脊髄梗塞と診断され、退院から一ヶ月後の今
今年、お母さんは急に具合が悪くなり、救急搬送された。
脊髄梗塞と診断され、約5ヶ月入院していたが、8月に退院した。
退院日前日に陽性となり、退院日は延期となった。
毎日やっていたリハビリは中止となり、体力が落ちた状態での退院だった。
退院して一ヶ月以上が経った。
あの頃私は、お母さんが退院してからが本当の戦いだと思っていたし、退院してからがより大変だと思っていた。
お母さんが入院していた頃も大変だった。
職場で頼れるリーダーがお母さん入院の同時期に退職し、大幅な人事異動で現場はグチャグチャになり、仕事の心身負担は大きかった。
慣れない家事や料理に追われ、毎週お見舞いに行ったり、動けない母のために差し入れ買い出しや、退院後の生活に向けて断捨離したり、新たなお母さんの部屋や生活用品を準備したりと、バタバタだった。
人知れず泣いた夜や眠れない夜もどれだけあったか分からない。
それでも私は、退院後の生活の方が不安で怖かった。
いざ退院し、久しぶりに一緒に暮らすようになり、想定外のことはたくさんあった。
今回は退院後の生活で気づいた点や気になった点を書いていきたいと思う。
【退院前の想像と実際現実】
①料理
(想像)
・お母さんは座ってホットプレート料理をしたり、キッチンで料理をするだろう。
キッチンで料理をする際は立ちっぱなしは疲れるので、椅子を用意するよう理学療法士さんから助言があり、退院前に用意した。
・退院してから一ヶ月くらいは私が夕飯作りをするだろう。
・朝昼、お母さんに作り置きを用意しなきゃいけないだろうか……でもレンチンできるかなぁ?冷蔵庫から物の取り出しや、ポットでお湯を入れたりできなさそう……。
・お母さんから、日中の食器洗い負担を減らせるように紙皿や紙コップを大量に買うよう指示があり、退院前に用意した。
↓
(現実)
・退院二日目からお母さんはご飯作りを開始。
・ホットプレート料理は、退院直後はよく使っていたが、片付けが面倒なため、今は使っていない。
・紙皿や紙コップも退院直後は使っていたが、すぐに使わなくなった。
最初はワンプレートご飯にして洗い物を減らそうと思っていたようだが、我が家の食事スタイルには合わず(おかずが多い)、私の洗い物が増えたため、ワンプレートご飯スタイルも取りやめる。
・血圧を気にして、塩分控えめ料理を作るようになる。
・うどんやみそ汁、きゅうり浅漬けをよく作る。凝った料理は難しく、炒めるだけ・切るだけの短い時間で作れる料理が中心。
・平日の朝昼夕のご飯作りや用意はお母さんが担当し、私が仕事休みの日は私が担当。
・レンチンやポットの利用は一人ではできない。
・米とぎは私が担当(母は無理すればできる)。
・食器洗いは私がいる時間帯は私が担当(母は無理すればできる)。
・母親が料理をする時は基本的に父親が補佐役をする。母親ができない過程は父親がカバー。
私が料理担当の時は父親は手を出さない。
・母に教わり、父は米とぎを練習したり、炒飯作りにチャレンジ。
・母親が元気な時及び入院中私が料理担当時、レンチンで温めたり、残りものにラップをするといったこともやらず、基本的に座ってご飯を待ち、食べるだけだった父親。
最近は、私が仕事から帰ってくると、みそ汁をよそう気遣いができるようになった。
また、私が食器洗い中、母と手分けして残りものにラップをし、冷蔵庫に自発的に入れられるようになった。
②買い物
(想像)
・お母さんが退院したら、父親の休日や空いた時間にスーパーなどに連れて行ってほしいと言うだろう。
私もたまには連れて行くだろう。
・普段は室内ではピックアップ移動だが、スーパーでは車椅子移動になるだろう。
母親の車に車椅子を入れっぱなしにし、お母さんと出かける時は母親の車を運転しよう。
保険を変え、私も母親の運転ができるようにしておこう。
・冷蔵庫や冷凍庫、母親がいない間にキレイにし、ものを減らしたのにまたものが増えそうだな…(母は捨てられない人)。
↓
(現実)
・体力や体調面から、スーパーには退院日にしか父親と行っていない。
・買い物は私か父親が基本的に行う。
・冷蔵庫や冷凍庫は以前よりはいっぱいにならないが、母の食の変化や、高いところは届かないことから下の段に置きがちになっている。
食べもの量は増えつつある。
③食事
(想像)
・入院前、朝か昼どちらかはパンを食べていたし、退院後はそうなるだろう。
・私がタッパーでおかずを作り置きしたり、お弁当作った方がいいかなぁ。
↓
(現実)
・退院直前に陽性になった影響で、退院してから3日間くらいお粥生活が続く。
食事量が著しく減る。
徐々に食欲は戻ってきたが、体調不良により、退院後三回、お粥時期あり。
・退院後、血圧を気にして塩分控えめ料理を好むようになり、食べる料理も薄味となる。
例えば卵かけご飯は醤油をかけない。
・朝はパン派だったが、ご飯派になる。
以前は納豆ご飯派だったが、今は生卵かけ納豆ご飯を好む。
・食事量は減っている。
・以前より甘いお菓子などは食べなくなったが、入院前も今も食事後の果物は食べる。
・料理は父親と二人三脚で行い、父親が料理をよそったり、テーブルに運ぶ(父親が午後から出勤のため、朝ご飯と昼ご飯は一緒に食べる)。
④入浴
(想像)
・床に滑り止めマットを敷き、一人でお風呂に入るのだろう。浴槽にはつからない。
・毎日お風呂に入るのだろう。
↓
(現実)
・入浴時、何かあった時のため、隣室に私か父親が待機。
・入院中と同じく、週三回のみ入る。シャワー浴。
冬になったら入浴希望。
・最初はマットを使用していたが、介護用入浴椅子を購入し、今はそこに座ってシャワー浴をしている。
⑤外出
(想像)
・病院生活も飽きただろうし、天気がいい日は庭や公園に行きたがるんだろうな。外出したがるだろうなぁ。
・道の駅くらいは行けるかな。
・10月のコンサート行きたがっているけど、体力戻るかなぁ。
・体力ついたら、一緒に映画やライブ行けるかなぁ。
・補装具はつけなさそう。
↓
(現実)
・退院後、外出は病院・美容院・銀行・デイサービス見学のみで娯楽や買い物目的の外出は一切なし。
・外出したいという要望なし。
・退院後、尾てい骨の痛みを毎日訴え、車椅子座位は長時間できない。
・室内座位は2時間が限度(その間何度も立ったり座ったりする)、野外リハビリは30分が限度。
・とにかく体調不良になりやすく、それに伴いメンタルもやられやすい。
外出どころか、室内での活動も難しく、テレビを見たり、音楽を聴くことが多い。
・補装具はリハビリ時のみ使用。
・ピックアップで室内を移動したり、テラスの花に水あげは行う。
⑥体調とメンタル
(想像)
・血圧が上がりやすいから、リハビリやりすぎには注意しよう。
・ライブは興奮して血圧が上がるからもう一緒に行けないかもしれないなぁ。
・入院中、よく足をさすっていたから、退院後もそうだろうな。
・お母さんは前向きだから、体力さえ戻れば外出も楽しめるだろう。
・イオンとかで歩行訓練して、リハビリない日は一緒に体力つけよう。
↓
(現実)
・疲れやすい。体調を崩しやすい。
・認知機能の低下が見られる。
・朝~午前中は体調がよいが、波がある。
・体調面で、気圧の変化に敏感。
・相変わらず血圧が上がりやすい。一日二回服薬してもすぐに150~180になってしまう。安定していれば130くらい。
・毎日尾てい骨の痛みの訴えあり。車椅子座位が難しい。
・つま先からふくらはぎにかけて痺れがあり。
・体のほてりや悪寒訴えあり。気温とそぐわない格好をしたり、扇風機や暖房調整が家族とは合わない。
・腹部違和感訴えあり。排尿機能障害あり。トイレの回数が日によっては多い。
・退院直後は毎日10時間ほど寝ていた。今は夜不安から不眠あり。
・リハビリ後、体のあちこちの痛み訴えあり。リハビリがなくても体のあちこちの痛み訴えあり。
湿布やアンメルツヨコヨコ対応。
・ピックアップを小型にしたら、手の痛みが強くなったため、サポーター購入。サポーターをつけると蒸れたため、使えず、ピックアップは大型のものを使う。力むのかやはり手の痛みあり。
・入院前は明るくポジティブで、サザエさんのようだった。入院中も前向きに頑張っていたが、退院後毎日のように泣いている。
ネガティブな発言も多い。
退院後一ヶ月くらいしてから気落ちが著しく、安定剤服用開始。
・退院後、一ヶ月くらいしてから、「夕方になると苛々する。」「病院は人がたくさんいたけど、お父さんと娘がいなくなると、話し相手がいなくて不安になる。」「体調不良になったり、集中力続かないから、気を紛らわせるために何かをやることもできない。」と訴えあり。
家に家族がいない状態では2時間しかメンタルはもたず、父親が仕事中2時間おきに電話する。
仕事中の私にもLINEがくることがある。
・私や父親が仕事時は近隣の親戚に母親の様子を見てもらう。
⑦父親の仕事
(想像)
・お母さん退院後、時短勤務(一週間。多忙時期のため)→ 一ヶ月休職 →仕事復帰予定。
・年内か年度いっぱいでお父さんは退職かなぁ。
・お母さんは「家にいてもお父さんは認知症になっちゃうし、私は一人で留守番できるから仕事に行きなよ。」と言っていた。
それに対し、お父さんはお母さんが入院中、仕事のやる気が出ないし、退職したい旨を繰り返していた。お母さんは「辞めたいなら辞めてもいい。」とも伝えていたが…。
↓
(現実)
・お母さん退職後、一週間時短勤務(7時間勤務から4時間勤務) → 二週間休職(父「お母さんはもう大丈夫そうだし、職場に迷惑かけられないからもう復帰するよ。」 ←おいオヤジ、お母さん陽性になって食欲不振ひどいのに) → 母親メンタルと体調不良により、仕事復帰後三週間は通常勤務だが、その後6時間勤務から2時間勤務の時短勤務に変更。休職手続き → 母親退院後、二ヶ月後に休職決定(おそらくこのまま退職となる。)
⑧私の仕事
(想像)
・退職したい気持ちが強い。私も年内か年度いっぱいで退職かなぁ…。
↓
(現実)
・お父さん退職時期早まったし、辞めるわけにはいかない。
・退職したい気持ちはなくなった。
・ただ、許されたい気持ちが強い。
・全てを終わりにしたい。私の人生終わったな、という気持ちが強い。
・私が死んだら家族が終わり。お母さんかお父さんが欠けても終わり。
みんなで終わりにできたらいいのに、という気持ちが強い。
⑨排泄
(想像)
・手すりを使って四つん這いで移動するのだろう(試しにピックアップで移動だと扉がしまらなかった)。
・入院中、以前の三倍のトイレの回数だが、どうだろうか。
↓
(現実)
・四つん這いは体の負担が大きくてできず、ピックアップで移動。トイレの扉をしめられず、開けっ放しで用を足す。
退院から二週間以上経ち、ピックアップの位置や体の移動のコツを摑み、扉を閉められるようになる。
・トイレの回数は入院中より少なくなるが、調子が悪い時や飲み過ぎた時は10分おきに行ったり、行っても出ない時がある。
・トイレの失敗はないが、外出時は念のために紙パンツ使用。マックに寄った際、ピックアップでは扉がしまらなかった。
⑩交流
(想像)
・近所の人で仲がよい人は、退院したらすぐに遊びに来るんだろうな。
・退院したら私や父が中心に母の相手をするんだろうな。
↓
(現実)
・近所の人は寄り付かなかった。入院前、お母さんが一人の時を狙って遊びに来ていたが、今は一人で外出はないためかもしれない。
・入院時と同じく、親戚や従姉妹が私や父が忙しい時にフォローしてくれる。ありがたい。
⑪断捨離
(想像)
・服や鏡台等捨てて片付けていくのだろう。
↓
(現実)
・物を捨てるのが苦手な母だったが、退院後、断捨離するようになった。
退院後、体力や筋力は落ちると主治医からはずっと言われていた。
それは覚悟していた。
だけど、まさか尾てい骨の痛みから車椅子座位がとれないとか、出掛ける体力や気力がないどころか、午後になるとメンタルやられて家族不在だと2時間しか家にいられない(もしくは声を聞かずにいられない)まで不調になるとは思っていなかった。
お母さんはほとんど寝室で過ごしている。
朝私は出勤前に声をかけ、帰宅後もベッドで寝る母親に声をかける。
寝る前も声をかける。
まだ67歳なのに、この状態ということに一番打ちひしがれているのは間違いなくお母さんだろう。
入院前はずっとバリバリ働いていて、空いた時間は畑作業か庭いじりをしていたし、休日は出掛けたり(一日に映画3本見たり)、旅行にもしょっちゅう行っていたのに。
具合が悪いことなんか滅多になくて、常に動き回っているような人なのに。
サザエさんのような明るい人だったのに。
私はこれからずっと家とお母さんの介護の人生なのだろうか。
要介護1で身障3級では、入所やショートステイも利用できない。
お父さんが仕事を辞めたら認知機能もより低下するし、収入がなくなることで経済的にも心配になる。
将来的にお父さんもお母さんも今より弱っていくだろう。
私にかかってくるのか。全て私に。
仕事もしんどくてたまらなくて、給料が高いわけでもなく、かといってこのタイミングで転職も考えものだ。
これから休日にずっと制限がかかるのか。
生きるほどに制限は更にひどくなるのか。
私自身も老化していくのに。
エチゾラムを飲む日が増えた。
夜眠れない日も増えた。
私の体と心はいつまでもつだろう。
まだ30代だが、私は将来に希望が見えない。
親が死ぬまで、私はこの生活から逃れられないし
親が死んだら死んだで、大きな家や庭や土地の管理がかかってくる。私一人で抱えるには大きすぎる。
しんどい。
早く人生終わりにしたい。
せめてお母さんが心身今より回復したら、また世界は変わるのだろうか。
今は週三回訪問リハだが、今月から週一回デイリハに行き、週二回は訪問リハに切り替わる。訪問リハで他の人と交流があったらまた違うだろうか。
半年後、私は、家族は、どうなっているのだろう。