わかったふりをしないでいい
プロでもわからないことはある
私は30年間金融業界に勤めてきて、金融商品の組成などを担当してきましたが、それでも金融市場について「わからない」ことはたくさんあります。同じ金融業界にいても、専門分野が細かく分かれており、各々の専門家でないと深い理解が難しいからです。大きな組織に属していると、各分野の専門家がいるので、プロジェクトごとに集まって協力しつつ業務に当たります。証券アナリストなどの資格や、金融工学分野での博士などの学位、弁護士資格を持っていても、一人ですべてをカバーできる人は誰一人としていません。
専門のことはプロに任せる
現代社会で完全な自給自足の生活をしている人はいないでしょう。電気やガス、食料品などの調達から、医学や教育まで、分業をして成り立っているのがいまの世の中です。私はお金の管理は知識があるので自分でやりますが、医学の知識はないので、身体の不調や予防のノウハウについては医師に頼ります。同じように似合う髪型は自分でわからないので美容師に任せきりです。このように何かが「わからない」ことは恥でもなんでもなく、複雑に分業されている現代社会では当たり前のことです。
「わかりたい」という気持ちに付けこむ陰謀論
近年、SNS上で反ワクチンや財務省悪玉論など、陰謀論にどっぷりつかった人に遭遇することがあります。彼らの発言を見ていると「理解したい」という思いが強いあまり、自分に手の届く範囲の単純化された理屈に飛びついているな、という印象を受けます。
単純な「正解」はない ー すべてケースバイケース
例えば、財務省悪玉論を信じる人は「財政拡大は常に良い」「財政支出を増やせば増やすほど景気浮揚につながる」という主張を崩しません。その国や地域の置かれた状況によっては、財政支出を大幅に増やすべき局面も確かにあるでしょう。しかし、あくまで「状況によっては」であり「それが問題解決のベストな方法でない場合もある」のです。経済や金融のベースとなる知識が十分にない方は、この「ケースバイケース」という見方には不安を覚える傾向にあるようです。
彼らは「どんな時もこれが正解」という「打ち出の小槌」を求め、それを提示してくれる「財務省悪玉論」が自分にとってわかりやすく「納得がいく」ものであるため、魅了されてしまうのでしょう。つまり、彼らにとっては「自分にとってわかりやすく」「納得がいく」が大事であり、それイコール「唯一の正解」なのです。
しかし現実の社会はそれほど単純にできていません。財政出動一つとっても、金融市場の反応や、内外の経済情勢によって、その時々の効果も経済に対する影響も違うのです。プロといえども、その周辺環境のすべてを正確に予測できない以上、財政という政府がコントロール可能な部分において、「常に」直線的なリスクを増大させることは避けるべき、というのが標準的なプロの見解だと思います。もちろんコロナ禍やリーマンショックなど景気が冷え込んでいる場合にはリスクを分析したうえで適切な財政出動も必要になるでしょう。あくまでも「ケースバイケース」なのです。
プロに噛みつく素人
「わかりたい、けどわからない」ことにフラストレーションを感じる一般の方々は、「スッキリしたい」という願望があるため自分にとって「わかりにくいことを言う」「納得がいかない」プロに対して牙をむくことがあります。私は国会議員の藤巻氏と、もとゴールドマンサックスのアナリストであったアトキンソン氏をX上でフォローしていますが、彼らに対するいわゆる「くそリプ」は失礼を通り越して、揶揄するようなものもあります。
なぜプロの説明を「わからない」と感じるのか。プロが100の知見に基づいて話をしているとすれば、聞き手はその1%の知見も持っていないからです。上記の二名は欧米の最大手と言っていい金融機関で、シニアな立場で専門分野を持っていた方ですので、同じ業界、同じ会社の社員でも彼らに太刀打ちはできないのです。それなのに、十分なベースがない人たちが「証拠を示さない」「いつまでもそうならない、いつそうなるのか」などのずれたコメントをするのは「自分にとってわからないこと、自分が知らないことが100もある」という認識がないからでしょう。残念ながら、彼らはプロと自分との間の差を理解できるほどの知見も持っていないということです。
動画や新書ではプロにはなれない
例えば財務省悪玉論を唱える人たちの中には「金利が上昇すれば日銀の持つ国債の金利も上がるので問題ない」と言う人がいます。市中金利が上がれば、新たに発行される新発債の利率は上がりますが、低金利下で発行された既発債(固定利付債)の利率は変わりません。一方、既発債の時価は下がるため、下がった時価で購入する「セカンダリー市場の投資家」にとっては「利回り」が上がりますが、既発債を発行時から保有する日銀にとっては利率は変わらず時価が下がるだけです。
これは金利と債券の基礎知識なのですが、証券アナリストなどの資格を持たず、また金融専門職を一定期間勤めていない方にとっては、しっくりこないようです。しかし、金融市場と向き合う仕事に就かないとこれが理解できないのは無理もなく、恥ずかしいことでもなんでもありません。
財務省悪玉論を信じる方たちは「動画で勉強した」「新書を読んで理解した」と強い自信を持っています。しかし彼らは上記のような基礎知識すらなく、金融市場と向き合った経験もありません。そもそも財政と国債市場を論じるスタートラインにも立てていないのが実情なのです。
「わからない」なら「わからない」でよい
専門外のことが「わからない」のは当たり前です。さらに、無理にわかろうとせず「わからない」ままにしておいていいこともあると思います。例えば私はイスラエルとパレスチナの対立についてはいまだに何の意見も持てないでいます。複数の文献を読みましたし、早く停戦合意ができればいいとは思いますが、どちらかを断罪するほどの理解ができているとは思えません。そして私は中東問題の専門家でなく、それを「わからない」と言うことを恥とは思いません。
世の中のすべてのことに精通するのは不可能です。藤巻氏やアトキンソン氏に噛みついている方たちや、医師に噛みついている反ワクチンの皆さんには、「わからない」でいいよ、と言いたいのです。自分の専門外のことについてわからないのは当然ですし、無理にわかったふりをすることはない。自分がわかりやすいように料理された、単純な理屈に飛びつく癖がつくと、複雑な現実をありのままに受け止めることを避けるようになる。つまりは脳に「筋肉」があるとすれば、それがどんどん弱っていくように思います。
「わからない」なら背伸びをせず「わからない」と言う、あるいはその話題にはこだわらずスルーする方が、幸福度は高まるのではないでしょうか。なぜなら単純化された陰謀論は、現実とはほど遠いところにあるので、世界がまともに機能している間は、陰謀論を信じる人の思うようには、決してならないだろうからです。
どうしても「わかりたい」なら、プロを目指そう
陰謀論を信じると、複雑なものをありのままに複雑なものとして説明しようとするプロに対して聴く耳をもてなくなってしまい、真の学びの機会が失われてしまいます。もしどうしても「わかりたい」と思うのなら、正当とされるあまたの文献や資料に時間をかけて根気よく当たりつつ、自身もプロになるべく、その業界に飛び込むしかないでしょう。(終わり)