からない。」
「分からないことが分からない。」
「前の施設とやり方が違いすぎて戸惑う。」
そんなことを口にしていた。
働き出して一週間ぐらいした時も同じようなことを言っていた。
あぁかつての私だと思った。
大手で働いていた人が働き出すとみんな自信をなくす。
周りの同僚がすごすぎて自信をなくす。
毎日作業ややることが多すぎてバタバタしていて、上手くいかなくて、分からなくて自信をなくす。
私も、私の次に採用された方もそうだった。
みんな通る道だ。
そして多分これが理由で
かつて正職員は一年以内で仕事を辞めていったのだろう。
私は言った。
私も働き始めはそうだったこと。
すぐに辞めると思っていたこと。
前の職場に骨を埋める気だったこと。退職してからも前の職場が大切なこと。
他の職員も働き始めは何もできなくて分からなくて、だけど段々と役割が増えていったこと。
私は不器用だから、ものづくりが得意ではなくて
だからものづくりが主の作業である今の職場で
私は戦力にはなれないこと。
四年目の今も、私はここでの仕事に向いているとは思っていないこと。
「そうですか?全然そうは見えないです。真咲さん、色々仕事できるし、いつも仕事教えてくれて、真咲さんがいてくれてよかったなぁって思います。」
「ものを作ることだけが、仕事じゃないじゃないですか。真咲さんは仕事できる人ですよ。」
私はウルッとしそうになった。
私の何かが新人さんに伝わったなら嬉しい。
「前施設長、顔は笑顔ですけど怒りが隠し切れてないですよね。あの人の言葉、傷つきますよ。」
今度は笑ってしまった。
あぁだから私は前施設長が苦手なのかもしれない。
新人さんとガッツリ話した。
気がつけば一時間以上経っていた。
色々たまっているのだろう。
少しでもガス抜きができたならいいのだが。
リーダーがかつて私の話を聞き、心を軽くしてくれたように
あの頃リーダーと話した場所で、リーダーが退職した後に採用された人と今こうして話している。
縁だなぁと思う。
人生は出会い、別れ、そして始まりの繰り返しだ。
リーダーも今は新しい職場の人と話しているのだろうか。
得意の冗談で場を和ませているのだろうか。
帰りが大幅に遅れた。
夕飯メニューを変更し、コンビニでそばを買った。
後はチヂミを焼き
残りもので夕飯にした。
当日急遽夕飯を買って帰るのはお母さんが入院以来初めてだ。
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