ジャグリング道具とは
今日は図書館に本を返す日だったので、借りている本を急いで読んだ。「週末木工術」と「世界の民芸玩具」。
置物のようなお土産のような、「ジャグリングを感じるなにか」をつくってみたいとずっと思っていて、民芸玩具の本はそのヒントになった。紹介されている民芸玩具、あるいは世間一般に無限に存在する物と、ジャグリング道具はなにが違うのかなあと考えていて、それは、当たり前だけど、ジャグラーが使っているかどうかだよな、と思った。
・ジャグリング道具のアイデンティティはジャグラーに他ならない
・ジャグリング道具を伝える(広める、売る)って、ジャグラーを伝えることじゃないか
・ジャグリング道具の定義 ジャグラーがジャグリングしたらそれがジャグリング道具
とメモに残っている。メモなので極端に書いてみてはいる。
午後は青木くんと、ロシアンボールをウクライナボールや別の名前で呼ぶかという海外の議論について、オンラインで話した。そこで、ちょうどメモのようなことも話して、そこに青木くんからのツッコミと考察が加わり、さらに理解が深まったように思う。その道具の背景にたくさんの人や歴史を感じるとか、あるいは個人の強いなにかが詰まっているとか、そういうジャグリング的な強度があるかどうかが、大事なポイントなのかな、と。それで、それってむしろ普段つくっている道具のなかにも、あるよなとも。
本を読んだり人と話すことで言葉にできていくことが、いまは楽しいし、必要なことだと感じている。