方法を教えるのではなく
何の気無しにことわざ辞典を開いて、目に留まったのが「釈迦に説法」だった。
設計部内で月に一度、自分が行った案件の共有や、実際に足を運んだショールームの体験談など、まぁ仕事に関われば何でもよいのだが、発表の場がある。
さっきのことわざを前にして、2年ほど前に行った発表が「釈迦に説法」つまりは「大先輩達
に対して上から目線の教え」だったかもしれないと、ふと思ったのである。
その発表というのは過去にやった案件の紹介という名目で「僕はこんな方法でコンペをとれるようになってきたよ」という話であった。
ただ2年前のことなので、ちゃんと反省したり深掘りしようという気にならなかったのだが、とある日、ある本の、ある一節に出会う。
それは終わり際に添えられた言葉であった。
あぁ、なるほど。
方法が明らかに存在しないものに「これが方法だよ」と教える感じで伝えてしまうと「この人は頭が凝り固まってるな」と思われてしまうかもしれない。
「”僕は”この方法だよ」とあくまでも自分の方法を語る、紹介のように伝えるのは、たとえ達人じゃなくても教授じゃなくてもハーバード大卒じゃなくても、誰がやってもいいことだと思った。
あの時の発表で「あくまでも皆さんに方法を教えたかった訳ではなく、ただ語りたかっただけなのです。」と最後に添えていればよかったかな。
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