小山大湖という生き方。
最初に。
この記事は、ごちゃごちゃーとした頭の中をアウトプットするために書いていきます。
僕には、文章を書くのが上手い仲間がいますが、彼のように人を惹きつけられるような文才はあいにく持ち合わせていません。
どこぞの大学教授のように計算し尽くされた緻密な文章も書けません。
文章設計なんてせず、まるで小学生が思いついたことをその都度喋るかのようなチグハグな文章になるかもしれませんが、「その考え方はわかる」「僕も好き」と共感してくれる方がいれば幸いです。
小山大湖と申します。
Noteでの発信は初めてなので、遅れましたが自己紹介をしたいと思います。
はじめまして。大学生の時に事業を興し、あることがきっかけで会社の社長になりました、小山大湖と申します。
4~5年ぐらい事業をやっていると僕の名前を検索してくれる方々がいるぐらいにはなりました。ようやくって感じです。
「大湖」って名前の通り、滋賀で生まれて、そこそこ何不自由なくここまで大きくはなることができました。両親に感謝です。
今の自分になることは全く考えてはいませんでしたし、大学出て、会社に就職して…いわゆるレールに敷かれたようなその他大勢と変わらない国民Aな人生を送る予定でした。
どこにでもいるちょっと海外が好きな大学生、それが僕でした。
それが180度って言ったら陳腐に聞こえるかもしれませんが、変化して今では社長。人生って本当に何があるかわからない。
昨日までの当たり前が、今日では違う、まるでジェットコースターかのような価値観のアップデートを楽しんでおります。
今に至るまでをざっくり書いてみました。興味ある人はぜひ。
ノートを始めた訳。
正直、ビジネス始めたら人生イージーモードになるんじゃないかなんてヌルいことを考えていた時期もありました。
が、あれ?これイージーモードに見えてハードモード選択した感じ?とSの自分がMになる瞬間があります。
芸術のように複雑でわかるようなわからないような、でもそのパレットに吸い込まれていく感覚、わかるけどわからない、しんどいけど楽しい、深みと面白さがビジネスにはありました。色々な感情が表裏一体な世界です。
哲学のような道です。僕が好奇心が人よりも強い人間なので、そこを突き詰めたくなりました。
で、ここまで僕がやってきて思ったのが「人は自分の生き方・在り方を追求することができれば幸せじゃないのか?」と。
世界のほとんどは資本主義、ビジネスというもので営まれていて、人の人生はそのほとんどがビジネス活動に費やします。
仕事はあくまで、自分がどう生きるのか、の選択ツールです。そのもっと大きな大義的なところを追求していけば、社会はもっと良くなるんじゃないか?と考えました。
何か発言したら「そうじゃない」
弱音を吐いたら「贅沢言うな」
何か行動を起こせば「意味がわからない」
なんて、何をしてもナイフで切りつけてくるような人はいます。
発信することは何かを届けられる反対に、リスクもあります。
何をするかよりも、結局その内にある”心”が大事なのにね。
僕は信じてくれる人を大切にしたい。そう思っています。
ただそれを知ってほしい、という理由からnoteを始めました。
僕という責任。
ただメディアの公平性に疑問を感じていました。
今のメディアは、公平性という理由から「中立性の全くない匿名希望者からの誹謗中傷」ですら護ります。根も葉もない噂すら認めてしまいます。発信者はそこで、思わぬダメージを受けます。
その時点で、公平性なんてこれっぽちも存在しません。
皮肉なことにソーシャル・ネットワーキング・サービスという社会的な繋がりを作り出せるサービスが、時として社会の繋がりを断つものに変わります。
誰かを傷つける匿名希望者からの意見は、一般に公開され不特定多数に閲覧され、周りの人を大きく巻き込んでイメージを植え付けます。そして、イメージを植え付けても、発信者が心の傷を訴えても、匿名希望者はダメージを受けません。匿名なので。
思考が一周回り、第三者からの発信に頼りすぎてはいけない、結局は自分が発信することが信頼に繋がるんだなと気付きました。
ブランディングというんですかね、それです。
自分の名前を出して、発信することは正直怖いものです。みなさんと変わらない人間なので。
ですが、責任があります。守らないといけないものもあります。
で、動き出した一歩目がこの文章です。
「小山大湖の生き方をする」なんて決意してしまったもんだから、僕も矢面に立って追求していかないと。やっぱ男で生まれたので、かっこいい生き方したいですね。
まだまだこんなもんで終わるつもりもないので、どうぞ温かい目で見守って頂けたら幸いです。
一緒に戦ってくれる仲間とでっかい絵が描けるように戦います。
いつもありがとう。