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死にたかったんだ、本当は 5 (全8回)
そんな中、気休めにと、友人が薦めてくれた最新の経済理論書に、「借金があっても、それはただの数字です。最悪、自己破産という手続きをすれば、0に置き換えられるものです」と、あり、続けて、「あなたの人生の豊かさは、お金だけで決まるものではありません。どんなにお金持ちになったとしても、老いて伏し、最後に人生を振り返った時、あなたの脳裏に浮かぶものは、『山のようなお金の束』でも、『貯金残高の数字』でもないはずです。人生は一回きりです。技術を、経験を、友人を、心を、愛を、家族を、大切にして生きてください」と、あり、ハッとさせられたんだよね。
自分から転貸を申し出ておきながら、結果的に知ったって、そんなの虚偽でしかないんだから、払う気はないし、そっか、じゃぁ自己破産すれば、弁護士立てれるし、ややこしいことはお任せしてしまえばいいやと、大概無責任な判断だったけれど、ネットで一番感覚が合いそうな弁護士さんを探して連絡をしたんだ。そして、自己破産の手続きをし、弁護士さんから大家に連絡を入れてもらうと、驚くべきことを言われた旨を、弁護士さんから聞かされることになってね。
壁に貼っていた写真は、グラフティやスケーターなんかのもので、一部男性器のものもあって、でもそれはエロスというよりは、アートの範疇だと、少なからず僕は捉えていたし、それらは、僕のインスタ上にアップしていたものだったのだけれど、削除はされなかったので、インスタ側も同じように捉えたんだろうと思っていたものを、その大家は、「請求書通りの額を支払わなければ、その写真と共に僕のセクシャリティを世間に暴露する」と、言ったらしいのだ。
弁護士さんは、「『そんな行為はされない方が身のためですよ』と、伝えておきました」とのことだったのだけど、時代錯誤も甚だしいなと、僕は両親にも20歳の時にカミングアウトしていたし、雑誌でも実名でゲイであることを公言して寄稿させてもらったこともあって、フルオープンリーなゲイなのに、そんな脅しなんて、何の意味もないのにね。逆に、そんな脅しを仕掛けたことが公になれば、大家の方が時勢的に不利なのに、そういえば、あの大家、未だにガラケーを使われてたし、時代に追い付けていないのかもしれないなぁ。
でも、まぁこれで、お金のことは弁護士さんにお任せして、あとは…ディルドやバイブの処分だけすれば、僕の終活は済ませられる、よな?親に迷惑や見られて不快な思いをさせる物はないはずだよな?
さぁあとは死ぬだけだ。
どこで首を吊ろうか…。リビングの太い梁が都合良さそうだけど、帰って来た両親の目に、すぐに入るのは避けた方がいいかな…。それより和室の鴨居の方が、まだ少しはショックが和らぐかもしれないな。うん、そうしよう。
いつ実行するか、だ。
・
その前に、遺書を書いておこう。
ゲイで精神疾患の息子を持たざるを得なかったこと、それでも尚、受け容れてくれたことへの感謝を認めよう。
そう思って、僕は、そういえば、書きたいことを書きたいように書きたいだけ書く、ということには、取り組んだことがなかったし、勝手に苦手意識を持ってしまっていたけれど、ちょうどいい機会だから、最期にそれをやってみようと、生まれた時の状況から始めて、僕自身の最初の記憶と、それ以降の印象的な出来事や人との出会いとそこから得たことなんかを時系列で書き進めて、現在の思いで締める、うんそうしようと、書き始めたんだ。
記憶って不思議なもので、忘れ去ってたことなのに、あれ?あの人とはどうやって出会ったんだっけ?と辿っていくと、あ!そうだったと芋蔓式に思い出されて、それに付帯した感情も思い起こされて、嬉しさや悲しさや、言葉にならない思いが次から次へと湧いて出て、気付けば勝手に涙が頬を伝ってて、でもそれが何の涙なのかさえ、僕自身にもわからなくて、戸惑いながらも、とにかくそれらを言葉に乗せて書き進めたんだ。
どうせ死ぬんだから、今更恥ずかしいことなんてないし、正直に、格好付けずに、平易な言葉で、思いの丈を書き殴ろう。とにかく、僕自身が納得のいく結末までは書き切ろう。
そう決意したのに、死ぬつもりなのに、僕自身の過去の事実を書くだけの作業が、途轍もなく辛い。でも書かなきゃ駄目なんだ。意味なんてなくていい。生きた証と感謝の意を、そう思えたまでの過程を、ただ書くだけでいいんだ。簡単なことなのに…簡単なはずなのに、しんど過ぎる…。何だよこれ。こんなことならさっさと死ねばよかった。今からでも遅くないから、とっとと死んじゃおうか。でも。死んだ先のことなんてわかりはしないけど、これを書き終えずして死ぬ以上に後悔することはないよな。
死ぬために書き始めただけなのに、書き終えないと死ねないって何だそれ。訳がわかんないや。
とかなんとかゴチャゴチャ思いながらも、泣きながら書き進めていくうちに、初めての彼との思い出の曲の下りになって、無性にその曲が歌いたくなって、疲れ切った脳をお酒で狂わせたくなって、半年振りにママのお店に飲みに行ったんだ。
何やってんだよ、一体…。
でも、気持ち良かったんだ。
歌うことも酔うことも、そして酔った上で歌うことも、歌う途中で飲むお酒の味も、ママの愛情も。
あー気持ちがいい。
いい酔い加減だ。
ふぅと大きく息を吐き出した瞬間、あーーー!物凄く大切なことを忘れてたことを思い出した!
自己破産は、僕が死んだらどう処理されるのかはわからないけど、時系列的には死んだ後のことになるから、書けやしないけど、最後の物件の契約金の支払い期限に、銀行の融資が間に合わなくて、そのことをぺーちゃんに相談したら、何も言わずにその場で、ネットバンキングで即座に二百万円振り込んでくれたんだ。借用書を交わそうかと言ったけど、なくても大丈夫だよと言ってくてたペーちゃんとの25年来の付き合いの中で、ぺーちゃんはいつも僕のことを客観的に指摘してくれて、僕には才能があると信じて褒め続けてくれたペーちゃんを裏切ることになってしまう…。でもそのことは、自己破産にも関わる部分だから、それについては、今書いてる原稿には書くわけにはいかないんだよ…。
僕には二百万もの金を貸せる余裕がないのもあるけれど、仮にあったとしても、ぺーちゃんのような振る舞いを出来る気がしない。
以下記事へつづく。