ディアギレフにはまってバレエ本を集めているー読書月記42
(敬称略)
6月26日あたりから、積読になっていた本の整理を始めた。フローリングの床に、ジャンルや著者なども関係なく、せいぜい判型や大きさを購入順に近い形で平積みにしていくという、まさしく〝積〟読状態。急に知りたいことがでてきたときや、前に買った記憶はあるけど、そろそろ読みたいと思って、探そうとしたときに、すぐに見つからず、不便極まりない。本棚もほぼ満杯状態。一応、本棚に並べる段階では、ある種の区分分けはしているが、前後に並べている場合、奥の方の書名が分からず、思ったほど探せない。現時点では、段ボールに入れ、それに番号を振り、エクセルにその番号と書名を並べて入れておくというのが、探しやすい気がしている。段ボールに入れてしまえば、しかも日焼けもしない。ということで、ざっとジャンル分け、テーマ分けして、段ボールに入れていくつもりだ。
江戸の出版や蘭学に関する本は1980年代後半から集めているし、中村真一郎、加藤周一などのように作家ごとに集めている本が、それなりにあることは想定していた。また、日記や書簡集、紀行・旅行記もかなりある。さらに、近年増えているのが、バレエ・ダンス関係の本だ。
バレエ・リュスを主宰したディアギレフについて書かれた『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』(リブロポート)を最初に読んだのは、2006年。それ以降、バレエ史、なかでもディアギレフとバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を中心に、バレエの本を読んできたが、それが徐々に、バレエ史全体、モダンバレエ、ダンスなどに。さらに、踊りに加えて、バレエ音楽やバレエに関わる文化史、特にロシア文化史にも興味が広がっていった。
バレエを習ったこともないし、生でバレエを見たこともないのに、不思議なもので、興味がどんどん湧いて来る。バレエが題材となったミステリーにも手を伸ばす。文化経済学の本も買った。バレエを題材にしたマンガもいくつか読んだ。
何が、これほど私をひきつけるのか。バレエ・リュスに関しても、一つ一つの要素を取り上げると特段好きだったり興味を惹かれる人物がいるわけではない。ニジンスキー、ストラヴィンスキー、ピカソ、コクトー、ココ・シャネルなど、それなりに興味を抱いている人はいるけど、それほど強いものではない。おそらく、強い興味の根源は、ディアギレフだ。彼は踊らないし(踊れない)、振り付けもしない。作曲はしない、舞台美術の絵を描かないし、衣装もデザインしない。脚本には多少は関わっているけど、いわゆる座付き脚本家みたいなことではない。現代なら、プロデューサーとか仕掛け人といったところだろうか。しかし、バレエ・リュスがバレエ史、文化史に残した功績を考えると、ディアギレフの存在抜きには語れない。ほかの誰かが抜けても、それなりの役割を果たす芸術家や踊り手はいただろうけど、ディアギレフ抜きだけはあり得ないというのが、バレエ・リュスだ。
残念なことを言えば、バレエ・リュスに関する映像はほぼない。映画『踊る歓び、生きる歓び』は、ディアギレフの死後に結成された「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」に関するドキュメンタリー(これはこれで興味深い内容だが)。あとは、舞台美術や衣装に関する視覚的な資料は様々に書物で再現されている。しかし、すでに出ている、ディアギレフに関する伝記、バレエ・リュスに関する研究書以上のものが、これから発表される可能性は、さほど高くない。もちろん、ディアギレフの伝記が映像化される可能性は皆無ではない。それについては、期待しないでもない。しかし、収益が確保できるほど、彼の存在が認知され、興味を抱かれる人が増えると考えるのは難しい。ストラヴィンスキーやニジンスキーの名前を知っていても、ディアギレフの名前を知らない人は多いからだ(『ニジンスキー』という映画が作れていて、ディアギレフのことがかなり描かれているらしいが、未見である)。
ちなみに、7月には、『ニジンスキー 踊る神と呼ばれた男』(鈴木晶著)が刊行される。当然だが、ディアギレフに関する叙述がそれなりにあるはずなので、楽しみにしている。