自信を持とうと思わなくていい
この前、仕事でオフィス移転のコンペがあって、終わった後に改めて提案書に載ったCGパースを見た。
まだ結果が出ていないものの、
「あれ、俺のデザインって結構いい線行ってるんじゃないか」って思った。
デザインには機能性と意匠性の2軸あり、後者についての自信のようなものを感じた。
この自信は、自分の努力によって引き起こされたものではない。
ぼくはこの意匠性に特化して力をつけようとしたことは、過去にやったことはある。
しかしあれは努力と呼べるようなレベルではない。そこまで頑張っていない。
努力と呼べるかどうか自分の心でわかる。
なのに、自分のデザインを見て、自信を感じたのは、自分がつくったもの以上に感動する作品と比べていないからな気もする。
昔、会社に「うわーいつもすごいなー」と思うものを作る女性のデザイナーがいた。
配色に女性らしさを感じていいなぁと最初は単にそう思うだけだったのだが、力を少しずつつけると共に、単なる色の構成だけではなく、形の構成もすごいと思うようになった。
形の構成が複雑なのだが、不思議とバランスがとれていて、ぼくのデザインがよくみる盆栽だとしたら、彼女のデザインは真柏と呼ばれるダイナミックな盆栽であった。
ぼくは毎回彼女の完成したCGパースを見て、「これは勝てない」とあっさり感じた。
3年程前に彼女はやめてしまった。
あのデザインを普段から見ていれば、この自信には繋がらなかったんじゃないかなって思う。
話は逸れるが、小学生の時、ぼくはドッチボールが得意だと思っていた。身長も同学年で上から2番目ぐらいに大きかったので、不思議と自信を持っていた。
しかし中学生に上がり、人の量が一気に増えて、得意だと思っていたドッチボールが、上には上がいるということがわかり、身長もぼくを超える人が多々いて、自信をへし折られた経験がある。
「誰かと比べるのはよくない。自分に自信を持て。」というフォーマット化された助言がある。
それは矛盾したことを言っているように思う。
自分に自信を持つというのは、周りとの比較が付き纏う。
ひたむきな努力による自信は、誰よりも努力したという他者との比較から起こる自信だと思う。
何かに没頭してできたものに自信を持つのも、結局は誰よりも面白いものを作ったという、比較から起こる自信なのだと思う。
だから「自信を持とうなんて思うな」っていうのがいい考え方な気がする。
これはすなわち「誰かと比べようとしない」というマインドである。
単純に自分が好きなものを追い求めて、その理想像に近いデザインが、彼女のデザインであるとするなら、比較して学ぶことはいいことだが、その比較して成長する目的が、自分に自信を持つためではなく、何度も見返したくなるようなものを作るためだ、ということを忘れてはならない。
自信は面白いものを作れたりするようになれば、勝手におまけでついてくると思う。
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