出版社で本を選ぶ―読書月記38
(敬称略)
本を選ぶ基準は人それぞれだろう。
著者で選ぶ人もいれば、流行を追う人もいる。文学賞受賞作、「この〇〇がすごい」に選ばれたものから選ぶ人も少なくない。口コミというのもあるだろう。新聞の書評、自分の好きな作家のお薦めというのもありだろう。
私もこれらのケースから選ぶことがある。子ども向けのホームズやルパンを卒業して、少しずつ大人の小説を読み始めた10代半ば、1970年代の半ばのことだが、当時は、いわゆる定番みたいなものがあった。代表格は「新潮文庫の100冊」辺り。当然だが選ばれているのは時代によってかなり違い、当時は世界文学全集、日本文学全集のベースになるような本がほとんどだった。
最初に読んだ本格的なミステリ作品は『Yの悲劇』。友人が『Xの悲劇』を買い、私が『Yの悲劇』を買い、読了後、交換した。当時は、星新一が人気だったし、NHKの少年ドラマシリーズがヒットしていたので、SFのジュブナイルやその作家たちの作品もどんどん文庫化されて、中学生の小遣いでも手を伸ばせるようになっていた。
コンピューターゲームも携帯もないころで、大都市ではなかったのでファーストフードもほとんどなく、金の使い道は、私の場合は、ほぼ本とレコードだった(中学生だけで喫茶店に入ることが禁止されていた気がする)。
それでも文庫本はともかく、単行本は高くて手が出ず、『だれも知らない小さな国』や『冒険者たち ガンバと15匹の仲間』は図書館で借りて読み、講談社文庫に入ったときにやっと購入した。
高校生後半辺りから、本を選ぶ基準に「出版社」という選択肢が入ってきた。当時、私は海外文学、ドストエフスキーだとかロマン・ロランだとかを読み、日本だと現代文学、要するに戦後の文学に夢中だった。海外文学だと岩波文庫、新潮文庫が強く、日本の現代文学は新潮文庫、講談社文庫、中公文庫などが競っていた。小遣いが増えた関係で単行本も月に1~2冊買えるようになってきたので(当時は1000円台が主流だった)、筑摩書房や河出書房新社にも興味が向いた。だから、筑摩書房の倒産にはかなり焦った記憶がある。
社会人になると、流行や文学賞は本を選ぶときに参考にしなくなった。正確に書けば、文学賞に関しては例外があり、「推理作家協会賞」「江戸川乱歩賞」「鮎川哲也賞」(できたのはかなり後だけど)「大佛次郎賞」「読売文学賞」である。芥川賞・直木賞・本屋大賞受賞作はほぼ読まない。理由は、もっともシンプルに書くと、私の人生に関わらないからだ。まあ、「江戸川乱歩賞」「鮎川哲也賞」も関わらないけど、娯楽も人生には必要だということ。そして「大佛次郎賞」「読売文学賞」の受賞作は、人生に関わる部分が感じられるというのが正直な思いだ。先日も、『世界は五反田から始まった』(直近の大佛次郎賞受賞作)を読んだ。具体的に書くのは難しいが、人生に関わるものを読みながら感じていた。
といっても、毎年の受賞作を欠かさず読むわけではない。ただ、受賞作はネットなどで必ずチェックしている。逆に芥川賞・直木賞・本屋大賞受賞作についてはほぼチェックもしない。
私が存命の作家で、ミステリ作家以外で必ず読む小説家は、飯嶋和一だけだが、大佛次郎賞の受賞者だ(といっても、受賞前から読者だったので、同賞が影響したわけではない)。
まあ、芥川賞・直木賞・本屋大賞をスルーする理由は、小説を読まなくなったことも大きいかもしれない。
レイシズム、気候変動、江戸時代の出版や蘭学、紀行・旅行記、評伝、日記・書簡、バレエ史などが今の私の興味の中心である以上、小説だけを対象にした文学賞に興味が湧かないのは当然とも言える。大佛次郎賞は、優れた散文が対象で、小説以外がかなり選ばれているし、読売文学賞は小説以外にも、戯曲・シナリオ、随筆・紀行、評論・伝記など計6部門もある。
そのため、上に書いた「出版社」という選択肢に関しても高校生時代とはまったく変わってきている。世の大半の人が知らない出版社が興味の対象になるケースが増えるともに、出版社ごとの特性も分かってくる。電子書籍を出さず、復刊をほぼしない出版社の本は、高くても買っておいた方がいいと判断し、少々無理をしても買う一方で、電子書籍を出している出版社の場合は、本によっては様子見している。古書が予想外に早く出回る場合もあるし、電子書籍そのものがセールなどで半額になる場合もある。価格はともかく、ポイントが大きく還元される場合もある。
まあ、正確に言えば価格は2次的な問題でしかない。本当に大切なのは、言うまでもないことだが内容だ。そういう点から、今の私にとって潰れて欲しくない出版社が20弱ぐらいある。その出版社が事業をできるだけ長く存続してくれることを願って、できるだけそこから本を買うようにしている。
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