自分探しなんてするだけ無駄。
旅に出掛けました。
これは僕が大学生の時の話です。
高校3年のほとんどを勉強に捧げて、大学受験に失敗した僕は、最初には考えたことすらなかった大学に母の勧めで入学しました。
「ここ良いんじゃない?」「あぁ、もうそこで良いよ。」
うまくいかなかったからか、自暴自棄になっていたあの頃。よく考えず、よく調べずに大学を選んでしまった。
入ってみると田舎も田舎。電車は30分に1本。さらに大学までは駅から自転車で30分。着いてみたら周りは田んぼ。大学の中にはたくさんの野生のカモ。
思い描いた大学生活とは程遠い現実です。
周りと同調して、流されて、自分を押さえ込んだり、空気を読むことがめんどくさくなって、「自分って何者なんだろう...」と。そんなことを考えるように。
大学に入った僕は、漠然とレールの敷かれた人生を思い描いていました。いわゆる、大学で楽しんで、ブラックスーツを身に纏い就職活動をして、そこそこの会社に就職をして。みたいな。
周りがそうなんだからきっと僕もそうなんだろう。
(確かに大企業は仕事内容、福利厚生もいい。 しっかりとした肩書きもつく。 だけどこれから先40年と働くのに そんなに簡単に決めていいのかな?)
寝る時、真っ暗な部屋で、思いに耽るタイミングで、ふと思い、違和感を感じ、大学在学中に海外に出掛けることを決意しました。大きなバックパックリュックを背負って。
自分探しの旅。
飛行機のエンジン音が鳴り響き、機体が傾き、たった一つのバックを持って、海外に飛び立ちました。
空港に着いて、空気の味さえ違う気がして、新鮮な気持ちと初めての土地にワクワクしながら。
ここはカナダ。誰も僕を知らない街。
大学3年生を休学し、1年間の"自分探し”。
真冬は-20℃を下回るせいか、まだ4月は肌寒く、ホットコーヒーが美味しい季節。目に入ったスタバに入り、たどたどしくも注文をした。発音が悪いせいかコーヒーですら注文できなかった自分を今でも覚えている。
まだカナダドルの数え方もレートもよくわかってない自分を優しい店員さんが迎え入れてくれた。
全てが新鮮で、全てが失敗で、全てが楽しく思えた。
しばらくして現地の友達も増え、問題なく授業を受けれるようになって。はじめは新鮮でも、だんだん慣れてくるもの。不満はないにしても物足りなさを感じ始めました。
(このまま日本に帰って、何か俺変わったって言えるのか?)
こんな疑問がぐるぐる頭を回り始めました。
思い切ってその時の環境を捨て、徐々にカナダ→アメリカ→メキシコを南下していく旅を決意。半年経っても、結局まだ自分は見付からなくて、漠然とした焦りだけがありました。
自分なんて見つからない。
その後も、アメリカ有名企業の本社巡りをしたり、ヒッチハイクしたり、メキシコのど田舎に訪問したり、バカンスを楽しんだり、年越しNYしたり、LAでインターンをしたり、ホームレスと戯れたり、思いつく限りの挑戦をしてみた。
(濃すぎたので割愛)
休学をして本当によかった。色んな経験を、初めての経験を、この1年で。人生で1番楽しかった1年だった。
で、走り抜けてみた1年でわかったことが。
『結局、自分なんて見付からない。』
ということだ。
かっこよく言えば、”自分探し”。でも本音は自分が言い訳つけて逃げていただけ。
自分は自分の中にしかない。いくら世界中探したって見付からないわけだ。結局昨日の自分を超えていくことでしか自分は変わらない。
昔の自分はきっとそれが怖かったんだろう。
だから今、同じ気持ちを持っている人。この記事を読んでくれている同じ気持ちの人。よくわかる。
失敗することが怖くて、一生懸命になると言い訳が効かないから、「まだ俺本気出してねーだけだし」なんてダサい言い訳をするために自分をセーブして守っていた。
他人の作り出した自分で生きてきた。
他人が作った「だいごはこうだから」という偶像の中で僕は生きてきた。周りの目を気にして、空気を読んで、波風を立てないように。
そういう人は現代社会では多いんじゃないだろうか。
SNSの発達により、なんでもシェアする時代。自分の行ったところ、見てる世界、思った感情。無意識のマウント合戦。いいねの数、フォロワーの数で見られ方を気にする世界。
他人の目を気にして生きるのはもう止めた。
自分のやりたいこと、生き方は僕が決める。
「小山大湖の生き方」をしていく。
肩肘張って生きてんだ。誰かにぶつからない方が難しい。でもそっちの方が僕らしい。今まであったしがらみが一気に消えた瞬間だった。
もちろん誰かは否定してくるだろう。大丈夫。本当に必要なものはきっと残る。友達も家族も恋人も。
僕の周りはいい意味で断捨離された。
経営者始めました。
貫いた先のこの人生。もちろんまだまだ続いていくんだけども。色んな人に助けてもらって、担ぎ上げてもらって社長というものをさせてもらっている。
本当に感謝。
信じてやってみると色んな人が集まってきてくれた。もちろん僕だけの力じゃない。仲間の力だ。
やりたいことを本当に嫌になるぐらいやり続けると、ちょっとは自分を誇れる自分になった。
他人に作られ、やらされているものは努力とは言わない。自分の生き方貫いて飯食おうなんて図々しい特権、与えられたことをやってる程度でできる訳ない。
もちろん失敗したこともあるし、諦めかけたこともある。裏切りで人を信用できなくなる瞬間だってあった。信じられない額のお金が吹っ飛んだこともある。
そんなんも全部含めて僕だ。僕の生き方をすると決めた日から覚悟は決まっている。腹はもう括った。
仲間を守るためなら、外野のガヤなんてなんてことない。
知りたいことは自分の中にある。
もう薄々気づいているはずだ。気づかないフリをするのはもうやめよう。
あなたならできる。
そう言い聞かせて前進すればいい。自分の知りたいことは自分の中にしかない。
僕のように目的のない旅は本当に意味がない。楽しかったし、色んな経験はできた。ただ”自分探し”のような抽象度の高く目的地のない旅は止めた方がいい。
新しいことに挑戦することは感じたことのない不安が襲ってくる。頭の中の妄想が広がって、まるでこの世が終わったかのような悲劇が浮かんでは、自分の現状維持バイアスが働く。
でもわかっているはず。その居心地の良い空間を出ることでしか、あなたは変わることができない。
僕は弱い人間だ。
そんなことはわかっている。ただ必要な時に必要な人がいつも助けてくれた。
あなたの周りにもそういう人はきっと現れる。一生懸命頑張っている人には助けてくれる人が寄ってくる。だからそんなに心配しなくていい。
きっと大丈夫。出逢いに感謝して進めばいい。
そうやって自分の人生に責任を取れるようになった時、本当に変われるんだろう。
人生はたった1度きり。自分なりの人生を最高に楽しんでいこうぜ。
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