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ホームページの寿命
私も姉も小さい頃から絵を描くことが大好きだった。
暇さえあれば絵を描いていた。
画用紙や自由帳はすぐになくなってしまうから
後ろが白いチラシを集めて
そこにもよく絵を描いていた。
絵を描くことの次に読書が好きだった。
自宅には巨大な本棚があり、その本棚の前で色々な本を読みふけった。
図書室で本を借りて読んだし
図書館が近くにあったから、図書館にもよく行った。
図書館にいると、数時間があっという間に過ぎた。
多分小学校高学年頃から、私も姉も趣味で文章を書くようになった。
姉が初めて書いた物語は確か小学校五年生で、私は小学校六年生の頃だ。
姉はその物語にイラストをつけて冊子にしたし、私は私でイラストをつけて冊子にした。
私は学校に提出したから、今手元にはない。多分姉も同様だと思う。
姉の方がデビューは早かったが、私は小学校の時にエッセイを作文用紙10枚分書いた。
小学生で10枚分はなかなか大作だと思う。
作文コンテストで入賞はしなかったが、小学生の時にオリジナルの物語と長編エッセイを書いたのだ。
私と姉はいい勝負だったと思う。
姉は中学生ぐらいから二次創作に手を出すようになった。
オリジナルイラストやオリジナル小説を書くが
少年漫画のパロディのイラストや小説も書いていた。
コピックでカラーのイラストを描いたり、漫画家キットを手に入れたのもこの頃だ。
アニメイトというお店の存在も姉から聞き
一緒に行った覚えがある。
姉が小説に夢中になっている頃、私は詩や詞に燃えだした。
イラストを描くことももちろん好きだが、私はカラーイラストは描けなかった。
ひたすらに鉛筆。もしくは色鉛筆である。
小説も私は書かなかった。性に合わなかった。
内容は序盤から結末まで浮かぶのだが、書きながら、表現力が足りないなぁと悔しかったし、ちまちま書いているのがまどろっこしかった。
早く書ききりたかったのだ。
小説は書き終わるまで、何日も何日も連載のごとく時間がかかる。
私は性に合わなかった。
姉がストーリー漫画を描いている時、私は四コマ漫画を描いていた。
私の方がせっかちなのだろう。
たかが二歳差。
されど二歳差。
一見すると、二人とも絵や文章を好むのに
方向性は違かった。
姉は少年漫画を好み、私は少女漫画を好んだ。
絵の雰囲気も全く異なった。
姉は読書感想文や実体験を書くことが苦手で
確かにそういった類の分野の賞状は
私の方が多くもらえた。
だが、国語力は姉の方が圧倒的に強かった。
語彙力や表現力はずば抜けていた。
姉は高校時代、進学校で国語一位だった。
「国語は勉強しなくても点数がとれる。」とのたまっていた。
確かに私も国語はろくに勉強しなかったが、古典や漢文となるとテスト勉強はさすがにしていた。
にも関わらず
姉より国語の偏差値は低かった。
そもそも、姉は飲み込みが非常に早かった。
自宅で勉強している姿はろくに見たことない。
私が夜な夜な勉強しようと
姉には数学くらいしか勝てなかった。
私は飲み込みが悪い、典型的なガリ勉型だった。
姉が高校時代くらいに、HPを開設し、趣味のイラストや小説を載せていた。
姉曰く、人気のあるサイトらしい。
私も姉もお互いにお互いの作品は見せなかったし、特に見たくもなかった。
書き途中の小説を覗き、感情的に読み上げるというイタズラを私は時々したが
まぁ読むといってもそれくらいで
私は姉が書いたものは、小学生の頃に書いた小説しか読み切ったことはない。
姉は長編小説をいくつも書いていた。
余談だが
のちに私は短編オリジナル小説や物語を作った。
姉とは異なり、私は二次創作は全くできなかった。
物語はネット上で今も公開しているが
小説はコンテストに送ったものなので
私以外には審査員しか見ていない。
その小説は大賞を逃したが、審査員賞にはなったらしく、3万だか5万だか出せば本になると言われたが、胡散臭いので辞退した。
そしてそれから間もなく、その出版社はニュースになっていた。
私は自身のHPを作るかしばらく躊躇していたが
詞を投稿していたサイト閉鎖に伴い、大学時代にHPを立ち上げることにした。
今、若者がインスタやTik Tokに夢中なように
私が学生時代は自分のHPで様々なものを表現し、発表することが主流だった。
就活時、自身でHPを作れることはPRポイントにもなるだろうというもくろみもあった。
当時は魔法のiランドで携帯サイトを作る方も多かったが
そちらは作るのが面倒そうなので、手を出さなかった。
ホームページビルダーという、HPを作る為のソフトを知人が持っていたので
私は姉や知人からやり方を教わり
HPを作った。
大学でワード、エクセル、パワーポイントを使っていた私にとって
ホームページビルダーは簡単だった。
携帯サイトより簡単だと思う。
サイト名を決め、URLを作り
素材サイトを巡って壁紙等を設定し
文字を打ち込み
文字の色や配置等を微調整し
一ページずつ作っていた。
一番最初の立ち上げ準備は何日間もかかったが
あくまで根気の問題で
大変だが、楽しかった。
素材巡りは面白かったし、バナーやリンクを貼り付けたりと
私はHP作りにのめり込んだ。
姉は姉でパソコンを使いたいし
家族共用のパソコンなので
姉がいない時間帯を狙っては
ちまちま作業を進め
ついに私はHPを開設した。
私はそこにブログや詩や物語等を載せた。
イラストは載せなかった。
スキャンがよく分からないし、私はカラーイラストが描けない。
HPに載せるなら、カラーイラストが基本だった。
ブログは毎日更新し、詩はある程度載せた後は、月2回・一回の更新につき2作品載せていた。
一回の更新所要時間は一時間程度だったと思う。
正直、アクセス数はいまいちだった。
カウンターは大して回らず
一日20アクセス程度だったと思う。
姉のHPの方がアクセス数がすごかった。
だけど
見ず知らずの人が自分の作品を読み
コメントをしたり、メールをくれたのが
とても嬉しかった。
私はHP作成と同時に某SNSも始めたのだが
正直、そのSNSで私が書いた文章の方が反響は圧倒的に強かった。
私はSNSの自己紹介文に、HPのURLを載せていたので
SNS経由で私が気になり、HPを見る方が増えた。
今もTwitterにnoteのURLを貼り付けているので
やっていることは10年前と何ら変わらない。
やがて、ホームページビルダーを入れていたパソコンが壊れ
更新のやり方が変わった。
姉は私よりHPに燃えていたので続投したが
私はそれを機に更新はストップした。
新しいやり方がよく分からなかったし
社会人生活が忙しくなった。
更に、私はSNSにも詩や詞の新作をあげていた。
もはや、HPよりもSNSにあげた方が
色んな人に見てもらえた。
そんな時代になっていった。
姉はSNSを全くやっていなかった。
詞の新作は挙げなくなったものの、ブログ更新は基本的に携帯から行っていたので、それでも毎日行っていたが
ある日、ブログのサービスが終わりを告げた。
時代だった。
SNSの流行は移り変わりが激しい。
mixi、アメブロ、Twitter、Facebook、インスタ、ミクチャ、Tik Tok…………etc.と
サービスが始まって10年もしない内に一気に流行り、場合によっては一気に衰退し、新たなサービスが次々に登場した。
Skypeの時代からメッセンジャー、カカオトークが流行りだし
LINEが誕生してからは
LINEが一気に主流になった。
ラブソングにやたらとメールが歌詞に出てきたのに
もはやスマホからメールを送らない時代になってしまった。
今の歌の歌詞にメールは出てこない。
私の高校時代、魔法のiランドを知らない人はいなかった。
だけど、魔法のiランドも終了してしまった。
前略プロフも終了してしまった。
だから、私が使っていたブログが終了しても何らおかしくない。
私が10年以上書きためたブログは、今や何も残っていないのだ。
そんな中、2019年に、ついにホームページ事業も終了が確定した。
言葉を失った。
覚悟はしていたが、ついにか、と思った。
ニュースにもなったが、ついにあの大手ホームページ事業さえ撤退かと、みんなが嘆いた。
姉に私はLINEした。
どうする?
と。
撤退までにまだ期間がある為、データを各自移籍し、新たな場所でHP続投は自由だった。
ただ、手間がかかる。
姉は続投を希望し
私はこれを機に、HPを閉鎖することに決めた。
昔はしょっちゅうパソコンをいじっていたが
数年前の引っ越しを機に、私は自宅でパソコンを使わなくなった。
使い勝手が悪くなったのだ。
パソコンでできることは大抵スマホで事足りる時代になったし
職場にはマイパソコンがあったので
仕事だけではなく、ちょっとした調べ物や印刷は、職場で十分間に合ってしまった。
私はパソコンが得意な知人に頼み、ホームページ全ページのスクショをUSBに入れてもらった。
その際、知人が気を利かせて、データも保存してくれたらしい。
私にはよくやり方は分からないが、もし何らかの形でHPを再開する時はそのままデータを使える、ということだった。
ありがたかった。
詩や詞のネタ帳は10冊以上あり、HPに載せたのは半分くらいだろうか。
HPのスクショデータを眺めたり、ネタ帳を見ては
なんとも寂しい気持ちになった。
一つの時代が確かに終わった。
ホームページはまさに、ネットの世界にある、自分の家に近かった。
壁紙やアイコンを自分好みにして
お客さんを招く場所だったし
自分自身が一番覗いた場所でもあった。
仕方ないことなのだけど
HPがなくなったその日、私は泣かずにはいられなかった。
私が高校時代に手を出したブログやHPやサブメアドのサービスは全て終わりを告げ
そして相変わらず私は
今複数のSNSを使っている。
どうか終わらないでほしいと願いつつ
いつもどこかで終わりを覚悟している。
そして今を生きている。