『始祖鳥記』から『コンニャク屋漂流記』へ―読書月記40

(敬称略)

星野博美の『コンニャク屋漂流記』をようやく読み終えた。同書に関しては、記憶では2012年に最初に挑戦している。おそらく、2012年冒頭の「月刊みすず」の読書アンケート号で何人かが取り上げていたからだ。しかし、冒頭で挫折。さらに『みんな彗星を見ていた』を2016年に読んでいるが、その後に再チャレンジしているが、やはり冒頭で挫折。今年になって『世界は五反田から始まった』を読んだが、同書中で触れられていたにも関わらず、私は『コンニャク屋~』と縁がないと諦めていて、チャレンジすることもなかった。ところが、3月に飯嶋和一の『始祖鳥記』を再読したことで、4月に入って、3度目のチャレンジをすることになったのだ。

飯嶋和一の作品で最初に買ったのはこの『始祖鳥記』だ。といっても、飯嶋和一がどのような作家であるのかは知らなかった。書店で平積みされていて、その帯に「天明」「幸吉」があったからだ。
私は江戸時代の天明期などに興味があり、しかも幸吉の事績については簡単ではあったものの知っていた。だから、とりあえず買ったものの積読になった。読んだのは数年してからで、それからは飯嶋和一に夢中になった。以後、新作が出るたびにすぐに買って、読んできた。昨年は『神無き月の十番目の夜』を読み返し、この読書月記32にも書いている。今回は『始祖鳥記』を読み返すことにしたのだ。
以前に読んでいるので基本的な内容は分かっていたが、忘れていることが多かった。読んでいると思い出したものの、船乗りになったこと、棉を扱う商人になったことなども忘れていた。当然だが、細かい単純な事実については全く忘れていることが多かった。その中で、ハッとしたのが、江戸須原屋、アホウドリを「沖太夫」(おきのたいふ)と書いていること、志摩の九鬼水軍が房総に流れた部分だ。
私は江戸時代の出版に興味があり、なかでも須原屋市兵衛に強く惹かれている。もう30年以上も惹かれ続けている。だから『始祖鳥記』で須原屋の名前を見た時、なぜ前に読んだ時に見落としたのだろう、と思った。しかし、調べてみるとこの須原屋は、市兵衛の書肆とは違って、須原屋茂兵衛。この須原屋茂兵衛から暖簾分けしていくつもの須原屋に広がった。市兵衛もその一人だ。最初に『始祖鳥記』を読んだ時に、どこまで詳しく調べたのか忘れたが、見落とした訳ではなさそうだった。アホウドリに関しては、『オキノタユウの島で』を2016年に読むまで、「オキノタユウ」という呼称を知らなかったので仕方ない。私が知っていたのは「アルバトロス」だ。それでも、記憶力が良かった10代の頃なら、『オキノタユウの島で』を読んだら『始祖鳥記』のことを思い浮かべたかもしれない。しかし、九鬼水軍が志摩から房総に移動した話は少し違う。『世界は~』では『コンニャク屋~』に幾度となく触れていて、著者の先祖も含め、江戸時代に紀州から房総に移住した人々がいたことが書かれている。『世界は~』を読んだのは2月で、『始祖鳥記』は3月だ。さすがに忘れていなかった。そして紀州と志摩はそんなに遠くない。ともに紀伊半島に属している。この二つに何か関係があるのでは、と思い、3度目の挑戦となったのだ。
結論を言えば、この二か所からの移住を結び付けるものは見当たらなかった。しかし、それは結果論でしかない。接点が見つかればもちろん嬉しいが、とにかく読んでいる間はドキドキできただけで十分と言える。

今、フッサールの遺稿をナチスから守る話を描いた『フッサールの遺稿』という本を読んでいるが、ベルギーのルーヴェン大学が出てくる。読み始めた時は同大学について何も思わなかったが、同大学の図書館が第二次世界大戦中に炎上することに触れた部分で、同図書館は第一次世界大戦でも炎上した話が出てくる。そこに至って、2011年に読んだ『図書館炎上』という本を思い出した。こちらは、2度の世界大戦で2度もドイツに燃やされた図書館ということがメインで書かれていて、フッサールの遺稿に触れていたという記憶はない。また、同書では「ルーヴァン」となっていたこともあってすぐに思い出せなかったのだ。

同じようなテーマを扱った本を読んでいれば何の不思議もないことだが、一見無関係に見える本に、少しだけでもつながりが見つかると私は楽しくなる。
だから、指揮者のアンセルメがバレエ・リュスと関わっていたこと(ストラヴィンスキーが仲介したようだ)を最近知って、一度は手放した『アンセルメとの対話』を買い戻した。30年ぐらい前に同書を読んだ時は、単に指揮者の頭の中を知ってみたかったから読んだだけで、バレエ・リュスについては何も知らなかった。今読めば、違う部分で面白さを発見するかもしれないからだ。

『コンニャク屋~』で著者は、史料はその時の注意の向け方などが影響するので、読み直すたびに発見があるといったようなことを書いている。史料のことは分からないが、私の経験では、人文書などでも、どうしてもその時の興味の外にあることは読んでいても記憶に残りにくい。小説でも、キーとなる台詞や人物の行為を見落としているときもある。だから、子ども時代に読んだ本を大人になって読み返すと、その見落としに気づいたり、違う側面に目が届いたりして、違う印象を受ける作品は少なくない。


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