古書を買うとき、売るときのアレコレ―読書月記46
(敬称略)
何がきっかけだったのか忘れたが、少し前に斎藤栄の『水の魔法陣』を読み返した。最初に読んだのは30年以上も前だと思う。読んだ文庫の解説によると、『火の魔法陣』『空の魔法陣』の3部作だということなので、そちらも、ネットで古書を、それぞれ上下セットを見つけ購入し、読むことにした。この2作も以前に読んでいるが、3作ともほぼ記憶にない。
それぞれ共通する登場人物がいるものの、独立して読める作品にはなっている。『水の魔法陣』では、マンションの「水」から始まって様々な水の問題が取り上げられている、『火の魔法陣』では、マンションにおける火災時のこと、公道でガスを運ぶガスローリー車のことなどが出てくる。
『空の魔法陣』では医療過誤の問題が出てくる。先日、上巻を読み終え、下巻を読み始めた。ところが、話が繋がらない。ちょっと先を読んでも同じだ。あれ、と思って調べてみると、『空の魔法陣』は上中下の3巻構成だった。以前読んだといっても、そこら辺りの記憶もないので、出品情報の「上下セット」をそのまま信じ込んだのだ。おそらく、出品者も意図したことではなく、上中下ということを知らなかったのだと思う。カバーの後ろの「そで」を見れば書いてあるのだが、そこを見ていないのだろう。考えてみれば、送料込みで620円、多くの商品を扱っていれば、そこまで目を通さなかったとしてもアレコレ言う気にはならない。買った私も、読んで違和感を覚え、それでようやく「そで」を見たのだから。
ただ、先月にも書いたけど、今、蔵書整理をしているのだが、ヤフオクに出品しているものについては、この辺りのことは気を使っている。全集やシリーズもので完結していないものは、出品する際に、その旨を必ず書くようにしている。数千円以上、なかには数万円のものもあるので、疎かにできない。
完結していない理由は、それぞれだ。出版社が倒産した場合もあれば、翻訳に手間取り、なかなか続きが出ないなどなど。出版社はあえて言わないが、思ったほど部数が伸びないので、途中で打ち切りになったものもあるようだ。
40年ぐらい前に、古書店で、アナトール・フランスの長篇小説全集第3~5、『現代史』Ⅰ~Ⅲを買った。3冊で3000円ぐらいだった記憶があり、当時の私の経済状況を考えればそれほど安くはなかったが、だからと言って高価というレベルでもなかった。ところが、家に帰って気づいたのだが、『現代史』は全4巻で、第6巻の『現代史』Ⅳで完結になる。そこから、古書店に行くたびに、第6巻を探したが、見つからない。それも道理で、調べてみると私が購入したのは、戦前に刊行された『アナトール・フランス長篇小説全集』の第3~5だったのだが、戦争のために全集そのものが完結できず、第6巻は刊行されていなかったのだ。戦後になって、『アナトール・フランス長篇小説全集』は改めて全巻刊行されるのだが、1951年に刊行された第6巻だけが、1980年代の古書市場に出ることは、かなりハードルが高い話だ。当時はネットもなく、実際に足を運んで探したわけだが、そもそも行ける古書店の数に限界があった。それでも、一度だけ全巻セットを見たことがあるけど、1冊のために購入するには高すぎる価格だった。ちなみに、2000年にアナトール・フランス小説集として、同全集や『アナトール・フランス短篇小説全集』に含まれる作品の多くが復刊されるが、残念ながらそこには『現代史』は含まれていなかった。
もし、私が古書店で最初に見かけた際に「全4巻のうちの1~3巻」と書いてあったら購入しただろうか? Ⅳはそのうち見つかるだろうからと、買っていた可能性は否定できない。ただ、知っていて3冊だけ買うのと、知らずに3冊を買うのは、かなり意味が違う。神保町の古書店で買ったと思うが、あの古書店の人は、知っていたのか知らなかったのか、分からない。おそらく知らなかったのだろうと思っている。
ちなみに、アナトール・フランス長篇小説全集第6巻の『現代史Ⅳ』だけを、3か月前に入手した。しかし、読むためにはではない。今回の蔵書整理のために、『現代史Ⅳ』を揃え、4冊で売ろうと考えたからだ。かなり久しぶりに検索をしたのだが、驚いたことに、1冊だけの出品があったのだ。さっそく購入して、4冊セットで出品し、購入者もいた。出品する際に分かったのだが、戦前版と戦後版は、装丁は同じだったのだが、微妙に大きさが違っていた。出品する際は、それらの情報などもすべて書いた。やはり分かっていて欲しいからだ。
古書を買う際も売る際も、微妙な知識はあった方がいい。
『夢淡き青春』というフィッツジェラルド作の小説が、角川文庫からかつて刊行されていた。私はカタログでタイトルだけを見て、知らないフィッツジェラルの作品だと思い購入したのだが、届いてみてびっくりしたのは『夢淡き青春』は、『グレート・ギャツビー』の邦題だったのだ。Amazonで検索すると文庫カバーが見られるが、そこにはどこにも「グレート・ギャツビー」という字はない。ただ、日本の古本屋で検索すると、1974年版の文庫カバーには「グレート・ギャツビィ」の文字があるが、これは映画『華麗なるギャツビー』が当時公開されていたからだろう。ちなみに、Amazonには文庫本『夢淡き青春』の副題として「グレート・ギャツビィ」が付されているから、勘違いする人はいないだろう。
海外作品の邦訳は微妙だ。『高慢と偏見』と『自負と偏見』は同じ作品だが、『分別と多感』は別作品で、同作には『いつか晴れた日に』という邦訳もある(カバーに「分別と多感」という字があるので勘違いはしないはずだ)。ちなみに前者の映画の邦題は『プライドと偏見』。通常の感覚で翻訳すると『誇りと偏見』になりかねない。それでも、「偏見」が共通しているだけましかもしれない。少なくとも「夢淡き青春」から「グレート・ギャツビー」を想像できる人はほとんどいないだろう。
だた、前回も書いたように、古書市場では個人出品が増加している。また、出版点数も増えていることを考えると、専門家である古書店サイドの知識にも限界がある。トラブルと言っては何だけど、今後は自分で買うときに気をつけないと、二重買いをしてしまうことが増えるかもしれない。