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【掌編小説】冬の庭
薄曇りの空は、まるで半透明の布を広げたように淡く色彩をたたえ、その隙間からかすかに陽が差し込んでいた。その光は、冷たい雪の表面を繊細に照らし、庭の景色を柔らかく浮かび上がらせている。音のない世界に、雪はひとつひとつ光の粒となって舞い降り、風もない空気の中をふわりと漂っていた。
庭に続く小径は、どこかに続くのをためらうように雪に埋もれて形を失っていた。細い枝に積もった雪は、その重さでかすかに揺れ、光をまとった雪片が音もなく地面に舞い降りる。
「綺麗だなぁ……」
小さく呟くと、その声は白い息に包まれ、すぐに空気の中に消えていった。ここには言葉も余計に感じられるほど、穏やかな静寂が広がっている。柔らかな陽光と、雪の静けさに包まれたこの場所は、時間さえも凍りついたかのように動きを止め、ただ景色だけがゆっくりと息づいていた。
家の中では、祖母が座卓の前に座り、古びた針箱を開けていた。時を重ねた手のひらで針をつまみ、糸を通すその仕草は、どこか祈りに似ている。銀の針がかすかに光を弾くたび、冬の低い陽の温もりがわずかに室内を照らしているように感じられた。
「この庭も、ずいぶん変わったよね」
私はふとそんな言葉を漏らした。
祖母は小さく頷くようにして、一度だけ目を向けたが、すぐにまた針先に目を落とした。
外では雪が静かに降り続き、庭をどこまでも白い世界に染め上げている。その奥に立つ桜の木は、まるで空を支えるかのように凍りついた枝を広げていた。幼い頃、この木の下で春を待つ喜びを覚えたことを思い出す。その桜は、今では細い枝を冷たく震わせるだけで、春の記憶も遠く霞んでいた。
「どうして桜を植えたんだろう」
ぽつりと漏らした言葉が、静けさの中に吸い込まれていく。
祖母は手を止め、今度はゆっくりと庭を見つめた。
「人はね、咲くものを植えたがるんだよ」
「咲くもの?」
「そう。咲く花があるだけで、暮らしがちょっと楽しくなるからね」
その声は、雪のように柔らかで、けれども冷たさを含まない優しい温もりがあった。
午後の陽は次第に低くなり、庭の隅々に影が延びる頃、祖母の手元から一枚の布が仕上がった。淡い冬の空を思わせる白い布地には、赤い糸で丁寧に桜の花がひとつひとつ縫い込まれている。
「桜は散るけれどね、こうして残せば何年でも楽しめるね」
祖母はそう言って微笑みながら、私の手にそっと渡した。
布の中の桜は、雪の中で震えるように揺れている。そっと触れると、冷たさも温かさもないその布地の中に、不思議な命の気配を感じた。
外の雪はいつの間にか止み、積もった雪がわずかに風に揺れていた。白い静寂の中に差し込む夕陽が、雪に小さな光の粒を散らし、庭全体を淡い金色に染めていた。
祖母は針箱を静かに閉じ、縁側に腰を下ろした。
「冬の庭は静かだね」
そう呟く声が雪に吸い込まれ、私はその横顔を見つめた。
空を見上げると、ひとひらの雪が風に乗り、ゆっくりと舞い上がり、高みへ消えていった。