あなたの手や足で
チョコレートやピーナッツを食べ過ぎると鼻血が出ると聞いたことがあるが、実際それで鼻血が出た人はどのくらいいるのだろうか。
私は毎日のようにチョコレートを食べているが出たことがない。
ピーナッツバターパンが好きでよく食べるが、やはり鼻血が出たことはない。
チョコレートとピーナッツを食べるという合わせ技を持ってしても、私の鼻から血は出ない。ただカロリーとなり、脂肪として蓄えられていく。
私が作るガトーショコラを好きな人がいて、その人は一気食いをよくしていたがケロリとしていた。「お代わりをよこせ。」とその人は言う。
まだ量が足りないというのか。あなたの胃袋を満たすのも、鼻血を出すための何かも。
私が鼻血を出したことは人生で三回。
これが多いのか少ないのかは分からない。ただ分かっているのは、私は自発的に鼻血を出したわけではなく、三回とも他者からの直接的刺激によるものということだ。
記念すべき人生初鼻血は小学校四年生の時だ。
当時、クラスに私は好きな人がいた。
そう、周りがまだ男とか女とかをほんのりしか意識していなかった時期に私はませている側にいた。
遠足の時にこっそり隠し撮りをした写真を枕元に置いたりしていたから、ストーカー手前側にもいたとも言える。
その人はまだ私が好意を寄せているのは知らず、また私は私で好きだからといって付き合いたいとかそんなレベルではない。
毎日楽しい日々を過ごしたり、授業中眺めたり、席が隣だったらラッキーだったり、彼の絵を描いたり、彼の家の猫に威嚇されたらそれもまた思い出だったり……ささやかだが楽しい片思いライフだ。
その日が来たのはそんな時だった。
休み時間に教室内で男女複数名で追いかけっこをしていたのだと思う。教室内は机が所狭しと並んでいる。机の横にはバッグがぶら下がっていたりもする。
ガヤガヤとした教室内で障害物がある中、複数人でふざけるとスリルは増し、テンションが上がりまくったところで
彼の右拳が私の鼻にストレートヒットした。
ワザとではなかった。ふざけていたのだからお互い様だ。
「大丈夫?」好きな人が尋ねてきた。
「(痛いけど)だいじょう……」ぶ、を言う前に、ポタリと何かが落ちた。
血痕がテーブルにできた。私は鼻を抑えた。鼻血だった。
まさかこんなタイミングで初めての鼻血が……好きな人に殴られて鼻血が…………
これはこれでおいしくないか?
私はポジティブだった。気楽だった。恋愛脳だった。好きな人がある意味私に触れ、私の鼻血記念を作り、(記念を作った故だが)隣で心配してくれ、痛いけど幸せ…と、鼻にティッシュを入れながら思った。
数分後に鼻血は止まり、先生が来た。
「先生には言うなよな。」
その一言さえなければなおよかったのに、とは思った。
私の鼻血デビュー初日はそんなものだった。
二回目の鼻血日はその1年後ぐらいだ。
当時、姉と同じ部屋で寝ていた私は先に布団に横になっていた。仰向けだった。
私の布団は入り口側にあり、姉は上からぶら下がる電気の紐を二、三回カチッカチッと引っ張った。
電気を消した姉は半暗闇の中(我が家は真っ暗にしないで、その手前の薄明かりで赤い光りがある状態にしていた。まだドーナツ型の蛍光灯時代だ)、奥の自身の布団に入ろうと私の真上を横切り、その際、容赦なく私の顔を踏み上った。
「いだっ…」
「ごめん。ワザとじゃないんだよ。」
ワザとだったら闇の中だろうが姉妹ケンカ勃発だ。
私の素敵な鼻が曲がったらどうしてくれるのよっ☆も~気をつけろよぉっ☆
なんて笑いに変える余裕も時間もないままに鼻の奥から身に覚えがある何かがグジュッと滲む感覚。
鼻血である。
好きな人から顔面パンチ、大好きな姉に顔を踏み上られて鼻血。
私の鼻血は好きな人がいつもつきまとう。
まぁもうこんなことはあるまい。
そう思っていたが、二度あることは三度あるのが人生だ。
三度目の鼻血は、それから10年以上先のこととなる。
社会人一年目の頃だ。
当時、福祉施設で働いていた私はとにかく無我夢中だった。
ある日、帰りの会前に利用者の一人が奇声を上げながら不安定だった。周りの利用者が怖がり、「ともかさん、なんとかして。」と言ってきた。職員は周りには誰もいない。
私がやるしかない。よしっ。私は気合を入れて利用者のそばに行き、二、三言話しかけた。
次の瞬間だ。
ポーーーーーンッ!
私の眼鏡は空中で半円を描きながら床に落ちた。鼻がとても痛い。ジンジンする。一瞬、一体何が起きたか分からない。
「ともかさんが殴られたー!」
様子を見ていた利用者が泣きながら叫び、「大丈夫だよ。全然へっちゃら☆」と言う余裕もなく、勢いよく私の鼻からは血が出た。
私は急いで他の職員を呼び、トイレに駆け込んだ。
どうやら殴られた拍子に眼鏡が顔にめり込み、痣ができていた。これが鼻の強い痛みの原因だった。
なるほど痛いわけだ。
鼻血が止まり、現場に戻ると「ともかさんが殴られた!鼻血出た!眼鏡壊された!」と利用者がギャーギャー叫び、殴ってしまった利用者はバツが悪そうな顔をしていた。
他の職員が利用者指導に当たって、利用者をなだめていた。
「咄嗟に手が出ちゃうことがあるから、気が立っている時は半径1m以内に近づいちゃダメよ。」
私は注意を受けた。
知らなかったではすまない。報連相をしなかった私が悪い。
それが仕事であり、社会人。
私は痛みの代償にその言葉は決して忘れられないものになった。
次の日の朝、その利用者に対して私は心身共に距離を置いていた。挨拶はしても、積極的には関わらなかった。鼻はまだ痛かった。
自信をなくしてしまったのだ。あの時どうしたら一番よかったのだろう。
その利用者の方を見た。バツが悪そうな顔をして、ソワソワしている。いつもと様子が違うことにすぐに気づいた。
私のことを何度も見て、そばに来ては離れてそばに来ては離れてを繰り返し、私の反応を見ていた。
言語的コミュニケーションが苦手な利用者の方だ。上手く自分の気持ちを言葉にできない人だった。
でも目を見て分かった。
悪いことをしてしまったことは分かっている。
私がいつもと違うことにも気づいている。
仲直りしたいんだ。
私は未熟だった。
私が痛いのだから、その人だって手が痛かったに決まっている。
上手く気持ちを言葉にできないからこそ、何かがストレスで不安定だった。
察するのが職員の役目なのに、周りの利用者が怯えたからといって、その人を分かろうとするより先に落ち着くように私は迫ってしまった。
だから怒って手を出したんだ。分かってくれない、分かってくれよ、って怒ったんだ。
手を出したくて出したわけではなかったのに、私が鼻血を出したことで益々その人は孤立してしまった。加害者にしてしまった。
私が未熟だったばかりに。
「○○さん、一緒に散歩に行きましょう。」
晴れていたので、私達は散歩に出かけた。青空だった。
その人の好きな散歩コースに出かけ、色々な花や鳥を見て一緒に歩いた。
お互いにぎこちなさがとれるまで二、三日かかったけど、散歩中にその人が嬉しそうだった顔を忘れない。
私はそれをきっかけに、新人職員向けに利用者支援マニュアルを作った。
「咄嗟に手が出てしまう場合がある。不穏時に声をかける時は半径1m以上離れる。」
支援マニュアルを作成するだけでなく、口頭でも最初に伝えた。
利用者も職員も、加害者にも被害者にもさせるわけにはいかなかった。
三度目の鼻血から10年以上が過ぎた。
あれから鼻血は出ていない。