オバサンになってもオバヤンになっても
小学生の頃、30代の人をオバサンだと思っていた。
10代はお姉さん
20代は大人の女性
30代以上はオバサン
60代以上はおばあちゃん
だと大雑把に認識していた。
誰に教わったわけでもなく、なんとなくのイメージだ。
小学生の頃、自分の誕生日が待ち遠しくて
年を重ねることが怖いどころか嬉しくてたまらなかった頃
私より10歳以上離れた女性達がどんな気持ちや立場かなんて
当時の私はまるで分かっていなかった。
私にとって叔母にあたる人を、私は「叔母さん」と呼んだことがない。
「●●ちゃん」と下の名前にちゃん付けで呼んでいた。
小さい頃はなんとも思わなかったが
小学生過ぎくらいに違和感を感じた。
何故、友達のように私は普通にちゃん付け呼びをしているのだろう…
考えてみれば妙だった。
遠縁の親戚の人に対し、「名字(下の名前) + さん」とか、「○○(地名)のおじさん、おばさん」等呼んでいる。
大人の人に対してはそれが普通だし、それならまだ分かる。
だが、父の兄弟やそのパートナーを、私は疑いもせずに「●●ちゃん」と下の名前 + ちゃんで呼んでいた。
考えてみれば、叔父に当たる人に対しても、「叔父さん」とは呼ばなかった。
叔父や叔母にあたる人にこそ
叔父さんや叔母さんとは呼ばず
遠縁の人(60代以上)ほど、おじさんやおばさんと呼ぶ。
私は自分の中の定義と、実際の呼び方の不一致が不可思議だった。
私がおじさんやおばさんと呼ぶ人は、私の中の定義なら、年齢的にはおじいちゃんやおばあちゃんだ。
だが、あくまでおじさんやおばさんとしか呼ばない。
おじいちゃんやおばあちゃんという呼び方は
自分の祖父母や友達の祖父母に対してしか
使ってはいけない印象があった。
父の兄弟やそのパートナーの人に対して
私はやがてちゃん付けで呼ぶのは失礼な気がしてきた。
私は成長と共に「●●(下の名前)叔父さん」と呼ぶようになり、パートナーの女性に対しては「●●さん」と下の名前で呼ぶようになった。
ただ、父の姉にあたる叔母さんに対しては
変わらずに下の名前ちゃん付けをしている。
私に対して、一人称で自身をそう呼んでもいたし
私にとってはやはり「叔母さん」と呼ぶ気は何故か起きなかった。
そのカラクリは、やがて私も身を持って分かっていく。
小学生時代、私は既に身長が160cm以上あり、顔は老け顔で、洋服も野暮ったかった。
近所のスーパーで大学生に間違われたことは未だに忘れない。
そんな見た目は大学生、中身は小学生の私は
やがて中学生になった。
小学生の頃、中学生はもっと大人だと思っていたら
そんなことはなかった。
むしろ、小学生時代に男子からガリ勉や地縛霊と揶揄された私が
エロエロボンバーやウンババと呼ばれるようになったのだから
進化というより退化かもしれない。
なかなかの状態変化である。
小学生時代、セーラームーンで育った私は
高校生になれば放課後デートをしたり、彼氏ができるのは当たり前だし
クレープ食べ歩きがマストだと思っていた。
女子高生は青春だし
青春は女子高生とも言える。
だが、彼氏はできなかった。
周りを見ても、彼氏がいる人は選ばれた人達だった。
そういえば、セーラームーンも、彼氏がいる人は少数派だった。
みんな、あんなにかわいくて優しいのに、恋愛は割としくじっていたんだった。
伸びに伸びた身長は165cmで止まり、老け顔が加速して20代に見られることはなかった。
制服効果もあり
中身も見た目も無難な女子高生だった。
段々と、ズレを感じながら女子大生になった。
やはり小学生時代に思い描いた女子大生ではない。
相変わらず彼氏はできないし
テニスサークルにも入らないし
他大学との交流もなかった。
小学生時代から比べたら大人になったろうが
思い描いた女子大生とはほど遠かった。
ただ、この頃から嬉しい誤算があった。
若く見られるようになったのである。
居酒屋で年齢確認をされることはなかったが
20代の頃は実年齢より若く見られた。
小学生時代に大学生に間違われた老け顔の私は
大人になってから若く見られるようになった。
人生は何が起きるか分からない。
私は有頂天だった。
なんせ老け顔老け顔と蔑まれてきたし
自分でもコンプレックスだった。
この頃は痩せていた時期でもあり
自分を美人とは思わないが
若いとは思っていた時期だった。
そんな私が20代後半に差し掛かった。
その頃、アラサーという言葉が生まれた。
30歳前後の年齢の女性を指す言葉で
非常に使い勝手がよかった。
年齢を聞かれたらアラサーと言えば誤魔化しがきくし
アラサーはJKのように、一種のブランドだった。
アラサー向けファッション、メイク、本等
世の中はアラサーに向けたビジネスが急成長していた。
アラサーにカテゴライズされたのは悪い気はしなかった。
アラサーは大人女子の称号だ。
おそらく小学生時代に憧れた大人女子はアラサーなのだ。
仕事も趣味も恋も、人によっては結婚や子育てに燃える
人生の始まりや変化や安定が入り乱れる。
女性の質や個性があらわれる、面白い時期だと思っていた。
アラサー同士ならそれだけで分かち合える気がした。
アラサーはもはや合言葉でさえあったのだろう。
だが、26~27歳ならまだよい。
29歳以上になると、アラサーの隠れ蓑に隠れているだけではないのかと思いだした。
「女性にハッキリ年齢を言ったら失礼だから、少し年下に見えた設定にする。」
男性から言われた時に、私は焦りだした。
女友達は外見や中身を褒める。
女性陣の「若く見えるねー!」はお世辞の可能性もある。
男性は正直派と空気読む派に分かれる。
どっちだ?
私は年相応なのか?
老けてるのか?
本当に若く見えるのか?
30歳前後は、アラサーの言葉に甘えていないか不安だった。
20代までは許されても、30代になったら色々しっかりしないとまずい気がして仕方なかった。
仕事先の同僚や保護者からは、30代になっても、いつまでも20代に見られた。
入社した時の印象が強いらしいし、確かに私も周りの同僚の年齢は入社時で止まっていて
実年齢を確認するたびにお互いに驚いた。
お互いに皺は増え、白髪は増え、皮膚もハリがなくなってきて
確かに年は取っているはずだが
入社した時から年齢は増えず
私はみんなにとって、20代アラサー職員だった。
「え!?ともかさんってもう○○歳だっけ!?27歳のイメージで止まってる!!」
何人にもそう言われるたびに
どうかその言葉が本心から出たものならいいのにと思った。
30歳を過ぎても、私は自身をおばさんと思えなかった。
家族や周りの男性も悪ふざけで言っても、しっかりとおばさんと呼ぶ人はいなかった。
小学生の私が思うよりずっと、30代はおばさんじゃなかった。
私はアラサーなだけだった。
そう、私は思っていたが、30歳を過ぎて周りに変化が出だした。
友達の一部が「私ももうオバサンだしさ」と言うようになってきたのだ。
私は焦った。
友達がオバサンなら、同級生の私もオバサンなのか?
アラサーという言葉に逃げているだけで
私は若作りしている痛いオバサンなのか?
イタイ女性なのか!?
私は周りの友達と話して、法則に気づいていった。
アラサーに差し掛かる前……25歳くらいまでに結婚した女性の一部が、30歳を過ぎて自称オバサンになったのだ。
確かに結婚すると苦労するからなのか、友達はみんな老けた。
顔立ちはきれいだが、老化のスピードは独身者より早かった。
妊娠や出産、子育ての影響もあるだろう。
彼女達は選ばれた存在だ。
もう妻で母なのだ。
キレイに着飾って、外で女になって、異性に魅せる必要は独身者ほどなくていい。
大体、元がキレイなのだし、結婚した人は全体的に老化スピードが速いだけなのだから
誰かが特別オバサンなわけではないのだ。
あくまで、自称だ。
………と思いたいが
私はドキドキしていた。
たかが30代。
されど30代。
やはり一般から見たらオバサンだ。
アラサーだと意地を張っている内に、若い子にどんどん負けて、恋愛が上手くいかず
加齢と共に容赦なく老化し
誰にも選ばれず、見向きもされなかったらどうしよう。
どうしよう…
女性の武器は若さだ。美しさも大切だ。
30代独身アラサーは、不利だった。
たかが一歳差で一喜一憂し、誕生日が嬉しくなくなっていった。
結婚している人より多少若く見られるからどうだというのだ…
結婚して子どもがいて、美しく年を重ねられたらそれが一番じゃないか。
結婚している人の、自称オバサンが羨ましかった。
現実を受け入れられるからこそ
受け入れられるほどの現実だからこそ
自分をオバサンと言えるのだ。
私は言霊を信じている。
30代独身で自身をオバサンオバサンと言ったら
本当に老け込んでしまう。
自分にそんな暗示はかけてたまるかと思った。
ただ、この頃、今まで似合っていた服が急に似合わなくなったり
生地によって合う合わないがひどくなり、肌荒れをするようになった。
オバサンかどうかはともかく
30歳をターニングポイントとし
確かに自分の心身が変わっていくのは感じた。
姉は私がアラサーになる前に出産した。
私は甥っ子に、下の名前にちゃん付けで呼ぶように促した。
20代はまだオバサンじゃないし、甥っ子にオバサンなんて呼ばれたくないもん。
そう思った時、私はハッとした。
これだ。これなんだ。
今より昔は結婚が早い。
私が生まれた時も叔父さんや叔母さんはまだ若かったから
こうやって下の名前でちゃん付けで呼ばせたのだ。
そして、やがて子どもが成長して
大人が30代40代50代になっても
ちゃん付けで定着しているから変わらないのだ。
なるほどなぁと思った。
私もきっとこれから先もずっと
甥っ子にはオバサンと呼ばせないだろう。
私は立場上は叔母だが
オバサンにはなるものか。
今年、友達と喫茶店でご飯を食べていると、知人と偶然会った。
知人の娘である小学生の女の子が私の元にやってきて、「オバサンはなんて名前?」とストレートに聞いた。
私はその時、男友達三人と過ごしていて
その三人の顔がサッと青ざめて緊張が走った瞬間を見逃さなかった。
「オバサンじゃなくて、ともかちゃんだよ。」
すかさず男友達の一人がフォローに入る。
その男友達の株が内心爆上がりしたのは確かであった。
女の子「覚えられなーい。ねぇオバサン、どこの人?」
知人は何も言わないのだから、他所様の娘に私が余計なことは言えない。
私「オバサンでもいいよ。」
そう強がる私に、男友達は何度も同じ台詞を言い、その女の子はそのたびに何度も同じ台詞を言い、私も同じ台詞を繰り返した。
小学生から見た私はオバサンだろう。
そりゃ私だって当時感じたし
それは仕方ないのだ。
実際、女の子の母親が私と似た年齢だったから、なおさらそう感じたのだろう。
店内のお客さんは私とその女の子しか女性はいなくて
悪気は全くなく
むしろ社交的で私と話したかったり、懐いてくれていたのだろうが
なんせ私は子どもが得意ではない。
対応に心底困ったし
正直なことを言えば
見知らぬ人にオバサンと連呼するような子と
必要以上に関わりたくない。
知人は私達に子どもを任せたり、行ったり来たりをしたりをしている状況で
オバサンオバサンと連呼されて懐かれて
一時間以上が経過した。
休日に友達とお茶しに来たのに、なんだってこんなことに……
内心泣きたい気持ちだった。
ただでさえ無職独身30代彼氏なしで打ちひしがれているのに
オバサンと呼ばれ
その子の母親は似た年でバリバリ働いていることも聞かされ
私は色々負けた気持ちになった。
私だけじゃなく、友達もオジサンやオジイチャンと呼ばれ
逆に私はそのたびに名前を伝え続けたが
彼女は全く覚える気はなく
知人も全く窘めず
そうなると大人げないので
私はそれ以上は何も言えなかった。
私が老けていたからオバサンと呼ばれたのではなく
彼女にとって年上の人全てがオジサン、オバサン、オジイチャンなだけで
遊び相手としかみなしてないから
名前を覚える気もないのだろう。
それは分かっていた。
幼さ故なのだ。
だが、とりあえずその一時間以上で
子どもに対してより苦手意識が高まったのは確かだ。
私が大人げないのは分かっているが
めちゃくちゃに傷ついた。
お店に行かなきゃよかったと心底思った。
まぁ確かにオバサンだけど…
一時間以上連呼されるのは本当キツいな………
私は泣きたくなった。
人生で見知らぬ子にガチでオバサンと呼ばれたのは初めてだし
連呼され続けたのも初めてだった。
ただ、男友達の一人がひたすらに大人の対応をしてくれたから
そこだけは本当に救われた。
ちょうどその前日に他店で店員さんに「大学生ですか?」と言われて舞い上がっていたので
余計に堪えたのだろう。
結局私は自分が今
年相応な見た目なのか
老けているのか
年相応な中身なのか
考え方が幼稚なのか
いまいちよく分からなくなった。
私がまだ施設で働いていた時、三歳年下の利用者がいた。
小柄で童顔でかわいらしく、愛嬌もあり、純粋さもあり、それでいてオバチャンくさいような所帯染みた口癖もあった。
年齢差としては妹のような立場だが、私としては娘のように思えた。
かわいくてかわいくて仕方なかった。
ある日、男性職員が何らかでからかった。
すると彼女は顔を真っ赤にして怒った。
「私、オバヤンけ!?オバヤンけ!?」
必死に怒っていた。一所懸命な子だった。
障がいがあろうとなかろうと、オバサン扱いは心外なのだ。
オバサンじゃなくて、オバヤンと怒るところがオバサンくさい……と内心思いつつ
あまりの必死さに、私は思わず大爆笑してしまった。
私「アッハッハッハ(笑)オバヤン(笑)オバヤン(笑)」
思いがけず、自分の発した言葉で私が大爆笑したので
彼女も嬉しくなったり、面白くなったらしく
「オバヤン(笑)オバヤン(笑)」
と、彼女も大爆笑しながら言い続けた。
それが更におかしくて、二人で大爆笑してしまった。
それで怒りがどうでもよくなって、男性職員が何を言ったかは二人ですっかり忘れてしまった。
私「オバサンより、オバヤンのがなんか響きがかわいいね(笑)ともかさんもこれからオバヤンになるよ(笑)」
利用者「ともかさんもオバヤン?」
私「オバヤン(笑)」
利用者「ともかさんと一緒?オバヤンで一緒?」
私「30歳過ぎだからねぇ…二人一緒なら、オバヤンでもいいんじゃない?」
利用者「オバヤンだ!同じオバヤンだ~!」
そう笑い合ったのは仕事を辞める数ヶ月前だった。
あの笑い合った日が、ひどく遠く感じる。
年を重ねることは止められない。
オバサンになってもオバヤンになっても
私はあそこで働いていたかった。
利用者と一緒に年を重ねていきたかった。
大好きな利用者や仲間と時間を共に過ごすことこそが
私の最大の「のぞみ」だったのに。