見出し画像

「月刊みすず」と「STORY BOX」の紙版が終刊号を迎えた―読書月記44

(敬称略)

「月刊みすず」が8月号で、「STORY BOX」が9月号で、それぞれ紙版を終了し、WEB版へ移行する(ともに発行は8月中)。両誌の移行は、現今の雑誌の厳しい状況を反映していると考えていいだろう。

私の読書の中心は書籍で、雑誌にはそれほど思い入れはないものの、それでも1980年以降、40年以上に渡って、途切れることなく最低でも月に1冊以上の雑誌を買い続けてきた。普通の活字の雑誌、出版社のPR誌、マンガ雑誌などを含め、20ぐらいの雑誌をすべて同時ではないものの、定期購読(店頭で必ず買う場合も含む)してきた。しかし、上記の2つが休刊になることで、それがゼロになる。
私の20~30代は1980~1990年代にほぼ重なり、雑誌文化の黄金時代だった。マンガ読者の年齢層の広がりに合わせて、青年誌、レディースコミック誌などが創刊され、「POPEYE」「anan」「non-no」などの〝おしゃれな〟雑誌が書店の店頭を賑わし、月刊の「文藝春秋」が100万部(芥川賞受賞作掲載号以外では『昭和天皇独白録』が掲載された1990年12月号だけである)、少年ジャンプが653万部という発行部数をたたき出した。噂レベルだが、1990年前後、マガジンハウスの発行している雑誌の中には1冊も売れなくても、黒字になる雑誌があると言われていた(バブル期は広告料収入がそれほどあったということだ)。しかし、出版業界そのものが1996年の売り上げをピークに右肩下がりになり、雑誌も同じ状況になる。近年、書籍やコミックスが電子版の健闘もあって多少とは言え持ち直すなかで、雑誌だけは部数減に歯止めが効かない状況が続いている。

「雑誌にはそれほど思い入れはない」と書いたが、それでも記憶に残る雑誌はある。
まずは漫画情報誌の『ぱふ』だ。それも1980年4月号以降、清彗社発行の1981年1月号まで(同社が、二つの派閥に分かれ分裂し、同号でいったん終了する)。なかでも、1980年4月号は1979年の「ベスト10」が発表されている。これは読者投票だったはずだ。ちょうど、少女マンガを中心にマンガにのめり込みはじめた時だったので、選出作品が参考になった。作品については、長編と短編に分かれていて、長編のベスト3は『綿の国星』『はみだしっ子』『カリフォルニア物語』、短編の方は『四月階段』『たそがれは逢魔の時間』が1位と2位だったと記憶している。山岸凉子が『日出処の天子』の連載を始めるのは1980年なのでここには入っていない。『風と木の詩』がベスト10内にいたのは間違いないが、トップ3には入っていなかった。山岸は短編部門で『天人唐草』が入っており、私の大好きな高橋亮子の『道子』も短編部門のベスト10に入っていた。『ぱふ』では少女マンガが、なかでも白泉社系列が圧倒的に強かったが、それでも短編部門のベスト10には星野之宣の『月夢』が入っていた。主演女優賞だか助演女優賞(こんな賞もあった)だかで記憶しているが、石井隆の「名美」もエントリーされていた(石井のマンガ家時代を知らない人はそれなりにいる)。石坂啓の『下北なあなあイムズ』(連載は「月刊マンガ少年」だったはずだ)について、読者投稿で名古屋大学の院生の人が、すごく高く評価していたことも記憶に残っている。
当時の『ぱふ』は少女マンガ中心だったのは間違いないが、上に書いたように、星野や石井や石坂を選ぶ人たちもいて、それなりの「幅」を持っていた。編集部がノミネートした作品や登場人物もバラエティに富んでいた。だからこそ、そこで取り上げられる作品やベスト10が信頼できたのだ。逆に言えば、今、もしマンガ情報誌で、読者による投票で作品を選んでも、こんな風にはならないことが推測できる(評価ではなく、単なる人気投票になってしまうと考えている)。
のちに、同誌の編集を手伝っていた人に出会ったが、定期購読者は1000人にも満たなかったし、雑誌自体の売り上げも多くなかったようだ。少女マンガを読む男性は圧倒的に少なく(男性の私は、店頭で購入するのに心理的な抵抗があった)、マンガそのものもまだまだ日陰者的だった(読書月記20でも書いたが、1990年ぐらいまでは、マンガへの風当たりは強かった)。

記憶に残るもう一つの雑誌は、小沢書店の『Poetica』(隔月刊)である。表紙の下部に「小沢書店月報」という文字があり、基本的にはPR誌という位置づけだったようで、東京の大手の書店に行けば、『図書』『波』などと同じように無料で入手できた(ただし、3号以降については、定期購読を申し込んだと思うので実際は分からない)。創刊号は小川国夫、第2号が篠田一士の特集だった。篠田一士に夢中だった私は、都内の主だった書店を探し回るが見つからず、小沢書店の編集部に電話をかけ、ほとんど最後の1冊みたいなのを運良く入手できた。『Poetica』は基本的に作家1人を特集する形だった。変わったところでは、小沢書店から著作集が刊行されていた柴田宵曲も特集されている。柴田は俳人・歌人だが、私にとっては森銑三との繋がっている人ということで「江戸」というイメージが強く、小沢書店と結びつく人ではなかった。また、版画家で小沢書店からも本を出している加納光於についても、臨時増刊という形で1冊出ている。編集者は大野陽子。第2号の編集後記を見ると、OとHのイニシャルで2つの文章が掲載されているが、Hの方は発行者の長谷川郁夫だろう。編集後記の文章の分量を見ても、大野がほぼ一人で編集作業をしたのではと思っている。今でも、「日本の古本屋」などに出品されていて、臨時増刊を含む10冊だと11000円の値が付いていた(全部で10冊しか出ていない)。当然だが、1冊ずつの出品が圧倒的に多い。考えてみると、30年前の1992年から1993年頃の刊行で、50ページ弱なのに、今も多数の出品があることは驚きだ。特集された作家、そして執筆者にしても、商業誌ではなくPR誌という側面があったからだろうけど、素晴らしいという一語に尽きる。ただ、他社のPR誌では、このレベルのものを見たことがないのだから、やはり編集者のセンス、それを可能にした小沢書店の懐の深さには賛辞を送るしかない。

「月刊みすず」の、毎年2月初めに出る1・2月合併号「読書アンケート」は常に興味深い内容だった。以前にも書いたことがあるが、学者、作家などが、前年に「読んだ本」から5冊選ぶ。「読んだ」というところがミソで、かなり古い本を読みなおして、上げている人もいる。古典的名作の場合もあるが、そうでない場合もあり、そこら辺りが最大の魅力かもしれない。専門以外の分野をあげる人もいる。年間の新刊点数が8万点として、この10年で80万点。専門家であれば、情報が入ってくるだろうが、私のような市井のもの好きには、自分が興味を抱く分野でも気づいてないことがあってもおかしくない。回答者が130人超。重複があるが、単純計算で、毎年650冊程度の書名があがる。秦恒雄の『原爆と一兵士』は、ここで知った本である。よくある「ミステリの〇〇」「新書の〇〇」「マンガの〇〇」のような年間ベスト10は全く気にならないが、「月刊みすず」の読書アンケートは気になって仕方がない。なお、この企画は好評らしく、単行本として刊行されることになるらしい。喜ばしい限りだ。

マンガ誌としては、「コミックトム」や1980年代前半の「月刊LaLa」も忘れ難いが、「月刊スーパーアクション」が素晴らしかった。創刊は1983年6月号、1987年9月号で休刊、とそれほど長くない刊行だったが、星野之宣、諸星大二郎、花輪和一、板橋しゅうほう、藤原カムイ、原律子、いしいひさいちらが執筆していた。基本的にはSFマンガ中心で、星野の『2001夜物語』、諸星の『西遊妖猿伝』(同誌休刊後は、他誌で連載が続いている)らが掲載されていた。ある意味で、玄人受けするマンガ家たちが多数登場していたが、そういう描き手が大半を占めれば、当然のように部数は伸びなかったようだ。全作品を読まなくても、掲載作家それぞれの根強いファン(私がそうだった)が購入すれば、もう少し部数も伸びた気もするのだが…。このことは後述する現在の雑誌が抱える問題点を30年以上も前に先取りしていたのかもしれない。

私が考える限り、雑誌の将来は暗い。しかし、雑誌にしかない特性もある。それは、意図しない作品との出会いだ。これも読書月記20で書いたが、『風雲児たち』に出会ったのは、星野の作品を読むために「コミックトム」を購入していたからだ。『ぼくたちの疾走』を読むために「週刊アクション」を購入しはじめ、その流れでずっと購入していたが、そこで『坊ちゃんの時代』(雑誌初出時は『〝坊っちゃん〟とその時代』)に出会う。森川久美の「ヴァレンチーノシリーズ」や『蘇州夜曲』には、高橋亮子の『道子』や成田美名子の『あいつ』を読むために買い始めた「月刊LaLa』で出会った。PR誌として購入していた「ちくま」では工藤美代子の『それにつけても今朝の骨肉』(文庫版は『今朝の骨肉、夕べのみそ汁』)に出会っている。読書アンケートのために定期購読していた「月刊みすず」で、連載していたブレイディみかこの『子どもたちの階級闘争』を読み始めた。
これらは、バラエティに富む作品が載っている雑誌だからこそ起きうるケースである。自分が読んだことのない作家、読んだことのない傾向の作品に出会える機会を作っているのが雑誌なのだ。掲載された中で1つの記事、1編の作品しか読まないと考えたら、雑誌のコスパはたしかに悪い。現代のように、コスパに重点を置く人が増えれば、雑誌が廃れていくのも仕方ない。しかし、無駄に思えるようなことが、実はとても重要なことだったりする。また、雑誌そのものが、自分が応援している作家に発表の場を与え、原稿料という形で収入になっていることも忘れてはならない。本当に好きな作家が連載していれば、コスパは悪くても買うべきだろう(私が「STORY BOX」を定期購読したのは、飯嶋和一が連載していたからだ)。
だから、私の雑誌購読は「ゼロ」になるが、これがずっと続くとは思っていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?