原芳市 写真集『常世の虫』 - “語り尽くせぬこと”を写真は語る
《常世の虫》
『現の闇』『光あるうちに』に続く、原芳市が紡ぐもうひとつの闇と光の世界。
引用: 写者舎 https://www.shashasha.co/jp/book/tokoyo-no-mushi
原芳市による「常世の虫」。後書きによると「常世の虫」という言葉は日本書紀の中にあるようだ。タイトルの通り、この写真集にはたくさんの虫が登場する。巣を張って獲物を待つ蜘蛛、小さな虫を食べるカマキリ、フェンスを移動する芋虫、葉にとまる蝶などだ。それらと同じ視線で、虫を追いかける子供、子供たちが川で水浴びをする様子、生まれたばかりの子を抱く母親、神社での神事などがこの本では語られる。
私はここに大きな輪廻の円環が示唆されていると感じるのだ。私たち人間の営みがその大きな円環のたった一部であるということも。我々個人も、結局は遠くから引き継いだ命を繋いでいるだけに過ぎず、この命もまたこの世界のどこかに継がれていく。小さな小さな個人が生きた証は、この大きな大きな円環の中にひとつずつ刻まれていくのだろう。個人的にも、この写真集を開く度、言ってしまえば自分の命にどれだけ意味がないかを痛いほど思い知る。これまで必死に意味を見つけるため生きてきたようなものだが、実は私個人に求めるべき命の意味なんてないのかもしれない。決してネガティブな意味ではなく、このことを痛感すると同時に私は、目の前の小さな出来事や小さな自分の人生をもう一度等しく愛することができるような心持ちになるのだ。
この写真集の本質は、原による後書きの一節に集約されていると言えるだろう。「人は、死んで虫に化身するという伝説を聞きます。本当なのかもしれません。『常世の虫』を得たことで、ぼくは、とても、自由な気分を味わっているのです。」ここには虫や人間の営みを見るミクロな視点と、宇宙から地球を見るようなマクロな視点が自然と、穏やかにつながり、同居しているのだ。
個人的な感想を述べると、私は今まで出会った写真集の中で『常世の虫』が一番好きだ。はじめてこの写真集を見た時、体に電撃が走ったのを覚えている。たった数十ページの写真の集まりがこんなにも大きな、人間の生きる意味のような、語りきれない事柄を語ることができるのかと思った。この所業は小説や詩のようなバーバルな表現ではなし得ないことも同時に理解した。正直それまでの私の写真(写真集)に対する態度はまだ懐疑的なところがあったが、この写真集に出会ってからは写真を撮る意味、そして本という形態にまとめる意味が綺麗に腑に落ちた。そしてそれが作家の人生に寄り添うものであることも。私が写真作家として生きることに確信を持っているのは、この本の存在があるからである。しかし、原さんの写真を見た後はいつも『私に写真できることはもう何もない』と思ってしまうから矛盾しているのかもしれない。
原さんは2019年に最後の写真集『神息の音』の出版を見ることなく亡くなられたそうだが、本当に一度お会いしてみたかった。