山崎茂 写真集《Weekend》 -時を超える『視線』
《Weekend》
写真家 山崎茂が1974-77 / 2015-20年に東京、横浜を撮影した写真集。
この写真集を読み解きながら私は「なんだか安心した」。
何が安心したのかというと、『二つの時代に同じ視点が存在できたのだ』と感じることができたからだ。
いつも私は私が生まれるもっと前の写真を見た時、ただイメージをイメージそのものとしていいものと感じたりしていたのではなく、『失われた昔の景色である』というその時代の隔たりを加味して写真を味わっていた。むしろそれがあるからこそ昔が写った写真は凄みを増すのだ、と思っていた。まあそれに間違いはないのだろうが、逆説的に、これから私が撮るかもしれない景色には、昔の誰かが撮った昔の写真と同じ視点は持ち込めないのだとある種諦めのような気分が常に付き纏っていた。しかしこの写真群はどうだろう。2015-2020の期間に撮られた写真は前半1974-1977に撮られた写真たちが放つ気分(街の色合い、人々の視線などだろうか)をそのまま受け継ぎ、私に届いたと思えた。言い換えれば二つのイメージの中に同じ街や人の匂いを感じた、ということだ。そして私なんか影も形もなかった70年代と2010年代が1本の糸でしっかりと繋がった感じがした。
平成生まれ以降の多くの人たちにとって、いわゆる昭和的な風景は創造物の中に存在していて実感を持った現実のものではない。木造の家が立ち並ぶ道の真ん中で子供たちがはしゃいでいたり、畳の部屋に割烹着のおばさんが座っていたりする光景は映画やドラマのセットの中の話だ。黒縁の丸メガネのおじさん達や街に溢れる手書きのタイポグラフィだってそうだろう。同時に私は『昔』が確かに存在していたことを証明できるものは実はないのではないかとも思う。仮に昔の映像や写真、文章を見せられたとして、それが確かにその『昔』からそれがやってきたかどうかは、過去を実際に見る能力のない私に判断をすることはできない。しかし、この写真集で山崎が街に投げかけた一つの視点が私が感じていたその隔たりを補完したのかもしれない。このようなわけで、私はそれら二つの世界が写真家の一つの同じ視点によって、滑らかに繋がったものだと認識できたのだ。この点において私は「安心した」と思った。
また、これは造本的な視点だが、紙が良い。ありきたりだがとにかく紙が良いと思った。なかなかこの良さを形容するのは難しいが言うとすれば、『のっぺりと深い黒が出るが、ファイン紙的な紙の繊維がその深い黒の内に光っている』ことに所以する良さだ。それによって画面の奥行きがありながら触れられそうなくらい浮き出ているようにも感じる。数十年前の人々の存在をしかと感じられるような表現力があると感じる。