『神無き月十番目の夜』を読み返して改めて感じる飯嶋和一の凄み―読書月記32
(敬称略)
飯嶋和一のファンである。小説が単行本として刊行されれば、必ず買うし、読んでいる。小説に関して同じような作家は、存命の作家では、有栖川有栖、法月綸太郎、水村美苗だけである。
最初に読んだのは『始祖鳥記』。と言っても、飯嶋和一だから買ったわけではなく、江戸天明期、さらには表具師幸吉に興味があったから購入した。しかも数年間積読という状態だった。そして、さらに『黄金旅風』『出星前夜』を読んで、ようやく『始祖鳥記』以前の『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』を手に取ることになったのだが、それからはかなり熱心な読者になった。『狗賓童子の島』を連載していた月刊誌『STORY BOX』を購入し、同誌が通販のみになったあとも購入し続けてきた。
最近、以前マンガ誌に掲載された『雷電本紀』(マンガ化を担当したのは、かどたひろし)が電子書籍化され、それを読みながらマンガでは飽き足らない部分があったので『雷電本紀』を読みなおそうかとも思ったが、その前に、題材のわりにインパクトが残っている『神無き月十番目の夜』に手を伸ばすことにした。『雷電本紀』にしても『始祖鳥記』にしても、主人公はそれなりに著名だ。また、『黄金旅風』『出星前夜』の舞台となった時代の長崎は、堀田善衛の『海鳴りの底から』や辻邦生の『天草の雅歌』を読んでいてこともあって馴染みがあった。しかし、『神無き月十番目の夜』で描かれた事績については全く知らないことばかり。出てくる名前で知っているのは、伊達政宗と佐竹家ぐらい。にもかかわらず、作品全体に異常な緊張感を感じた。また、米作りの過程(土に藁をまぜることなど)の描写が印象に残っていた。
読み直してみると、予想通りとも言える緊張感に加え、『星夜航行』にも通じる馬に関する描写の面白さに加え、検地や江戸幕府の成立期における人心のことなどもやはり興味深い。
飯嶋和一は『雷電本紀』以降、歴史小説を発表し続けている。同書の刊行は1994年で、以降の約30年で書籍化されたのは『雷電本紀』を含め7作(『星夜航行』のみ上下巻)。連載中の作品もあるが、連載が終了しているものの、著者の推敲待ちというものが数冊あるはずだ(例えば、『灯守り』)。それでも、その完成度を考えると待たされるのはやむを得ないとも言える。
芥川賞や直木賞も受賞していない。本屋大賞にこれまで2度ほどノミネートされているが大賞には選ばれていない。これらは、ある意味では当然だと思っている。飯嶋和一は、芥川賞や直木賞や本屋大賞に選ばれる作家ではないし、そういう作品は書いていない(直木賞の場合、可能性がゼロではないが、今更あり得ないと思う)。ちなみに、本屋大賞にノミネートされた作品の一つである『出星前夜』は、大佛次郎賞を受賞している。飯嶋和一のどの作品が大佛次郎賞に相応しいかはともかく、作品の選考基準を知ると、飯嶋和一の作品が選ばれるのは当然だとも私は考えている。
今頃のエンターテインメント系小説のライトな文章になれた人にとっては、飯嶋和一の文章は骨が折れるかもしれない。分かりにくいということはないものの、改行も少なく、デテールへのこだわりがかなりある。映像ではそういうタイプが増えているが、やはり文章でそれを読まされるのはきついと思う人が少なくないだろう。そう考えると、飯嶋和一の作品がベストセラーといったヒット作品になる可能性は低い。しかし、一方で「飯嶋和一に外れなし」という言葉があるように、小説を読む醍醐味を強く感じさせてくれる作家であることも間違いのない事実だ。
早く次回作が読みたいものだ。