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頭と体の錆びたところ

早朝。腕立て伏せ、腹筋、スクワット、そして肩甲骨と腰を動かすストレッチをして、終了。
筋トレを前向きに取り組めるようになるきっかけは突如として訪れた。
「機械は動かし続けないと壊れる」
という自然に考えれば当たり前の話をふと耳にして、その機械というのは原子力発電所のことでその耳にした話は壮大であったのだが、僕は再稼働の是非を問いたい訳ではなく、ただ動かさずに放置し続けることが危うそうという感覚だけが色濃く自分の中に残り、その後はやたらと放置されて硬直し続けているものに対して、意識が向くようになった。

全然使われていない、僕のではない家族の自転車がある。
自分の自転車のチェーンに油をふきかけたついでに、その自転車にも手をかけた。
ペダルを手で握り逆回転させて、ギアとチェーンだけを動かしながら、ギアとチェーンが噛み合ったところを狙って油を吹きかけていく。
回転がスムーズになる感覚がペダルを通じて手に伝わると、何とも気持ちがいい。

動かし続けないと壊れるというのは、形而下だけの話ではない。
例えば本を読んでいて、新しい情報に触れた時、そしてその情報が思いもしなかったところから飛び込んできて、それがまさかと思うものと繋がった場合は特に、僕にとっては、錆びるほど止まっていたものが動き出す感覚に近い。
頭の中の情報が飛び交う回路の中で、今まで使われていなかった道が開通して、交通網が活性化するイメージだ。
そして、そんな開通のきっかけを、僕は常に心待ちにしている。

筋トレを行うのは、どちらかというとストレッチ的な考えに近い。
頭のてっぺんから足先まで、血を、水を、食べた栄養を、得た情報を、無駄なく体の隅々までに行き渡させるように動かす。
スクワットの上下運動は空気入れのように、隅々まで行き渡らせるためのポンプ的な役割なのである。

目から入った情報は8割だったか、7割だったかを占める、という話を聞いたことがある。
まぁ何割かはどうでもよくて、百聞は一見に如かずという諺がある通り、耳よりも鼻よりも、目からの情報が圧倒的に多いことは忘れがちだ。
だから外に出て色んなものを目で見ることが、一番頭の中を動かす力になるのは明白だ。
さらに歩くことは頭だけじゃなくて体も動かすことにもなるので、いい事づくしだ。
毎日のほとんどを座った姿勢で過ごし、画面という奥行きのない平坦なものを眺め続けることが、どれだけ頭と体を錆びらせているのか想像すると怖い。

「頭と体の錆びたところを動かす」ということについて、何度も自分のために書いているが、僕にとって相当大事なことのように思う。
そして、そのマインドに近い人と、何かを動かした話をしたいって思う。
こんなところに行って、こんな体験をしたよって。
それはお互いに油を差し合うような、スムーズで気持ちのいいやりとりのように思う。

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