上手なお別れ
先日、某芸能人が亡くなった。
その某芸能人が好きな利用者Aさんは朝からショックで落ち込んでいた。
Aさん「○○さん亡くなっちゃった。これから私はどうしたらいいの!?」
私「あれ?ただ、Aさんは▲▲さん(他の芸能人)や××さん(他の芸能人)の方が好きじゃなかったっけ?」
Aさん「うん。」
利用者Bさん「まだ▲▲さんや××さんがいるから大丈夫だよ。芸能人は、○○さんだけじゃないんだから。」
そんな会話を聞きながら
私がいなくなっても、ここならばきっと大丈夫だろうとぼんやり思った。
もしも私が退職するとなっても
今の職場ならば大丈夫だろう。
他に職員がいる。
そんな風に利用者も保護者も思ってくれるだろう。
前の職場のように、私がいなくなるとなった時
私が泣いて
利用者も泣いて
保護者も同僚も泣いて
みんなで泣いて泣いて泣いて
そんな悲しい別れはきっとない。
「やめないで。ともかさんじゃないとダメ。」なんて言われはしないだろう。
今の職場ならばきっと
何人か利用者は泣くけど
一週間も経てば私の名は口にされなくなる。
同僚も多少寂しがるくらいで泣きはしないだろう。
今の職場はクールだ。
私の名前をフルネームで覚えていない利用者も多い。
私のスマホ番号や住所は上しか知らない。
私がいなくなれば、そこで縁が切れるに等しい。
きっと上手なお別れ方ができる。
今の職場の仕事は向いているとは思わないし
きっと何らかで退職することになっても
前の職場ほどは引きずらない。
利用者とも距離は近すぎない。
前の職場は尽くしすぎた。天職過ぎた。
利用者も保護者も同僚とも距離が近すぎて
大好きで大好き過ぎて
一緒にいると幸せだった。
サービス残業ができたのも、休みが少なくても頑張れたのは
みんながいたから。
大好きなみんながいたから。
私は正しい判断をしたと思っている。
あの職場で全盛期は終わったのだ。
サービス残業は前の職場ほどはなくて
ほぼ毎週土日は休めて
穏やかな人間関係と前の職場ほどは責任がない立場を手に入れた。
心身健やかに過ごせているはずだ。
だけど、どこか物足りなさを感じている。
もっとがむしゃらに求められたいと思う自分がいる。
自分の意思で退職し、ここに転職したのに。
望みが叶うことと幸せは必ずしもイコールではない。
私は恵まれている。それは確かだ。
ただ、会いたい人・大好きな人と生き別れた今
心から満たされることはない。
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