170903_貧すれば鈍してしまう組織について

(過去ログ)

まったくもって、三日坊主な私は「腰抜けな野郎だなっ」と自分の真面目人格から恫喝される。。。。。。

というよりも考えが整理できないまま、9月に入ってしまったがゆえに、文章を書くなど不可能なものだと、都合よく割り切った怠惰人格の私は思っていた。

昨日はある慶典より、お酒を飲みすぎた。

節目とは、過去を振り返るには絶好の機会。そして功績に評価がつき、ミニマムパラダイムを羅列できる面白い日。そして、明日からどういう組織へと変革しいていこうか、全員が悩み考える機宜でもある。

お偉い様らにご挨拶を賜る際、AIやlotって言葉、皆さんお好きだなと思う。

反面、全く事業に転化できないことに気づく。

アマゾンアレクサの記事を読んだ。

自分の業務とはあまり関係はないけれども、その仕組みは大変興味深いものがある。

音声言語というのは、タイプワードよりもはるかに雑多で、例外が多いがゆえに体系化が困難な気質でもある。人間性を含有していると言及しまえば、それ以上紐解けなくなりそうな、丸い関係性だろう。

最近気づいたことがひとつ。発音やイントネーション、広く街訛り(いわゆる方言)によって、声のトーンが変わるかもしれない説。

方言単位ではなく、個人単位で変わるという意味。つまり、同じ人が日本語と英語を喋るときは英語の方が、気持ち低くなり、関西の方が標準語を話そうとすると、トーンが上がるといったところ。

言語帯によって軸となるオクターブが異なるのかもしれない。


◆本題

表題について

最近ひしひしと感じる。「貧すれば鈍する」という故事。シソーラスに「窮すれば濫す」があるが、若干ニュアンスがことなるように思える。後者が良い結果になれば、窮鼠猫を噛むにあたる。鈍すればというのは、マネタイズや資金繰りについてで、要はコップと水の話。金銭感覚というのは、本当に不思議で、大なり小なり心理的影響、余裕と関与している。アイディアというものには、定価がないがゆえに高く見積もられることが多いが、対偶的に考えると、至極当然でもある。

大量に水が入ってくるからと、自ずと大きくなりすぎたコップは、それで不幸でもある。

じゃあ金銭に関してその水がコップから溢れるかといえば、そういうことはない。

鈍すれば貧するも成立するのかすらおもうのは、所謂、日本人的な“勤勉”と揶揄される気質がゆえなのか。




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