170815_「零れる」という表現
思いつきです。そのうち投稿辞めます。
ツイッターでつぶやくには、スケールが足りなくなってきたので、まとまった文章を書く要を感じました。タイピング練習になればそれいいかなという具合です。
どうでもいいですが、私は休みがない夏です。
電車のなかの雰囲気に酔いそうですが。。。。笑
仕事の気質上、致し方ない。
◆本題
性根が腐っている私なので、このようなツイートをしてしまいました。。。。
元来、ルーツがそちらのものであれば、カタカナで表すのが良いとサれているような気が。。。。
無理くり、日本語の文字列に当て嵌めようとすると、政府の資料のように、取って分りにくくなるような印象も受けます。
キーワードを重要に、と現代国語では習うはずですが、そうやって揶揄する方はそもそもそのキーワードに嫌悪を抱き、意味をわかろうとしないか、国語がめっきり苦手なんだろうなと推測できます。
正直、国語ができないというのは、日本人だから(とかいうとまた蓮舫さん的諸問題は起きるので割愛。。)とかは関係なく、大人としてなかなか致命症ではないでしょうか。
どこで培うかどうかなど、自分で考えろ。そこからが国語である。みたいなものです。
表題の件に関してですが、どうも最近不思議に思うことがあります。
「溢れる」と「零れる」と「毀れる」-コボレル。
最後者に関しては、文脈が決まっていて、主語や目的語になるものは刀ないし、それに順するもの。もしくは、硬く割れるような物質がきます。
前者2つに関しては、印象以外の差異がまったく判りません。一般的か文語的かの違いでしょうか。また「翻れる」というのもあります。
同様に、「知る」と「識る」や「飲む」と「呑む」、「解る」と「判る」(「分かる」、「理解る」)等々もいちいち文脈依存するのかなぁなんて思いました。
純文学なんて言われる書物を読んでいると、なんともなぁまどろっこしい表現の数々。そこがいいんでしょうけど。
簡潔に物事を伝えるのもまた難しいんですがね。
熟、社会人って向いていないなぁとぼやいてしまう次第です。
正直、自由業への憧れがすごくあります。
幼少から時間割通りに物事が進んでいくことに異議を感じていましたし、大学なんて90分授業受けれたことないんじゃないかなぁとか。
集中できるか否かは私のなかでは、別問題なのですが、外側からはそう言われてもしょうがないことです。
今日も理不尽だなあと。。。。。。。。
◆追記
やっぱり夏はレモンサワーに唐揚げだと思います。
中目黒に良いお店があると聞きました。
今度覗いてみようと思います。