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利用者の夢を叶えた日 その②

職場の創立記念パーティー当日。
晴れ間があるものの曇りで、気温は朝から低い。

 
当日は緊張でろくに眠れず
朝も軽くしか食べられなかった。

 
朝、出勤途中で前施設長からLINEが届いた。

「おはようございます。
連日準備いろいろありがとうございました。
今日はぶっつけ本番のことが多く、皆さん不安も多いかと思いますが、職員の皆さんも1日楽しんでいただければと思います。
みんなのドレスやタキシード楽しみですね!よろしくお願いします。」

 
新施設長からもLINEが届いた。

「ちょっとハプニングも○○(施設名)らしいよね、ってくらいの雰囲気でよいかなと思いますので、楽しみましょう!」

 
まだ楽しむ余裕なんてまるでなくて、緊張や不安でいっぱいだったが
そうLINEで言われただけでもいくらか心は軽くなった。 

 
フォーマルな服にロングダウンを羽織り、革靴を履き、慣れないメイクをして職場に行った。
今日はマスクをつけない日なので、初めてマスクをつけずに行った。

 
職場に着くと、既にフォーマルな服の同僚が出勤していた。
お互いに慣れない身なりでこそばゆい。
リーダーのスーツ姿は初めて見た。あぁかっこいい。

 
「今日は真咲さんの手となり、足となり頑張りますので遠慮なくおっしゃってくださいね。」

朝一で新施設長から言われた。
どうやら司会者とはそれだけ偉いらしい。

 
みんなで荷物を車に載せ、相乗りで会場に向かった。
職員みんなで同じ車に乗って話しながら移動するなんて久しぶりだ。

会場には、予定より早く着いた。
すでに会場の写真や動画を見ていたが
情報で知っているより更にきらびやかだ。

 
予定では、朝とある準備をする予定だったが
荷物が届かず
私は会場準備から始めた。

 
座席にテーブル札や席札を置いた。
利用者と職員で作ったお手製だ。
各席には白いお皿やスプーンやフォークなんかが置かれている。

他の職員は受付周りや会場にも飾りつけをしていた。
みんなで作った造花の花や看板や写真ボードを飾った。
こういうのを見ると、本物の結婚式のようだ。

次から次へと利用者や保護者が会場入りした。

前施設長が、ジャケットは羽織らないように&タイツは禁止と言っていたのに、職員はみんなジャケットを羽織っていたし、保護者や利用者も私より厚着だった。

おいおいおい。
真面目に言うことに従ったらこれかよ。こうして信頼関係は崩れるのだと思った。

 
式場はあったかいと聞いていたが、朝の時点では寒すぎてダウンは脱げなかった。
動き回っている内に体があたたまるか、会場がやがてあたたまるのを期待するしかない。

結果的にはしばらくしたら会場があたたかくなったのでホッとした。

 
職員はそれぞれの役割に分かれて準備をした。
予定より早く会場入りしたはずなのに
会場準備も受付も利用者のメイクも着付けも何もかもが予定より遅れていた。
送迎担当の職員も到着が予定より遅れていた。

 
私は創立記念パーティーが始まる前に、行事のDVDを流しつつ、パーティーのお知らせやお願いを言う予定だったため
マイクにて司会としての最初の役割を果たした。
いわば前座に近い。

マイクには造花の花をつけた。
同僚が作ってくれた。

かわいい。

 
記念パーティーは開始が15分遅れていた。
私は時計をチラッと見ながら、内心焦っていた。

上から、ファッションショーの準備ができたと耳打ちされ、私はいよいよパーティー開始を告げ、お知らせやお願いを話した。
なんと、地元の新聞社が取材に入ることが当日分かったので、そちらも皆さんにお伝えした。
予想以上に大事になってしまった。

 
まずは、前施設長による挨拶だ。
紙を見ながら話した上、声が小さく、棒読みだった。
普段はにこやかに話すが、今回はよほど緊張しているのか、ガチガチであった。
マイクを使っていても聞こえにくかった。

 
再び私のターンに戻った。
私は進行が頭に入っていたため、司会進行表を見ないで、更にアドリブを入れたら周りは受けていた。よし、掴みはOKだ。
やはり司会進行表を見ながら話すと堅くなる。にこやかな司会をするには紙は見ないに限る。

 
いよいよ、本日メインイベントのファッションショーが始まった。

利用者は一人一人、扉の奥から登場予定のため、待機状態は全く見えなかった。
私が「最初の方(次の方)、どうぞー!」と合図をしたら扉から入ってくる予定だった。

 
女性はどんなドレスを着る予定かは写真で知っていたが
当日着替え場所には顔を軽くしか出していない為、最終的にどうなったかは分からない。

男性はどんなタキシードを着るのかは当日分かる予定だったため
なにがなんだか、さっぱり分からない。

 
リハーサルでは、利用者の登場順は決まっていたが
準備次第で登場順は異なるし
せっかちな利用者は順不同で登場することになっていた。

 
利用者が花道を練り歩く間、私は名前と簡単なプロフィールを話し、更にアレンジで場をつなぐ予定だった。
花道はなかなかに長い。

更に、動画も回る。写真撮影も入る。非常に緊張した。

 
だが、いざファッションショーが始まると、あとはただ夢中だった。
女性陣は想定以上に美しく、またドレスのため歩き方はゆったりで、司会進行は特に支障はなかった。

ドレスと比べてタキシードは無難だと思っていたが
男性利用者の個性によく合った様々なデザインのタキシードは見事で
みんなとてもよく似合っていてかっこよかった。

  
途中、アクシデントがあり、某利用者がなかなか登場できない場面もあったが、上手くトークでつなげられたのでよかった。

 
大勢人が集まる場面が苦手な利用者も何人かいたが
リハーサルは不参加だったものの
ファッションショーに参加でき
またその晴れ着は見事に似合っていた。

ドレスやタキシード、メイク、ヘアメイクが苦手な利用者、大勢の人が集まる場所が苦手な利用者もいて
当日はどうなることか心配だったが
予想に反して、出席利用者全員がファッションショーに参加できた。

 
BGMが流れる中、ライトに照らされ、バッチリメイクし、アクセサリーを身につけ、花道を練り歩くドレスの利用者。
パリッとしたシャツとタキシードを着て花道を練り歩く利用者。

 
彼らは私が待つステージまで練り歩いた後
今年頑張りたいことを発表し
そのままポーズをとってプロが写真撮影をした。

 
ファッションショー後はステージに用意された椅子に座っていた。
ドレスやタキシードを着た利用者が並んで座る姿はまた見事だった。

 
その後、外の撮影スポットに移動し、集合写真を撮った。
利用者、保護者、職員、ゲストみんなで写真を撮るのは初めてだ。
気温が低く、めちゃくちゃ寒かったが、見事な写真が撮れた。

悪天候の場合は別場所で撮影予定だったため
寒くはあったが、晴れていてよかったと思う。

 
この移動時間中、保護者や職員から司会を大絶賛された。

「司会が上手すぎる。」
「適職なんじゃないか?」
「笑いが止まらない。」

と、ありがたいお言葉を次々にいただけた。
引き続き、この朗らかな司会を頑張ろうと思った。司会を命じた上は、見る目があったのかもしれない。

  
その後は再び会場に戻り、自由に撮影タイム。
利用者同士、親子で、職員と、自由に写真撮影をした。
職員と利用者で撮影はかなりのレアだ。
ドレスの女性利用者は人だかりができていてなかなか撮れなかったため
私は主に男性利用者と写真を撮った。

タキシード姿の男性利用者とツーショットを撮ったり
タキシード姿の男性利用者を女性職員で囲んで撮ったりした。
なかなかに素敵な写真が撮れた。ハーレムみたいでよい。

 
ファッションショー後は利用者がフォーマルな服に着替え(その間、再び行事のDVDを流し、私が行事について述べるという時間を設け、会場の場をつないだ)、ランチタイムだ。
式典開始はおしていたが、ここで再びスケジュール通りに進行していてホッとした。
利用者がマイクで「みんな、手を合わせてね。いただきます。」と言い、笑顔で食事開始だ。

 
ランチはコース料理。
前菜やらスープやらなんやらが運ばれてくる。
ドリンクもワイングラスで提供。オシャレだ。

コース料理は偏食の利用者が食べられないのではないかと心配だったし
ワイングラスも割れないか心配だったが
特に問題はなくてホッとした。

 
私はこういった大行事の時はもれなく食べられないので
コース料理はほとんど喉を通らなかった。

司会ぶりから緊張感は周りに伝わらなかったが
眠れないし、食べられないのは確かで
私の体は見事に正直だ。

 
実際、数日前から食欲不振で体重は減っていた。

 
私は本番に強い。
今まで仕事でバスガイドや司会をした時も当日は案外流暢に話せる。
ただ、始まるまでの間が緊張するし、食べられないし、眠れない。

「真咲さんは繊細で大胆。」とかつて知人に言われたが
あれは言い得て妙だと思う。

 
食事の途中で、新施設長より職員紹介があった。

一人一人職員は席を立ち、会釈をした。

誰から職員紹介をするか決めていないと前日に話していたし
役職くらいしか話さないと言っていたが
いざ職員紹介の時間が始まると、長々と職員の紹介をされたので驚いた。

職員によっては、プログラムに書いていない職員紹介タイムがあり、ビックリしていたようだ(私は司会の都合上知っていた。更に言えば、私が作った司会進行表を見て、事務長や前施設長が当日の流れを知ったと言っていた。おいおい、式場と打ち合わせをして、当日の流れを決めていたのはあなたたちではないのか………)。

  
職員は当日プログラムを見たレベルだ(大まかな流れは知っていたが)。
色々行き当たりばったりすぎる。

 
新施設長による職員紹介はなるほど、その職員の特徴をよく捉えていて
私は「はずがしがりやな職員がたくさんいる中、司会や販売といった人前での仕事が向いている人で、真咲さんが販売担当日は売上がアップする。」と紹介されていた。ありがたい。

 
昼食中は行事の写真をスライドショーで流した。
私は食事の合間に行事の写真についてマイクで話したり、午後の部は何時から始まるからトイレに行っておいてください、だとか、デザートはあとからきますよ等色々話していた。

 
食欲があり、食べることが大好きな職員より
むしろ私のようにろくに食べられない職員が司会でちょうどいいと思う。
私はこうしてほとんど司会台で立って話していたのだから。

 
 
昼食後は、ゲストによる出し物コーナーだ。

まずはダンスの先生による、ダンスの披露。
普段施設ではJ-POPや流行り曲の簡略化したダンスを教えてくれているが
本来先生は洋楽やヒップホップ等が得意で
素敵なダンスを披露してくれた。

最後は利用者もステージに集合し、月一回のダンス教室で練習しているAdoちゃんの曲を披露。
私も司会を一旦中断し、利用者の隣でダンス。

 
 
続いて、合奏披露。
月一回の音楽教室で練習しているハンドベル二曲と楽器演奏曲一曲を利用者が一部職員補助にて披露。音楽の先生が伴奏。
曲名は利用者が言ったのだが、リハーサルより上手く言えていてよかった。

余談だが、ハンドベル曲はレベルの高い曲な上、練習期間が短く、なかなかに職員泣かせだった。
私は司会兼利用者補佐に入る。

 
その後は、音楽の先生二人による連弾。
メドレーにて何曲も披露。
こちらも、普段音楽の時間はJ-POPや童謡中心だが、先生はクラシックやらなんやら普段よりレベルの高い曲を見事披露。
本来の得意技を見せてくれた気分だ。

 
 
お次は、ゲストの方による弾き語りステージ。

音楽が得意な利用者が飛び入りで太鼓で参加。
リハーサルをしていたかのごとく、ゲストの方と息ぴったりで素晴らしかった。

曲に合わせて会場のみんなで歌ったり、踊ったり、楽器を鳴らしたり、会場を練り歩き、想像以上に盛り上がりを見せた。
やはり私は司会兼利用者補佐。
じっとしていられない司会者なのだ。司会台でも話すし、会場内を動くし、ステージでもガンガン話すし動いた。

 
 
最後は事務長による挨拶だ。

前施設長と事務長と他の方で施設を立ち上げ、最初はほんの数名の利用者とで始めた施設。

上手くいかなかったことや大変だったこともあったが、今ではこんなにたくさんの利用者や職員に恵まれ、今日という日を迎えられてよかった。
ファッションショーや今日のために色々と準備をしてきたが、不安なことも多々あり、だけどいざ今日を迎えたら想像以上に感動し、人生で忘れられない一日となった。

これから5年後、10年後も皆さんにはここにいてほしい。

 
そんなことを、具体的なエピソードと共に話していた。
途中から事務長は涙ながらに話していたが、私もうんうんと頷きながら泣いてしまった。 
  
 
事務長挨拶後は、私が会場を貸してくれた式場の皆さんや参加者、職員にお礼の挨拶をし、利用者が式場の方に記念品を贈呈した。
施設のみんなで作ったキーホルダー等だ。

 
 
私は閉会を告げ、帰る前に出口で記念品(施設のロゴマークや名前入りボックスティッシュ)を受け取ってから帰宅するよう伝えた。
忘れものに気をつけてほしい、とも。

 
 
時間にして5時間の式典は、こうして幕を閉じた。

私は司会をなんとか終えたことでホッとし
終わった後にいくらかご飯を食べられた。
ようやく味を感じられた。

その様子を見て、利用者が笑った。

 
 
片付け後、職員で反省会をした。

ファッションショーのメイクやヘアメイク担当、受付担当の方は打ち合わせと違うことも多々あり、間に合わないのではないかと相当焦ったり大変だったようだが
大きなトラブル報告は全くなく、利用者が不穏になることなく、予想以上に平和な一日となった。

 
「せっかくだし、最後にみんなで写真撮りましょう。」

前施設長が言い、職員みんなで写真を撮った。
転職して三年、初めて職員みんなで撮る写真だった。
私はさり気にリーダーの隣に行き、集合写真を撮った。

素敵な会場を背景にフォーマルな姿でみんなと撮る写真はキラキラと輝いて見えた。
ここに来てよかったと思った。

 
施設に戻ってから片付けや書類作成をし、その日の仕事は無事終わった。

 
 
 
思えば四年前の今頃、私は前の職場で理不尽な人事異動を言い渡され
二月末までに退職か人事異動を迫られた。

未来が見えなかったあの頃
まさか別の職場でこんな日が待っているなんて思いもしなかった。

 
「未来が楽しみ。」
転職先の施設名にはそういった意味合いがある。
式典が始まるまでは大変だったり、不安があったが、今日という日を職員として迎えられて本当によかった。

ファッションショーは感動して胸がいっぱいになったし
保護者も泣いて喜んでいた。
利用者も普段着られないドレスやタキシードを着て嬉しそうだった。

それに携われたのが嬉しかった。

 
「利用者の夢を叶える。」
上のその思いから始まった今回の創立記念式典。

「これからも利用者の夢を叶えていきたい。」前施設長はそう述べていた。

 
かつて前の職場で上司が、「利用者の夢を叶えたいと職員になったのに、気がつけば利用者の夢が何かも知らないままだった。これからは利用者と夢を見て叶えていきたい。」そんなことを機関紙に書いていた。
だが、結果的に前の職場は外出や旅行に行けなくなり、地域の人と関係は悪化し、行事は縮小し、利用者が次々に太る(運動する機会を減らし、おやつを食べる時間を増やしたから)という真逆の道をたどっている。
それを思うと未だに胸が痛い。大きな組織故、そうならざるを得なかったあの頃。

 
今の職場の前施設長や新施設長と気は合わないけれど
施設長らが利用者のことを考え、夢を叶えようと奮闘したことは紛れもない事実で、すごいことだ。

 
私はここで頑張っていく。
私も利用者と新しいことに挑戦していきたい。

そう思った。 

 
 
 
創立記念式典から数日後。
その様子は地元新聞に大きくカラー写真で載った。私も写っている。

反響は大きく、他施設の方からもいい企画だと絶賛された。

 
「魔法がとけちゃいましたね。いつも通り、ですね。」

式典の翌週、マスク姿でいつもの髪型、パーカーで送迎に行くと保護者が笑った。
保護者もまた、いつもと同じ装いでマスク姿だった。

本当にあれはお伽話のようだった。

キレイな服、お城みたいな式場、ドレス、タキシード、ご馳走、花。美しい音楽やダンスや何年分もの写真スライドショー・展示や行事の動画を流したあの日。みんなの笑顔。

夢みたいだった。

 
式典翌週の連絡帳にはほとんどの方が長文で感想を書いてくれた。
その保護者の方の感動や労いに涙が込み上げた。
特に印象的だったのは、「パーティーでの経験は私達親子の生活に彩りを加えてくれました。」「○○(施設名)の一員でよかったと感じました。」という文だ。

 
式典後、私達はまたマスク生活には戻ったし、制限はまだかかったままだけど
あの日を支えに私たちはまたここで頑張れる気がした。

何日経っても、施設のみんなや家族や友達とあの日の話をしている。
私の人生で、特別な忘れられない一日になったのは確かだ。

 
今までソロウェディングに興味はなかったが、結婚は難しそうだし、こうしてキレイな場所でキレイな衣装で写真を撮るのもいいよな、と私は密かに新たな小さな夢が芽生えた。

あの日以来、ドレス写真が撮れる場所を夜な夜な探す私がいる。

 
 
あの式典はよほどインパクトがあったらしく、私はそれからしばらく保護者に会うたびに司会について言われた。

「これからも行事の司会は真咲さんに決まりだわ。施設長らの挨拶より印象に残った。」
「保護者間でもいまだに話題になるくらい、真咲きさんの司会は面白かったし、上手だった。」

普段気難しい保護者さえ、そう笑いながら声をかけてくれて嬉しかった。
転職してから一番保護者から褒められた日になった。利用者や同僚からも大好評で嬉しかった。

 
 
式典から数日後、プロの方が撮った写真のデータが届いた。

さすがプロの方が撮っただけあり、キレイなアングルの美しい写真がたくさんだった。
私は司会という役割上、職員の誰よりもたくさん写っていた。

動画のDVDはまだ編集中らしく、届かない。
見るのが楽しみだ。

 
  
 
式典後、記念品として施設名とロゴマーク入りのティッシュボックスとQUOカードをもらった。
なんと、5000円分も入っていた。

どちらもまだもったいなくて使えない。

 
ティッシュボックスは玄関に飾ってある。





 
 











 




 

 



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