入院122日目:運転ができない母としっかり者の娘
朝から気温が高く、湿度も高い。
今日はお母さんの面談の日でいつもより朝がゆっくりだが
体がだるく、朝ご飯を食べた後は横になって過ごす。
朝一で腰痛のため通院し、思ったより早く病院が終わったので自宅にて一旦15分くらい横になり、その後お母さんの病院に行った。
今日はお母さん退院前の最後の面談だった。
まず、医師、社会福祉士、私、父が面談室に移動した。
「姫の登場で~す!イエーイ!」
その少し後、お母さんは看護師さんに車椅子を押されてやってきた。
お母さんは60代でも自分を姫と言う明るさがある。
ケアマネさんも今日は同席した。
医師からはこんな話があった。
・状態は横ばい。
・管をつけて排泄をするほどではないが、 お腹を押して排尿・排便をしており、膀胱に排泄物を一気にためて一気に出すというのはできていない様子。
残尿感はあるだろう。
今後尿路感染症を警戒していかなければいけない。特に夏場は危険。
・運転は今後できない。運転をするなら主治医から許可をもらわなければいけないが、それは退院から数年後の様子次第だし、事故があったら大変なのでまず許可はおりないだろう(特に開業医は)。
・今入院している病院では脊髄の状態の写真は撮れないため、退院後は大学病院に行く必要がある。
日常では、朝昼晩服薬しており、血圧の薬・血液サラサラの薬・痛み止め・眠剤・下剤を現在服薬中。
血圧の薬と血液サラサラの薬は必須であり、他は退院後の状態に合わせて近隣のクリニックで処方。
・食べ物の制限は特にないが、消化によいものや海藻類を食べた方がよい。果物は糖質が多いので食べ過ぎに注意。
・慣れた自宅では前のようにできると過信してしまいがちだし、お母さんは責任感が強いから頑張ろうとするだろうが、新しい場所で一から生活すると思った方がよい。
自宅生活に慣れるまで半年はかかるだろう。
・現在、ピックアップで一日四回トイレに行っている。今はまだ見守りが必要なレベルであり、退院までに自立させたい。
・血圧は上は100~130で落ち着いている。
・今は一人で外に出歩けるレベルではない。
看護師さんからは、病院を車椅子で移動する時とピックアップで移動する時があるという話があった。
理学療法士さんからは、先日の家屋調査のまとめをいただいた。
フルカラー写真で、ここの移動はこんな風にした方がいいとか、ここは気をつけた方がいいとか、こんな手すりをつけるのもオススメだとかが分かりやすくまとまっていた。
ありがたい。
トイレの置き手すりはいいアイディアだと思った。
うちはトイレに手すりはあるが、右側しかない。
左位置にも置き手すりがあったらよりよい。
レンタルできるよう依頼した。
質疑応答時間には、浴室にお母さんが滑り止めマットがほしいと言っていたが、必要かどうかと、台所に置く椅子(長時間立位調理は厳しいため、たまに疲れた時は椅子に座ったらどうかと提案された)はどんなものがいいか確認した。
滑り止めマットは必須ではなく、使い心地のよいマットならなんでもいいことや
台所椅子も大きすぎなくてよく、また肘掛けもいらないことを聞いた。
その後、訪問リハ担当のNさんと初対面し、退院後訪問リハを使うにあたってどのような流れか聞いた。
Nさんは、訪問リハは最大週3回各一時間使えること、原則的には三ヶ月しか使えないこと、使う際は医師の診断が必要なこと、三ヶ月以上継続して使いたい場合も医師の診断が再度必要になることを教えてくれた。
訪問リハは永続的なものではなく、いつでも回数を減らしてもいいし、訪問リハと通所リハを併用してもいいし、最終的には通所リハがメインになるであろうことも聞いた。
Nさんは仕事ができる人、というのがすぐに伝わり、頼もしい感じがした。
父親が話が理解しきれず、トンチンカンな質問や確認をたまにし、そのたびに私が要約して伝え直していたのだが
Nさんが感心し、「しっかりした娘さんで安心ですね。」と言った。
私は「福祉の仕事をしているので多少知識がある方かもしれません。」と言い、お母さんは「そりゃあ私の娘ですから。」とドヤ顔をした。
面談後、お父さんはケアマネさんと打ち合わせをし
お母さんは今日補装具用の靴が届くからと、病院の方と業者さんの元へ行った。
私は午後から仕事のため、一足先に自宅に帰ることにした。
面談中、梅雨明けのニュースがLINEにて入っていた。
病院から出て、見上げれば青空が広がっていた。
私はそれを見て一人泣いた。
お母さんが退院後、私は仕事を続けられるのだろうか。
一旦退職し、お母さんの状態が落ち着いたら転職してもいいのかもしれない。
先が見えなくて怖かった。
自宅で軽く昼食をとっていると、前施設長から仕事の件でLINEが来たので午後の仕事について流れを書いた。
「了解」と書いてあったわりに、いざ出勤すると私の意見が無視された流れになっていた上、バタバタしている中呼び出された上、以前自分が言っていたことを忘れた発言もあり、私は露骨に不機嫌になった。
やっぱりこの人が上でいる限り、施設はいい方向にいかない。
相変わらず現場はグチャグチャしていた。
前施設長の案のせいで、作業は思うように進まなかった。
私が必要だと伝えた利用者の人数を半数に減らされたからだ。そのくせ「今日中に終わるの?」と言ってきやがった。
バカなんだろうなぁと思う。
私が必要だと伝えた人数を半数に減らしておきながら終わるわけがないだろうが。
仕方なく私は、夕方サービス残業をした。
リーダーがいなくなった職場は崩壊の一途を辿っている。
夕方、友達が転職先を短期間で退職したことをLINEで伝えてきた。
仕事は色々あって大変だと思う。
私もいつまで頑張れるかまるで分からない。
仕事中も一人になると泣き、帰り道も一人泣いた。
帰宅後夕飯を作っていると、お母さんからLINEが来た。
ケアマネさんが面談に同席したから計画的に医師が悪く言っただけで、状態はそこまで悪くない、と。
確かに私も仕事柄認定調査の時は保護者と口裏を合わせて、市役所の人に利用者の悪い状態を伝えた。
その方がよりよいサービスが受けられるからだ。
「だから落ち込まないでね。」
「ともかが幸せになるまでお母さんは頑張るからね。」
私はなんと返したらいいか分からなかった。
お母さんのいう幸せとは、結婚のことだ。
結婚なんて、こんな状態でできるわけがないのに。
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