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脳トレをする母、丸つけをする父

今年の春、母が脊髄梗塞と診断され
身体機能の障害ばかり意識していたのだが
いざ退院すると、メンタルが弱くなったことや認知力の低下が目立った。
明るくてしっかりした母だっただけに、その変化に私はショックだった。

面会中は気づかなかったが
約半年の入院がこんなに大きく影響するとは思いもしなかった。

身体機能のリハビリだけでなく
メンタルによいことを日常生活に取り入れたり、認知力の低下を防ぐことを積極的にしなければはらないと私は思った。

 
私は母親に脳トレのドリルや漢字ドリルを買った。
体力や集中力も低下した母は「疲れる。」とか「頭が働かない。」とか毎日のように口にしているが
仕事を辞め、ほとんど外出せず、刺激が主にテレビで、関わる人が家族が中心では衰える一方だ。

  
単語もなかなか出なくなってきたし、滑舌も気になった私は
早口言葉を毎日三回繰り返すようにも伝え
母は紙に書き、扉に貼った。

 
 
ある日、仕事から帰ると、ナンプレが置いてあった。

「お母さん、初めてナンプレやったよ。」

それよりも、そこに書かれた母の字の美しさや丸つけをした父の「100点」の美しさが私は気になった。

 
最近、父や母の老化を目の当たりにして寂しくなったり、悲しくなったりするが
私は両親の字の美しさが好きだった。
字の美しさは変わらない。

二人とも下手だと謙遜するが
私は両親の字が今も昔も好きだ。

 
 
父は元教師だ。
仕事が忙しい母のため、父は仕事をなるべく持ち帰り、家で仕事をしていた。
父はよく仕事部屋でテストの丸つけをしていた。
丸つけに使うペンは決まっていて、文房具屋では見掛けないような、教員特有のペンだった。
私からしたら、父の思い出のペンだった。

 
就職してから定年退職するまで働き続けた父。

自分が社会人になって分かる。
それがどんなに偉大なことか。
どれだけ仕事で嫌なことがあろうと、家族のためと踏ん張ってくれたのだろう。

ギャンブルも浮気もなく、派手な趣味もなく
タバコも吸わず、お酒はまぁまぁ好きで
多少怪我や風邪くらいはあっても、大きな病気もなく、心も壊さず
学校卒業後、定年退職まで教員であり続けた父は
本当に偉大だと思う。

定年退職後もお父さんは学校で働いた。
短期の別のバイトもしたけれど、結局学童で長く働いたから、お父さんは学校で働き続けたい人だったのだと思う。

お母さんが病気にならなければ、まだ学童で働いただろう。

 
かつてたくさんの子ども達に丸つけをしたお父さんが
私の子ども時代に丸つけをしたお父さんが
今はお母さんの丸つけをしている。

込み上げてくるものがあった。

 
お父さんの背中を見て育った私は
教員の道は選ばなかったけれど  
家庭教師や塾講のバイトをして丸つけをして
学校卒業後は
障害者福祉施設に就職し、各利用者のレベルにあったプリントを用意し、丸つけをしている。

そして今は母にも、母のレベルにあったドリルを用意している。

 
人生はつながっている。

 
 
「お父さん、あの花丸も書いてよ。」

私は父に言った。
お父さんがテストに書く花丸をもうしばらくは見ていないが
それでも今でもハッキリと覚えている。

私は父のような花丸は書けないが
父はきっとあの花丸の書き方を今でも体が覚えているだろう。

お父さんの花丸が見たい。

 
私は結婚できないまま40歳になりそうだし
お母さんは歩行器なしでは歩けなくなって
お父さんは認知機能の衰えが見られて
我が家はみんなでポンコツだ。

できないことだらけのポンコツ家族。

だけど、生きているだけで十分だと
私達家族は私達家族のことだけは花丸をつけてあげてほしいよ。

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