見出し画像

出来ない理由の深層心理

「部屋が片付けられない」は、部屋がスッキリすると気持ちもクリアになり、抑え込んでいた不安や焦燥感が湧いてきてしまうのを防ぐため。

「忙しくて時間がない」は、時間ができてしまったら、“いつかやればできる”という可能性がなくなってしまうのを防ぐため。

*以下書籍の概要欄から転載

無責任な話乍ら、この本を読んでないんですが…。

自分自身は…面倒臭がりだったので、幼い頃は片付けるのが苦手というか、見て見ぬ振りをしていて、でも一人暮らしを始めて以降、かな、片付いてないと落ち着かなくて、でも掃除はやっぱり面倒臭くて、多少の埃は見て見ぬ振りをしていて、でも近年、埃が気になって、掃除もするようになり、人って変わるもんだなぁと、自分でも不思議に思っている。
自分の中の当たり前が変わったというのか、面倒臭さはやっぱりあるけれど、心地良さを重視する方が強くなったってことなのかな。
と、面倒臭ささのせいにしてきたけれど、前出の、「部屋が片付けられない」は、部屋がスッキリすると気持ちもクリアになり、抑え込んでいた不安や焦燥感が湧いてきてしまうのを防ぐため。という言葉に触れて、そうか…と思ったんですよねぇ。
無意識に「抑えて込んでいた」ことに、段階的に気付いて、徐々に解放していったってことなのかもしれないなと。

また、20-30代の頃は、スケジュール帳が真っ黒になっていることが(人生の)充実度に比例すると思い込んでいて、暇が罪悪というのか、モテないヤツ、みたいな捉え方をしていたような…。
でも、40代…に入る前後くらいだったかから、如何にしてスケジュール帳を真っ白に出来るか、朝起きてその日の過ごし方を選んだり、気分のままに流れることの方が、充実感より心地良いなと思うようになって、もちろん、他者との約束は予め決めるけれど、でもそれも双方共に流動的である場合が多いのかも。
で、前出の、「忙しくて時間がない」は、時間ができてしまったら、“いつかやればできる”という可能性がなくなってしまうのを防ぐため。について言えば、スケジュール帳が真っ黒な時代は、今を充実させていたようでいて、未来に逃げていただけと言うのか、所謂、刹那主義に陥ってたってことなのかなと。
今となっては、“いつか”なんていつまで経っても訪れないんじゃないのかと思うので、思い立ったが吉日、を心掛けている。

自分で認識出来る自分なんて、浅っいもんなんだなぁと、タダで得た情報から思い知らされているのだから、申し訳ない気もしつつ、有り難く受け取らせてもらうとして。

それらを踏まえて、思い出したことがあって。
京都時代に知り合った、当時30歳前後の、頭の天辺から爪先まで、一見、一分の隙もない女子が、一番されたら嫌な質問は、「で、あなたはどうしたいの?」だと言っていたなと。
自身の好きより、他者からどう映るのかの方に意識が寄っているってことなんだろうか。

自分に向き合って深く深く掘り下げた結果、意外な原因が見出されたりするものなのかもね。

いいなと思ったら応援しよう!