昔は良く感じた在宅ワーク
昨日は在宅ワークでほとんど家にいた。
お昼だけ、紙パックのバナナオレと生チョコのカップアイスをセブンに買いに行った程度だ。
何もなさそうな日を日記にするためには、お花をみて「わーきれい」みたいな、クララをみて「立ったー」みたいな、そんな情緒を必要とする。
ただ昨日は仕事に追われすぎて、最近掴まり立ちを覚えた赤ちゃんが立っても「立ったー」とはならず、とにかく仕事を終わらせることに一生懸命だった。在宅ワークでバタバタと仕事をするのは、あまり好きじゃない。
コロナになってすぐは、在宅ワークなんてものは神から与えられたギフトと思うほどだった。
「無駄だった通勤時間を全部自分の時間にできる!」
「仕事してても精神的には休みだ!」
みたいな感じで、ものすごくうれしかった。
設計のグループマネージャーも在宅ワーク開始の通達を朝礼でするときは、うれしさが表情に滲み出ていたのを思い出す。
ただ今はどうだ、ほとんど会社に行っている。在宅は月に1度程度だ。
やっぱり会社の方が仕事が捗るのが大きなポイントなのだが、それとは別に「通勤時間も込みで自分の時間であった」という理由もある。
在宅ワークだと景色がほぼずっと同じなのである。
たとえ通勤が毎日同じコースだったとしても、目の情報量がえらい違いだ。
「脳の五感による知覚の割合は、視覚情報が8割」というのを、ほぼ日の糸井さんと脳科学者池谷さんの本で読んだことを覚えている。
だから外を歩くだけでも脳にはいいようだ。
家にずっといると、とにかく元気がなくなる。コロナになって発見したことは、やっぱり外が好きという自分の特徴だ。
家で黙々と仕事をしていると、目に入る情報が少なく、その日に感じられるものが少なくなる。
今日はまさにそんな日であった。
家には奥さんがいて、赤ちゃんがいて、よく見たら毎日霧吹きしている植物もあるけれど、忙しさに追われると、目の前のパソコンの画面や、家の壁紙とにらめっこする時間が多くなる。
忙しい時ほど、外に出たい。
外の景色は脳の餌なんだ。
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