筒井透子
2024年から日記をつけることにしました。
本についていろいろ書くところ。
自分の書いた掌編小説を集めてみました。
紅白歌合戦は、毎年見ている。その年の流行の曲を、その時だけちゃんと聴くみたいなことが多い。 さて、アイドル。前年大晦日に聴いたこの曲が三が日中頭から離れない。ひとりで過ごしていることもあり、とにかく離れない。仕方がないからYouTubeを観たり、この曲を分析しているYouTubeまで観てしまった。聴いたら案外離れていくものだが、脳内再現度が上がっただけだった。 売れる曲っていうのは、売れるコード進行をしている、と、作曲家志望の若い人が熱弁振るってたことがある。星野源とかね、
新年だが、風邪を引いて4日目だった。夫は実家、私はひとり。だるかったが、背中の痛みもしんどいし、葛根湯を買いに出かけることにした。液体の葛根湯を駅前の人通りの多いところでがぶ飲みしたあと、なんとなく外食したくなり、ハンバーガー店に入る。身体に悪そうなものを食べられるくらいに元気になったことを喜びつつ、バーガーをひとり頬張る。 帰ってから小説をかきはじめる。年末時間あるし書こうと思っていて寝込んでいたので、公募締め切りまであと7日だった。頭の中にはお話は全部なんとなくあったか
奈良の本屋さん「ほんの入り口」さんで、文学フリマ前日祭を行うとのこと、奈良に行った。50歳を過ぎてから自動車免許を取った夫が運転をしたがったので、車で行った。夫は私を本屋まで送ってから奈良健康ランドに行ったらしい。 奈良といえば鹿。私は何故か昔から奈良公園の鹿に会いに行くのが好きだ。最近は親鹿も子鹿も、鹿せんべいを持った人間にはお辞儀をするようになっている。昔はこんなことなかったし、人間界でも「あざとい」って言葉が使われていたかどうかわからないが、今は鹿たちは明らかにあざと
風邪をひいていた。年末から寝込んで3日くらいたっていた。1日から夫の実家に帰るはずだったがキャンセルしていた。しかしとりあえず起きて近所の神社に初詣には行った。 神社でカランコロンと鳴らしてお参りをした場所のすぐ横の壁に、岡本太郎の言葉が貼られていた。「僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。」と書かれていて、なんとなく心に残って写真に撮った。岡本太郎のような天才ではないが岡本太郎もいい意味では書いていない気がした。私も今年で50歳になる。自分以外の人間にはもち
お久しぶりです。 文学フリマ大阪でたくさんの方に手に取っていただき、大変楽しかったので、文学フリマ京都にも出店することにしました。 前のとおり、「第九会議室」の名前で、第九会議室創刊号をひっさげて出店します。ブースはおー33です。 今回置かせてもらうのは3つです。 第九会議室創刊号 それから、筒井透子作品集。今回も置かせていただきます。 前回、大阪用に50部印刷し(印刷時の経緯はこちら)、おかげさまで現在残が15冊程度、だいたい30冊くらい旅立っていったことになります
前書き 文学フリマ大阪、行ってまいりました。とてもとても楽しかったです。参加しているサークル「第九会議室」の冊子と私の個人冊子がセットでそれなりに売れて、テンション上がりました。ありがとうございました。 ニーズがある気がするので、私が個人の作品集を作った経緯を書いておきます。ど素人でワードしか使えない私でも、(イラストを描ける友達がいれば)、文庫サイズの個人作品集が作れたよ、というお話です。 作品集作成の動機 前の記事にもちらっと書いたのですが改めて。 文藝サークル「
(今から、津原先生のただの一ファンに過ぎない私が、どうして文学フリマ大阪で津原泰水文章講座の冊子「文章講座植物園」を委託販売することになったのか、その経緯をここに熱く書く予定です) はじめて読んだのは「赤い竪琴」だった。赤い表紙だったのをとてもよく覚えているので、単行本だった。 多分30代前半、当時は読書ブログを読んでは知らない作家さんの良さそうな作品をひたすら読んでいた。もともと活字中毒で、月10冊ペースで読んでいた時期だ。 一読して「大人だな・・」と思った。当時30代で
※ここのnoteは大五郎という、犬の名前でやっていましたが、ついさっき改名しました。筒井透子と申します。ここももう2年は放置していたことになりますが、今回復活したのには理由があります。 9/10文学フリマ大阪にがっつり参加することになりました。 全部で4冊子に8作品も掲載しています(自分の作品集も含みますが) 当日はD-55「第九会議室」ブースに主におりますが、午後からJ-3「ココドコ」ブースにも出没します。 はじめてなのにそこまでやるの?あほなの?ってくらい参加しますので
さきほどの掌編小説の自己解説(反省)に少し書いたことなんですが・・・ 小説を書き始めて思ったことがあります。読んでいるだけの時にはそんなに気づいていなかったのですが、書いていると、「説明がつかない」ことへの恐怖感みたいなのが出てきます。「この登場人物はどうしてこんなことを言ったのか」とか、全部説明しようとしてしまう。説明文として地の文に書いてるわけじゃなくても、なんか全部読んでたらわかるように書いてしまうんですよね。全てが計算し尽くされて書かれていて、それで面白い作品も当然
「皆さん、このままでは私たちの村が鬼たちに潰されてしまいます。皆さんの力を貸してください!」 何十頭いるだろうか、村の住民たちがひしめく屋敷の一室で、桃太郎が熱弁をふるっている。桃太郎の目の前には、大量のきびだんごが積まれていた。 右隣の雌の雉は熱っぽい目で桃太郎を見つめている。桃太郎は二十歳の若さで、彼の祖父の後継者として村をまとめていた。見目麗しい人間の若武者。桃から産まれた逸話も彼のカリスマ性を高めていた。 「おい犬、知ってるか」ぼうっときびだんごを見つめる犬に、左
三浦しをんさんの「小説の書き方講座」、とても楽しく読んでいます。しをんさんの親しみやすい文章で、小説を書く上でのノウハウや大切なことがたくさん書かれています。読んだだけで書ける気になる恐ろしい本です。少なくとも創作意欲は湧きます。 小説を書く上での基本、「人称」についても具体的に章が分けられていました。 一人称と三人称については区別できてましたが、三人称にも「単一視点」と「多視点」があるのには私はあまり気づいていませんでした。言われてみればそうですね。特に三人称多視点は「
犬は、写真をみていただいたらわかるが、ソフトバンクのCMのお父さんにそっくりだった。お父さん犬がCMに突然現れた時は驚いた。おとうさん犬の正体は北海道犬で、白い柴犬ではない。でもそっくり。 しかもあのCMは息が長かった。シリーズ化され、お父さんはかなりの間テレビに出続けた。 なので、散歩の時には「あ、おとうさん」と呼びかけられるようになった。だいたいガン見され、呼びかけられ、柴犬で人に懐かないにも関わらず、近所での有名犬になった。田舎町に引っ越してきたばかりで近所に知り合
今年3月、実家の犬が天に召された。17歳と数ヶ月。白い柴犬。大五郎という。 少しずつ、大五郎を思い出しても泣かないで済むようになってきたので、思い出を綴ろうと思う。思えば、ネタの多い犬であった。 出会い。それはまず先住犬のクマの死からはじまる。20歳くらいまで生きたクマが亡くなった時、母は一瞬たりとも犬の不在に耐えられなかった。「白い柴犬を迎えたい」と私に切望した。私は白い柴犬をネットで検索した。愛知県のブリーダーさんのサイトが見つかった。逆にいうとそこにしか「白い柴犬」
木曜日だったか、朝から「モデルナのワクチンに異物混入」のニュースが流れる。使用中止とあったので、これから使う分かな、とあまり気に留めず出勤。 続報を見ると「異物は金属片か。」とある。 よく調べてみると、8月6日から20日までに自衛隊大阪センターで接種した人は可能性があるのでロット番号を見てくださいとある。 私やん。 調べた。ビンゴだった。笑ってしまった。 同じ時期に職場の人あと2人も行っていたので、LINEでお知らせしたところ、二人中一人も当たっていた。 「お互い
昨年4月から新しい職場に異動になった。 みんな、「はじめまして」から、マスクをしていた。 何が起こったか。職場の人のほとんどの人の、マスクの下の顔を知らない、という現象が起こった。 マスクを外した時のイメージとの違いのギャップにいちいち驚かされる日々。八の字眉毛でいつも反省している感じの、着ぐるみのくまみたいな癒しキャラの人が、マスクを外した途端に生身のオス感を出してきたりする。 課長、めっちゃエラ張ってますやん、と思ったりもした。もちろん言わないが、飲み物を飲んだり
数日、雨が降り続いた。最近は「天気の子」みたいに雨が降る。あの映画には、雨が降るのには理由があった。まあ、私たちがその理由を甘受しなければならない理由はないし、いろんなざらっとした感情は残るものの(あの映画はそこが好きだ)、理由があった。でも今降っている雨はただの気象の変化だ。温暖化とかいろいろあるのはわかっているしぎりぎりと突き詰めたら私がある日捨てたゴミのせいかもしれないけれど、まあとりあえずは理由もない雨。ただ、理不尽に雨が降っているだけだ。 ここ一年で40数年生きて