BTSのおかげで生きる希望が出てきた話②
間髪入れず②を書きます。こういうのは勢いが大事ですからね。
前回はBTSにハマった過程を長々と書いてしまったが,そもそもこのnoteの本題は「BTSにハマって人生が少しだけ変わりましたよ」である。この変化は他人にとってみれば微々たるもので,誤差の範囲じゃね?ぐらいなものかもしれないけど,自分にとってはここ5~6年の(自分でかけた)呪いから少し解放された気がしている。
●変化のきっかけ
私の推しはSUGAさんである。ここでは本名のユンギさんと呼ぶことにする。余談だけど,芸名のほかに本名とか愛称で呼ぶ感じ,宝塚みがあって良いよね(元ヅカファン)。
昨年11月,沼入りを身体中感じてyoutubeを漁っていたところ,2019年FESTA「防弾屋根裏部屋」という動画を見つけた。どうやらFESTAというのはデビュー記念のコンテンツらしく,メンバーがお菓子を食べてリラックスしながら長めの座談会をしてくれる動画らしい。ということを何となく理解しつつ,軽い気持ちで見始めた。ファンによる日本語字幕付きの動画がゴロゴロ転がっていて,マジで底なし沼である。感謝。
子どものころにハマった遊びは?とか,クリスマスの思い出は?とか他愛のないテーマから,メンバーの人間性に迫るテーマまでいろんなトークテーマがあった中で,「デビュー時と今の性格を比べて変わりましたか?」というテーマになった。
ユンギさんの性格がどう変わったか?というのに対してJ-HOPEが「昔はカメラの前でキャラを作ってたけど,今はもっとユンギヒョンらしくなった」という話をしたところ,ユンギさんが「メンタルケアの先生に言われたことで一つだけ覚えてるのが『そういうこともある(그럴 수도 있지)』。昔は意地みたいなのがあって『これじゃダメだ』っていうのが強かったんだけど」という話をした。
え,私のこと?って思った。
私も「こんなんじゃダメだ」「この立場になったら〇〇しなきゃいけない」「できないなら〇〇失格だ」というハードル(無理めなやつ)を自分に課してしまいがちで,自分の首を絞めがちなので。
その後もいろんなコンテンツで,ユンギさんが昔は強がっていたということ,こうあらねばならないという像に縛られていたこと,頑張っていることをことさらに強調していたこと(それによって認められようとしていた),などを後悔して,直していこうとする発言を聞くことがあった(あるいは,それらに縛られていると思われる昔の発言も)。
恐らく「新人だから」「芸能人だから」「アイドルだから」「クリエイターだから」「男だから」…など,いろんなものに縛られてきたんだろう。世間の目がそうさせている,と見せかけて(もちろんそういう面もあるだろうけど)何よりも自分を縛っているのは自分だったりする。認められたいと願いつつ,一番自分を認めていないのも自分。
それから「Answer: Love Myself」のユンギさんパートの歌詞も,これは私に向けて言っているのでは?という錯覚を覚えたりもした。
”어쩌면 누군가를 사랑하는 것보다 더 어려운 게 나 자신을 사랑하는 거야
솔직히 인정할 건 인정하자 니가 내린 잣대들은 너에게 더 엄격하단 걸”
(拙訳・意訳:もしかすると誰かを愛することよりもっと難しいのは自分を愛することだよ 正直に認めることは認めよう 君のものさしは君に対してより厳しくなることを)
なんで私が一番言ってほしいことが分かるんですかーーーーーー!?!?!?えー何ーーーー?好きなんだけどーーーーー????
私自身,自分に対して自分が一番厳しくなるということにもちろん気づいていたけど,この癖は治らなかった。特に5~6年前ぐらいから,私は自分で自分に勝手にプレッシャーをかける癖がひどくなった。「○○できないといけない」「うまくやらないといけない」と思うと,失敗するんじゃないか,うまくできないんじゃないか,みんなに馬鹿だと思われるんじゃないか...と,これまで好きだったことができなくなった。
自分にプレッシャーをかけたおかげで達成できたこともあるし,何より私は3年前に自分の望んだ職業に就くことができたけど,そうすると余計に強迫観念が強くなった。「プロなんだから」「この立場になったんだから」と。
そんな中で私が自分で自分に言い聞かせてきたけど全然効き目のなかった言葉をユンギさんに言われると,すごく素直に受け入れられる気がした。恐らくユンギさんはこの歌詞は自分自身に向けて言っているんだと思うけど,同じようなことを思ってしまうファンに向けても言ってくれているんだと思う。だから私に向けて言ってるのー?というのは間違いではない。うん。
前置きが長くなってしまったけど,そんなユンギさんの言葉に触れ,私が私にかけた呪いが少しずつ解けていくような感覚を味わっている。少しずつではあるけど。呪いをかけたせいでできなくなってしまったことに,少しずつチャレンジしようと思うようになった。もしうまくいかなくても毎回「そういうこともあるさ」と流せるほどには達観できないけど,「うまくいかないかもしれないけどやってみようかな」というぐらい。
以下,そんな変化を書きたい。いやもうすでに超長いじゃん。こっからが本題かよっていう。
●呪いその1:文章を書く
私の呪いその1は「文章を書けなくなってしまった」こと。私の仕事の重要な部分を文章を書くことが占めている。にもかかわらず(だからこそ?),文章を書くことが怖くなってしまった。
私はもともと文章を書くことが好きで,それこそ学生時代mixi全盛期には誰に頼まれたわけでもないのに毎日1時間かけて3000字の日記を書いていたりした。よくそんな書くことあったね?
でもそれが「うまく書かなきゃ」「こんなもの読まれたら馬鹿にされるんじゃないか」「こんなもの書いてる暇があったら仕事の文章書けよ」という頭の中の声がうるさくて,何も書けなくなってしまった。Twitterは呼吸と同じだから別です。
だけど今は「うまく書けなくても,馬鹿にされても,とりあえずBTSへの愛を書きたい!私がBTSを好きになってから生まれた前向きな変化を書きたい!」という思いが強い。ので,今これを書いています。このnoteを始めたこと自体が小さなチャレンジ。あと,これを書かなかったとしても仕事の文章が進むわけでもないし(これはマジで真実)。
●呪いその2:本を読む
呪いその2は「本が読めなくなってしまった」。これもまた仕事でたくさん本や文献を読まなきゃいけなくて,「どうせ読むなら勉強になるものを」「〇〇も読んでないなんてダメだ」「こんなことも知らないなんて」とか思ってたら,何も読めなくなってしまった(もちろん最低限は読むけど,苦痛)。本を読むのは好きだったし,新しいことを学ぶことも好きだったのに,とにかく本が怖くなった。行間から「お前,こんなことも知らないのかよ」っていう声が聞こえてくるようだった(かなりキてますね)。
そんな状態なので,新しい領域への興味なんか持ちようもなく,好きだった小説にも手が出ないでいた。んだけど,少し前に書店に行ったら「BTS IN THE SOOP」でナムさんとユンギさんが森の中で読んでいた「アーモンド」をいう小説の日本語版を見つけ,思わず買ってしまった。本を読む二人がすごく幸せそうに見えたから,私も同じものを読んでみたくなった。そして,その日のうちに読んでしまった。その間,頭の中に例の声は鳴っていなかった。こんな清々しい読書はいつぶりだろう。
本なんて,好きに読んだらいいんだよ。嫌になったら読むのをやめてもいいし,途中から読んでもいいし。仕事の本と好きな本,両方読んだらいいんだよ。あと,「こんなことも知らない」なら今から知ればいいじゃん。なんでこんなに怖かったんだろうか。
●呪いその3:語学
私は韓国に10か月ほど住んだことがあり,また仕事でも韓国語を使うので,多少は韓国語を理解することができる。ここで「多少」と言ってしまうのは謙遜ではなく,本当に自分の韓国語に自信がないから。
自信がないなら勉強すればいいのに,私はそれを避けてきた。できないままにしておけば,できない自分に向き合わなくて済むので。ちなみに,この「できない」というのは他人に言われたわけではない。まさに自分で自分に使っている「過剰に厳しいものさし」なんだよなあ。
あと,「韓国語やるなら英語やれよ」っていう頭の中の声もうるさかった。確かに英語もまた中途半端なままだし,これまた自信がなかった。かといって英語の勉強が捗るわけでもなく,語学の勉強自体が怖くなって,何も上達しないままどんどん単語を忘れる,という悪循環に陥っていた。語学の勉強も,かつてはすごく好きだったのに。
でも,どうにこの中途半端な韓国語をもっと上達させたいという欲が出てきた。彼らが話している言葉をもっと理解できるようになりたい。字幕なしで会話が追えるようになりたい。VLIVEをリアルタイムで聞いて理解できるようになりたい(現状は7割程度の理解度だと思うけど,口語表現とか文学的な表現に弱い)。
そのためには,とりあえずの目標として韓国語能力試験で一番上の級を取りたい!というわけで,先週から韓国語能力試験の勉強を始めた。最初の挑戦でどこまでできるかは分からないんだけど,今は恐怖よりも楽しみが勝っています。そのこと自体がすごく嬉しい。
以上,BTSへの愛を語ると思いきや自分語りになってしまったけど,ほらBTSも"Speak yourself"って言ってくれてるからさ!
そんなわけで文章を書くことに関する呪いをもっと解くためにも,しばらくnoteを続けてみようと思う。次は各メンバーへの愛とか楽曲への愛とかを語れたらいいな。
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