#4. 喪失の向こう側(『Perfect Sense/世界から猫が消えたなら』)
コロナウイルスに罹るとその症状のひとつとして、嗅覚と味覚が低下するということが挙げられるという。そんな時にぱっと思い浮かんだのが、『Perfect Sense』という映画だ。2011年イギリスにて作成されたデヴィッド・マッケンジー監督によるパニック映画。
少しずつ感覚が消えていくこと
この映画は少し、今の状況と似ている。
ある日突如として、全世界の人々の間で原因不明の感染症が広まり始める。嗅覚を皮切りにして、味覚、聴覚、視覚が失われていくという話である。(触覚は最後まで失われることがなかった。)そしてこの感染症の原因を突き止めようとする感染症学者のスーザンと、自宅アパートの前で開業しているレストランのシェフ、マイケルはふとしたことをきっかけに惹かれあっていく、そんなエピソードである。
この物語は、結局結末がない。
最後まで見た時に、救われない話だと思った。嗅覚が失われた後、味覚が失われる前に人々は抑えきれない飢餓感と衝動的な暴力感情に襲われる。どこか人の生存本能が助長されていたように見えた。そして、最後視覚が失われる直前人々はどうしようもない幸福感に満たされるのだ。
当たり前だと思っていた世界が、あたりまえでなくなること。
どうしてもわたしは今でもこの映画の終わり方に納得がいっていないところはあるのだが。とにかくひとつひとつの感覚が失われていくごとに、じぶんたちの当たり前が消えていくことによって人々は互いに疑心暗鬼になってしまう姿が描かれている。
つい昨日まで、存在していたのに。日常は変わりなく動いていて、また同じように明日も同じ平凡な日々が繰り返されていく、そんな最中で突如見えていた世界がぐるりと変わる。そんなことがとても息苦しかったりする。
それにしても、この作品は映像がとてもきれいだ。
どちらかというとコントラスト高めの、いかにも外国の映画という感じの色調感。最初に始まる際に、スライドが切り替わるように写真がいくつも映し出される。その各々の写真が持つ、平凡な日常然とした雰囲気がまた好きだ。
大事なものの喪失
そして同じく、失われてしまうことでその日常にありふれたものたちがいかに自分の生活に重要だったかを認識する。佐藤健主演の『世界から猫が消えたなら』という作品である。
主人公は或る日、頭に違和感を覚え病院へ行く。すると、医者から脳腫瘍により余命いくばくもないことを知らされる。そして、茫然としたまま部屋に帰るとそこには悪魔がいるのである。悪魔は主人公に向かって、余命を延ばすために契約をしようと持ち掛ける。それは、世界から悪魔が指定したものを主人公の周りから消していくものだった。
主人公の周りからは、日常過ごすうえで当たり前だったものが消えていく。電話、映画…そのたびに彼は、その消えていくものたちがいかに他者との思い出とを結びつけていたかを知る。
この作品もすごく映像が綺麗だった。それだけに主人公のやるせない感情もダイレクトに伝わってきた。特に好きなシーンは、主人公と元彼女が南米で日本人と出会うシーン。
この世界にはたくさんの残酷なことがあると知る。けどなあそれと同じくらい美しいものがあるということにも気がつくんだ。
たぶん人は割かし適応能力が高い生き物だと思われるので、このなかなか家に出られない状況もしばらく経てば慣れるかもしれない。また、この状況は突如として終わりを迎え外に出られる日が来るかもしれない。
だけど、また同じように外に出て“普通に”過ごせる日が来たのなら、外の空気だとか光だとか人と直接話せることだとか、当たり前であることに感謝する日がきっと来るはずだ。
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